訪問
丸岡忠治。
第五十回全国高校生魔導戦選手権団体戦での優勝実績を持ち、高校卒業後はプロ選手になったが三年余りで自らの才能の限界を感じて引退。以降は地元長野のクラブチーム、長野シルバースターズの監督に就任する。
二十年ほどの期間で育てた選手は四百人以上。現役時代も合わせれば千に及ぶ選手を見てきた彼だが、ただしその中で自らにない“才能”の輝きを持つ者はごく僅か――
「いやはや、まさかムイちゃんが、魔気に目覚めるとはね」
息を弾ませながら、丸岡が呟いた。
雪に覆われた山道――もはや新鮮な空気や冷気を楽しむだけの余裕はなく、厚手の上着の中は上気し、額には大粒の汗が浮かんでいた。それももうかれこれ一時間以上も足場の悪い山道を登ってきたのだから無理はない。
と、同時にやはり自らの老いと衰えを感じざるを得なかった。現役時代ならばこの程度の運動で息が切れることはなかっただろう。
「ふぅ。まだまだこれからだ」
それから休憩を挟みつつ歩くこと二時間、ようやく目的地の屋敷が見えてきた。
魔気塾――かつて自分が、そして仲間が共に学んだ場所。当時の塾生は五人。しかしその中で魔気に目覚めたのは丸岡を除く他の四人だけだった。その時点で既に自分には魔導戦の才能がなかったのだろう、と今の丸岡には理解できる。そして修行時代を振り返るにあたって、一人の老人の存在を思い出さざるを得ない。
「さて、師匠は元気かな」
彼から見た“師匠”という人物は気難しい老人という印象が強かったが、しかし同時に魔導戦に関しては並々ならぬ知識と実力を保有しているということもよく知っていた。修行時代はよくしごかれたものだが、今ではそれも良い思い出だ。最後に会ったのは、ムイの母親であり親友の妻であり、そして苦楽を共にした仲間――霧野愛衣の葬式の時だったか。
ところが今の丸岡はそんな師匠に会うために生きを弾ませながら険しい山道をえいこら登っている。というのも、つい数日前、その師匠から十数年ぶりに連絡があったからだった。ムイが魔気に目覚めたと知らされたのもその時である。連絡の内容は至ってシンプルな依頼だったが、しかしシンプルなのはその内容だけであり、それに応えるのは相当骨が折れることだった。
そんなことを回想しながら歩を進めると――
「……ん?」
気配を感じて顔を上げた。山の方で野生の鳥が一斉に飛び立つのが目に入った。
――何だ……?
目を凝らした矢先、
「うわあ!」
「どわっ!」
「がっ……」
三人の男が、丸岡の頭上に降ってきた。
丸岡は慌ててそれを回避する。降ってきたのは大学生くらいの男たちだった。どうやら森の方から吹き飛ばされてきたようだ。
「一体何だ……?」
雪煙立つ山中よりゆったりと現れる小さな人影が一つ――
人影は丸岡の存在に気が付くといつものようにマイペースな口調で話しかけてきた。
「んん……? あれ、丸岡さんじゃないっすか」
「ムイちゃん!?」
「何やってるんすか、こんなところで」
「それはこっちの台詞だよ」
そこにいたのは旧友の娘であり、自らの監督するクラブチームのエースである霧野夢衣だ。漆黒の魔導着の上に薄手のジャンパーを羽織り、両手には父親から持たされたという白色の魔剣が握られている。相変わらず背丈は小さい方だが、それでも最後に会った時に比べて幾らかがっしりとした印象を受けた。身長も少しは伸びているかもしれない。
「彼らは……?」
脇ですっかり気を失っている男たちを指さしながら聞き返した。
「ありゃあ、その子の練習相手さ」
背後からしゃがれた女声がして丸岡が振り返る。
「師匠!」
煙管を口に咥えた和服姿の老婆が、杖をついてそこに立っていた。懐かしい顔だ。見たところ大きな異常もないようで、少し安心する。と言っても丸岡にしてみればその師匠という人物は殺しても死なないほど強く頼もしく思えるのだが。
空から降ってきた男たちへの動揺と、懐かしい顔を見たことによる安心――混乱状態の丸岡を気にも留めず、少女が口を開く。
「あ、師匠、百人抜き終わりました」
「百人抜き!?」
「そうさ」
師匠が頷いた。
「丸岡、その子の魔導戦選手としての長所を述べてみな」
「そりゃあ、ええと……」
丸岡が考えるように頬を掻き、そして答えた。
「機動力を活かした一撃離脱戦法。それも普通の魔法とは違うから、魔剣の形状や装備からその戦闘スタイルは読まれにくい。それと、柔軟な戦い方ができる点も」
「それじゃあ、逆に短所は?」
「戦闘経験が浅い点、それと未成熟な肉体故のフィジカル面の弱さですな。しかし、前者はともかくとして、後者はどうにもならんでしょう」
「よく分かっているじゃないか」
「それに、これは近距離タイプの選手には仕方のないことですが、概念操作系魔法に弱いってのもあります。動きを封じられたり、認識を阻害されたりすれば戦うことはできません」
「だから魔気があるんだろう。元来魔気ってのは自分より強い魔法を持つ相手を倒すためにあるんだからね。フィジカル面に関しては、まあ、実戦あるのみってところか」
「それで、百人抜き……」
「スタミナと筋力、戦闘経験を積むにはこれが一番さね。知り合いの大学生から社会人から、片っ端からかき集めてるのさ」
「しかも年上ばかりですか。相変わらずやり方が無茶苦茶ですね……で、どうですか、首尾の方は」
師匠がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。どこかで見た表情だが、しかしどこで、という疑問はすぐに解消した。あれはかつて自分たちが師匠の元で修行していた時、自分を除く四人が魔気に覚醒した時にした表情だ。つまりこの目の前の少女にはかつての自分たち――後に黄金世代と呼ばれた者たちに匹敵する素養があるということか。
ゾクリ、と背中に鳥肌が立つのを感じた。ここまでの道中の疲れが一瞬で吹き飛ぶような気がした。やはりこの霧野夢衣という新人選手に対して自分が感じていた“才能”は本物だったのか。
「で、丸岡、頼んだものは持ってきてくれたかい?」
「え、ああ、はい!」
師匠の言葉にはっと我に帰った丸岡は慌ててリュックを降ろすと、中から薄い金属の板――携帯映像端末を取り出した。丸岡はそれを手早く操作すると、すぐにその画面を師匠の前に出した。
「これが、ムイちゃんのこれまでの試合の記録です」
「ふむ……どれ」
「どうぞ」
丸岡が師匠に端末を渡すと、それをムイが横から覗き込んだ。
「へぇ、こんな映像いつの間に」
画面では四つの窓が開かれており、そのそれぞれで少女が機敏に動き回るのが映されていた。今からおよそ四カ月前――シルバーウィークに行われたムイの戦闘記録だった。
「闘技場での試合は基本的に自動的に記録されるからね」
「はあ、何かすごいっすね」
「まあね。しかし師匠、このデータが何の役に立つって言うんです? 間違いなく今のムイちゃんはこの時よりはるかにレベルアップしてますから、あまり意味はないような……」
師匠は画面から目を離さずに答える。
「知りたいのはその子以外の連中の実力さ。聞けば全国トップクラスの高校生共と戦ったそうじゃないか」
「そりゃあ、まあ」
「これからムイが高校生になって大会に挑んでいく以上、そいつらにどの程度通用しそうか、ある程度見通さなきゃいけないだろう」
「仰る通りで」
「で、こいつらは強いのかい?」
「そりゃあ、もう、全国上位ばかりですからね。それにスカルスネイクの刺客も、なかなかやりますよ。まあ、その中だと羽柴優斗がやはり頭一つ飛び抜けてますがね。卒業後はプロ入りするんじゃないかな」
「羽柴優斗に羽柴勇人、それに風間実か。確かに有名選手ばかりだが、この程度の選手、昔はゴロゴロいたさ」
「そりゃあ、師匠の若い頃と比べられても困りますよ」
「あんたの若い頃に比べても、さ」
「……」
丸岡が何も言わないだけだったが、ムイが彼の心情を察するには十分だった。かつて彼が現役の高校生選手だった頃――黄金世代と呼ばれていた頃――おそらく自分たちよりも強い選手がたくさんいたのだろう。しかし理性ではそれを理解できても、ムイは心の底から納得することはできなかった。これまで自分が戦ってきた相手は紛れもなく強敵ばかりだったし、そんな彼らと奇妙な友情が芽生えたのも事実だ。
師匠が端末を丸岡に差し出しながら口を開く。
「まあ、ここで議論していても仕方がないさね。中に入りな。お茶くらいは出すよ」
「はあ、それじゃあ、お邪魔します」
そう言って丸岡は歩き出した老婆の後を追いかけた。