黄金世代
夕食と荷造りを終え、ジンたちはまたいつもの部屋に集まっていた。後は翌日の迎えで帰宅するだけで特にやることなどはなかったが、もはや夜のミーティングは習慣となっていた。普段は有力選手を分析したり対策を練ったりするのだが、しかし今日ばかりは集まったは良いもののこれといった話題がなかった。
テレビのバラエティ番組をつまらなそうに見つめるハルト、お茶を淹れるミズキ、隅で読書をするハナ、そしてジンは目を閉じ瞑想していた。
師匠とムイだけがその場にいない。魔気を習得したのはムイだけだから、彼女だけがいないのは別段不思議ではなかった。
しかしハルトにとっては二人がいないのはむしろ好都合だった。テレビを見つめたまま口を開く。
「なあ、ジンさんよお」
声をかけた相手はジンだった。彼は目を開けることはなかったが、意識だけをハルトの方へ向けていた。
「お前、何か隠しとるやろ」
「……」
「まあ、言いたくないならそれでもええけど。多分、そいつは魔気に関する何かやな」
ハルトが魔気というワードを出したのに反応して、ジンはゆっくりと目を開けた。そして虚空を見据えて答える。
「別に、大したことはない。ただ俺は、魔気についてここに来る以前からある人に聞かされていた」
「ある人……?」
「そうだ。そいつは俺の幼馴染で――ここの卒業生だ」
「卒業生……まさか」
「ああ。そいつはムイと同じく、魔気を習得している。俺はそいつに勧められてここに来た」
「誰なんや、そいつは」
「お前の知らない人間だ。あいつは俺と同じで、大会に参加したことがない」
「そうなんや……って、それについても訊きたいんやったわ!」
ハルトが勢いよく振り返る。
「お前なんで大会に出えへんのや。お前なら、胸糞悪いけども、地区大会くらいなら余裕で突破できるやろ? なのになんで……?」
「別に。ただ……」
いや、何でもない。
ジンは開きかけていた口をまた固く結んだ。これ以上話すことはない。その確固たる意志を感じ取ったのか、ハルトもそれ以上何かを言うことはなかった。
「ここ、冷えないっすか?」
星空を見上げながら、ムイが尋ねた。
修行の塔――最上部。
星明りに照らされている人影が二つ。
「思い出していたのさ」
不意に師匠が答えた。
「思い出していたって、もしかしてわたしの父親のことっすか?」
「……分かるかい?」
「ええ、まあ」
歩み寄りながら、ムイは師匠の向けている視線の先に目を向けた。
その視線の先には古びて半壊した石造りの塔が見えた。造りは丁度、今現在ムイたちが立っている塔と同じようだ。
「ここに来る途中、あの塔も少し見てきました。使われなくなってから十年以上経っているようでしたけど、もしかして……」
「ああ。あれはアンタの親父がやった」
「……」
“やった”というのは“壊した”という意味であろうということは簡単に察しがついた。自分が巨大熊と戦った時のように、激しい戦闘があったのだろう。それはムイが薄っすらと予感していたことでもある。しかしだからと言って自分の父親がしでかしたことに責任を持てるわけでもなく、何と答えれば良いのか分からなかった。
「別にアンタが気にするようなことじゃないよ。修行の最中だったから仕方のないことさ。それに――」
ムイは、師匠のその視線がどこか寂し気なことに気が付いた。懐かしんでいるにとは少し違った表情だ。
「あれをやったのは別にアンタの父親一人ってわけじゃあない」
「というと?」
「もう二十年も前のことさ。当時の私には弟子が五人いた。そいつら全員がやった」
「五人っていうと、わたしたちと同じっすね」
「ああ。だが、実力は全然同じじゃないよ。あの当時の連中の方が遥かに強かった」
「はあ」
「何も懐古主義的な気分で言っているわけじゃない。それが事実なのさ」
否定したい気持ちもあった。父親よりも自分たちの方が強い、と。だがしかし、ムイは自分の父親が只者でないことは感じ取れていたし、何よりあの半壊した石塔がその実力差を物語っていた。塔をあれだけ壊すことは、果たして自分たちに可能なのだろうか、ムイには見当がつかなかった。
「当時の弟子連中は、うちで修行を終えた後、黄金世代と呼ばれるようになる。この業界にいれば誰でも知っている俗称さ」
「うちの親父、そんなにすごかったんすか」
確かに魔導戦に関する並々ならぬ実力や知識などは察することはできたが、まさかそれほどまでとは。予想外だった。
「リンを見れば分かるだろう。連中の中で一番若かったのがあの子だが、それが今では日本で五本の指に入るプロ選手だ。ショウは――お前の親父は、それ以上の実力者だったよ」
そこまで言われてしまえば、ムイはそんな父親がなぜ魔導戦の現役選手でないのかと疑問に思わざるを得なかった。明らかに不自然な話だ。そして今目の前にいる老人はその核心について何か知っているということは明らかだった。
しかし、実際の返答は違った。
「さてね、私には詳しいことは分からん」
「そうなんですか……」
「連中がここで修行していたのはまだ中坊の頃だったからねぇ。直接的な何かがあったのはショウの奴が高校を卒業する頃だろうし。まあ、当時の仲間に訊けば何か分かるかもしれんが」
「当時の仲間というと、東雲さんと、ええと……」
師匠が煙管の用意をしながら答える。
「プロになった奴がもう二人いる。一人は辞めちまったがね、もう片方は現役だ」
「誰なんです?」
「アンタ、本当にこの業界について何も知らないんだね」
「はあ、すみません、勉強不足で」
「いや……」
師匠が煙を吐き出した。吐息と混ざった白煙が星空を覆い、幻想的な光景を作り出す。
「闘剣――日本で二番目に強い男さ」
五大タイトル。すなわち、闘神、闘剣、闘龍、闘王、そして闘聖。
その内の一つを保持している人物が、まさか自分の父親の同期だったとは。またしても予期せぬ情報だった。
「もう一人は?」
「早々にプロを辞めて、それから出身地の長野に戻って今じゃあどこぞのクラブチームの監督をやってるそうだよ」
長野。クラブチームの監督。そして父親の同期。そこまで言われてムイには察しないことの方がむしろ難しかった。しかしその驚きは闘剣のことを言われたことよりも明らかに大きい。まさか、と一瞬息を呑んだ。
「まさか……丸岡さん、っすか?」
「驚いた。知り合いだったのかい? いや、ショウの娘なら当然か」
「ええ、まあ……お世話になりましたよ」
この場に本人がいたら嫌味に取られかねないだろう、とムイは思った。むしろ丸岡には面倒を持ち込まれることの方が多かったのだから。
「しかし、あの飲んだくれの麻雀マニアが、まさかプロだったとは……」
「まあ、本人は自分の実力の限界を感じて、早々に引退したみたいだがね」
「それで、後のメンバーは? 親父ともう一人は誰です?」
そう聞き返すと、今度こそ師匠の目が点になった。ここまで驚かれるとむしろムイの方が何か失言があったのではないかと不安になるくらいだ。
「アンタ、それを本気で……?」
「え、ええ……あのっ、何かマズイことでも言ったっすか?」
「いや」
師匠が僅かに頭を振った。そして改めてムイのことを見つめる。
「まさかそれすらも知らされていないなんてね……」
「どういうことっすか?」
師匠がゆっくりと瞳を閉じる。過去に想いを馳せるように。
「あとの一人は――」
そして静かに、それは告げられた。
「アンタの母親だよ」