修行の塔 / 攻略
修行の塔。
東北地方――白神山地の奥深くに存在する二対の石塔。正式名称不明。いつからそこに存在しているのかも分かっていないという、謎に包まれた施設。一本は既に崩壊しており、機能しているのはもう片方だけとなっている。
一説によると古代人が魔法を利用した戦闘技術、あるいは魔気の技術を磨き上げるために作り上げたとされており、現代でもその用途に、ごく一部の魔導戦選手が使用している。
修行の塔は大きく三階層に分けられる。
“発現”――魔気の発現を目的にする階層。塔の最も低い位置に存在しており、その範囲は底から十メートルほど。魔気を発現させることができなければおおよそ倒すことができない魔物が出現する。
“制御”――“魔法の効果をなかったことにする”という概念操作系魔法が施されており、魔法を使った登頂が不可能になっている。その高さは地面から十メートル以上、十五メートル以下の地点に位置している。
“耐久”――第二層の“制御”の効果を伴ったまま、“体力・魔力を奪っていく魔法”が発現。魔気を維持したまま素早く昇ることが必要とされる。三層の中でも最も厳しいと言われる試練。
全高二十メートル――三階層を突破し、石塔から抜け出した者は、これまで以上の体力、魔力、そして魔気という非常に強力な武器を手に入れると言い伝えられている。
「見な」
師匠が煙管を口から離し、煙を宙に吐きながら顎で目下の塔――その底を指した。
遠く、地面に横たわる巨大な影――つい先程までムイたちの命を奪おうとしていた魔物。その巨躯が細かな光の粒子になって消えていった。
「あの化物すらもこの塔に施された魔法の一部ということか」
ジンが答えた。その息は絶え絶えで、真冬の屋外であるにも関わらず額には汗が浮かんでいる。それは彼だけではなく、他の面々も同じだった。特に疲弊が激しかったのはムイである。
第三階層――“耐久”。
その効果は絶大であり、ただそこにいるだけで――ただ壁にぶら下がっているだけで、一瞬にして体力と魔力のほとんどを奪っていくものだった。
打ち破る方法はただ一つ――魔気の発動。
魔気を発動している間だけはその人物は概念操作系魔法の影響を受けずに済む。修行の塔の場合は魔法を無効化されることなく、そして体力と魔力が一気に減ることを防ぐことができるようになるのだ。
つまり三階層を登っていくことが可能なのは、実質、ムイだけであった。
ムイを含めた五人は塔の底から、まずは第一階層を抜けることにした。おおよそ十メートルほどの高さだが、これはさして問題はなかった。通常通り魔法が仕えるのだから、各々の力で上ることができた。
問題はそこから上――つまり第二階層以降である。魔法を使えない以上、登る方法は二つ。
一つは自力で塔の内壁を登ること。幸いなことに塔の内側は凸凹な石で作られており、日頃から身体を鍛えていることもあって、メンバーがそれぞれ自力で登るのにはそう苦労しなかった。
そして二つ目の方法は、魔気を身に着けた人間が魔法を発動し、他の面々を引き上げること。この方法は、むしろ第三階層で有効だった。
「というより、それしか方法はなかったっすからねえ」
ムイが相変わらず呑気な口調で答えた。しかしそれはあくまで口調だけであり、彼女の肩は小刻みに上下し、魔剣を握る両手と、地面についた両膝はガクガクと震えていた。
第三階層に到達した彼女たちだったが、それ以上登ることが可能なのはムイだけ。そこで彼女は全員が自分にしがみつくことを提案した。しがみつかせ、自分が登る、と。
当然、それは簡単なことではない。魔気を身に着けたムイは魔法を無効化されることも、体力や魔力を奪われることもないが、しかし高校生三人と小学生一人をぶら下げたままで塔を登るというのは至難の業である。
魔剣を壁面の石と石との隙間に突き刺してそれを起点に、“力場”を連続で発生させて身体を支えて懸垂の要領で上へ。そしてまた、今度は逆の手に握る魔剣を突き刺し――その繰り返し。
もしかしたらその行動の連続は、塔に施された魔法よりも体力や魔力を消耗させることだったかもしれない。しかし、ムイは満身創痍となりながらもそれをやり遂げた。おおよそ十メートル――それだけの高さを四人の人間をぶら下げたままで登りきった。もはや体力も魔力も限界で、意識を保っているのがやっとというところだ。
そんなムイを見下ろして、師匠はふんと鼻を鳴らした。
「ショウの娘にしちゃあ戦い方がなってないと思っていたが……どうやら根性だけはあるようだね」
「そりゃ、どうもっす」
「っんなことよりババア! どういうつもりや! 完全に俺ら殺すつもりだったやんか!」
師匠は今度は地面にへたり込んだまま怒号を上げるハヤトに視線を移した。そしてやれやれと肩を竦ませてみせると、
「あんた、まだ自分の中の変化に気付いてないのかい」
「はあ? 変化って……魔気か何か知らんけど、そんなん全く感じられへんで!」
「いや、ちょっと待って、ハルト」
ミズキが遮った。そしてゆっくりと自身の両手に視線を落とす。
「なんや分からんけど……うちらの魔力、えらい上がってんで!」
言われて、ハルトも自身の内部――魔力に意識を集中させた。するとどうだろう、彼の魔力は修行の塔に入る以前に比べて遥かに上昇していた。
「何やこれ!」
「所謂超回復ってやつさ。あの熊との戦闘で限界まで魔力を消費したからねえ……回復量もその分多くなっているのさ」
「せやけど、超回復って普通は翌日とかに来るんちゃうんか」
「筋肉の場合はね」
師匠は煙草の煙を宙に吐いて続ける。
「魔力の場合はその増減が筋肉よりも顕著なのさ。ほれ、ミズキの予知魔法はあっという間に魔力を消耗してしまうだろう? 回復の量や速さもそれと同じで、体力や筋力よりも早く回復するのさ」
言葉の通り、ミズキや、他のメンバーは限界までに消費したはずの魔力が既に戻りつつあるのを実感した。これが体力の消耗ならばこうはいかないだろう。
「修行の成果についての説明は以上だ。で、肝心の魔気についてだが……」
師匠は煙管の灰を地面に向けて撒き、それを着物の袖にしまうと、カツンと杖で石をついた。
「魔剣を構えな。直接見せてやる」
そう言われて地面にへたり込んでいたハルトや、疲れ切っていた他の面々も立ち直り魔剣を構えた。
「行くよ」
そう宣言した刹那――
「なっ……!?」
一同が同時に言葉を失った。
――師匠の姿が消えた。
見間違いではない。いくらか油断していたとはいえ、ハルトもミズキもジンもハナも、目の前の相手の姿を見失うほど節穴ではない。
ムイやハナのように高速で移動したというわけでもない。そういった動きとは明らかに異なる変化だった。動いたというより、まさに消えたというに相応しい。まるで幽霊にでも化かされたような気分だった。
「私の姿が見えないかい?」
どこからか師匠の声が聞こえた。そして次の瞬間――
「ぐえっ」
「いたっ」
「ぐ……」
「何……?」
後頭部への軽い打撃によって、四人のメンバーが同時に声を上げた。
しかし、
「よっと」
カキン、と金属と木がぶつかる音と共に、師匠がその姿を現した。
ムイが魔剣でその杖による攻撃を防いでいた。彼女には全てが見えていた。最初から最後まで。師匠がゆらりと動き、一同の背後に回り込んで杖で後頭部を殴るまで。その動きの全てが見えていた。
「これが、魔気の力だよ」
師匠が杖をゆっくりと降ろしながら言った。
「この杖は特注の魔剣でね。見えないとは思うが魔石も組み込まれている。そして、私の魔法は概念操作系魔法――“相手に認識されなくなる魔法”さ。だが、」
師匠はその目の前の少女――ムイを視界の中央に捉えた。
「ムイには全部見えていた。そうだろう?」
「ええ、まあ」
「それが魔気の最大の利点だ。概念操作系魔法から身を守る技術さ」
そこまで言われれば、それがどれだけ強力な戦闘技術であるかは、その場にいた面々には理解するのは容易かった。それ以前に、魔気がなければ全員一撃でやられてしまっていた。加えて、種類の多い概念操作系魔法の数々に対応するには、必要不可欠とも言える技術だ。
「それと、魔気には相手の魔力に敏感になれるという利点もある。ムイ、アンタにはあの熊の動を察知することができただろう?」
ムイは巨大熊との戦闘を回想する。あの時――夢から覚めたあの時から、確かに巨大熊の魔力の動きをはっきりと認識することができた。
「とは言え……」
師匠がまた袖の内から煙管を取り出した。刻み煙草の葉を詰め、マッチを擦りながら続ける。
「まだアンタの魔気は不安定で弱いものだよ」
それはムイ自身にも理解することができた。
ムイは、本物の魔気を見たことがある。実感したことがある。
闘聖――東雲凛との戦闘。
日本で五番目に強い人間は、ムイの動きを全て先読みし、どれだけ速い攻撃を仕掛けたとしてもその全てをかわし、あるいは防御しきっていた。あの動きは経験や勘の成せる技というのでは到底説明のしようがない達人技だった。
しかしそれも魔気という特殊な技術があったとするなら頷ける。
あれが本物だ、とムイは思った。強さも精度も自分が得たばかりの魔気とは比べ物にならないものだ、と。
ジンが口を開いた。
「しかし、魔気を身に着けたのは本当にムイだけなのか? 俺たちには……」
「素質はあったが、覚醒したのはムイだけだよ。気にするな、そんなもんだよ。毎年ここには多くの人間が修行に来るがね、魔気が覚醒するのは一人いれば良い方さ」
「だが、しかし……」
「ちょお、待てや!」
何か言いたげなジンを遮って、ハルトが割り込んできた。
「ほんなら何か? 俺らが死にかけたのはまったくの無駄だったってことかいな!」
「誰がそんなこと言ったかい? 無駄ってわけじゃあないさ。概念操作系魔法から身を守るのが魔気の防御的側面とするなら、相手の魔力の流れを乱すのが、その攻撃的な側面なのさ。例えば――」
師匠は塔の底へ視線を落とした。
「あの熊だってそうさ」
「あれも……?」
「ああ、僅かだが魔気を纏っている。だからアンタらは、あれを見て動揺した。怯えたと言っても良い。そいつはあの熊が巨大で狂暴だったからってだけじゃあないのさ。けど――」
師匠の視線が今度はムイへと戻る。
「今のムイに、アンタらは怯えているかい?」
そう言われて、ムイを除く一同は目を合わせた。その視線の意味は全て同様であり、ムイからは何の脅威も感じないというものだった。
「耐性がついたのさ。まあ、その子の魔気がまだ弱いってのもあるがね。さて――」
師匠がクルリと、ムイたちに背を向けた。
「これでムイ以外の連中に教えることは全てだ。明日には迎えが来る。帰りたい奴は帰りな」
「帰りたくない奴は……もっと強くなりたい奴は、どうすれば良い?」
師匠の背中にジンが投げかけた。
師匠が振り返らずに答える。
「私に教えられることは全部教えたよ、ジン。悪いが他を当たりな」
「そうか……」
「ただ、アンタはまだ若い。焦らず精進しな」
それだけ言い残すと、師匠はすたすたと歩いていってしまったのだった。