表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無気力少女ですが、実は最強です  作者: 冬野氷空
魔気習得編
42/72

怪物 / 絶体絶命

「――って、ふっざけんなババアあああ!」

「わたしゃちゃんと伝えたよ。命を落とすかもしれないってね」


 から逃げまどいながら叫ぶハルトの頭の上に、師匠の冷徹な返事が降ってきた。


 最終試験場――石造りの塔。その地面から生えたような巨大な筒状の建造物の中に、ムイを含めた五人の塾生が集まっていた。いや、閉じ込められていたという方が正確だろう。唯一の出入り口である扉は堅牢な錠で閉ざされている。


 上を見上げるとどんよりと曇った冬の空が、円状に切り取られているのが見えた。そしてその上端部分から師匠が見下ろしている。


「ほら、さっさと倒すか逃げるかしないと、あっという間に喰い殺されちまうよ」

「倒すって言われても……」


 ムイは呟きながら、後ろを振り向いた。


 ――キャアアアアッ!!!


 耳をつんざくような怪鳥音にも似た雄叫び。ビリビリと空気が震えるのをムイたちはその魔導着スーツに包まれた肌で感じ取った。


 ――それは全長五メートルはあろうかという巨大な“熊”。いや、もはやそれは“熊”どころか、純粋な生物でもないかもしれない。その獰猛な生命体の胸のあたりは淡い光を帯び、獲物を捕らえんと()()を放っている。そしてその輝きは、ムイたちにとっては実に見慣れた代物だった。


「あの熊、体内に魔石を……?」


 ジンが呟いた。その直後、


 ――キャアアアアッ!!!


 巨大熊がその屈強な両手を広げて立ち上がった。雄叫び――魔石の発光――ほぼ同時にムイたちの足元が、さながら巨大な怪物に喰いちぎられたかのように弾け飛んだ。


 幸いにしてその攻撃を寸前のところで回避したムイたちであったが、その足元の雪にはくっきりと巨大な歯型が残されている。その様を見るに、あの熊の攻撃をもろに受ければいくら魔導着スーツがあろうとも重傷を負うのは必至だったし、師匠の言う通り最悪死ぬかもしれないということは、もはや考えるまでもなく直感で理解することができた。


 一同は素早く立ち上がり、巨大熊と距離を取るためにまた駆け出す。


 ムイが呟いた。


「うっひゃあー、すごいっすね」

「何を余裕そうに言っとんねん!」

「や、だって、熊ってあんな風に鳴くんだなあって。意外じゃありません?」

「そんなんどうでもええわ! 大体あれが普通の熊なわけあるかい! あんなんどないして倒せばええっちゅうねん!」


 ハルトが頭を抱えると、ジンが冷静な口調のままで言った。


「脱出する方が簡単そうだな……ハナ!」

「分かってる」


 答えて、ハナは自身の持つ魔剣ブレイドに魔力を流し込んだ。魔石が淡く発光したかと思うと、その次の瞬間には彼女の足元の雪が一斉に宙に舞った。


 十倍に膨れ上がった身体能力――その強靭な脚力を利用した超跳躍。少女の小さな身体は砲弾かミサイルのように空に向かって射出され、みるみるうちにその塔に残された唯一の出口――空との境目へと迫っていった。


 しかし――


「――ッ!?」


 地面を見下ろす師匠の顔が目前にまで迫った時、ハナは全身の力が一気に抜けるのを感じた。まるで魔力を吸収されるような感覚――バランスを崩した少女の身体は塔から脱出することはなく、ゆっくりと発射軌道をなぞるように落下を始めた。


「……。――マズイ!」


 ムイが叫び、跳んだ。空中で“力場”を形成――まるで溺れているように空中で手足をバタバタと動かしているハナに向かって、目に見えない階段を駆け上っていく。


 ムイは空中でハナの身体をキャッチした。あの跳躍からは考えられないほど――見た目相応の軽い身体だ。そしてそのままゆっくりと――巨大熊の魔法の射程範囲に入らないように留意しながら他の面々と合流した。


「何や! どないしたん?」


 ミズキが尋ねた。


「この塔……何かおかしいよ」


 そう答えたハナの表情は真剣というよりは心底不安がっているようにみえた。当たって欲しくない予測が浮かんでいるように。そしてその予測はハナが口に出すまでもなく、メンバー全員が思い至るまでにそう時間はかからなかった。


「まさか……」


 顔を合わせる一同に、代表してジンが口を開いた。


「この塔には、魔法を無力化する仕掛けがある……!」

「あ、ありえへんやろ!」


 明らかに動揺した口ぶりでハルトが声を荒げた。


「あの熊公はさっき魔法で攻撃してきたんやで! それに、ハナもムイも魔法を使えてたやんか!」

「おそらく空中の、ある一定の高さを超えると無効化される仕組みだろう。それがどういう理屈で働いているかは分からないが……」

「多分やけど……」


 ミズキが考えを巡らせるように顎に右手をあてながら口を開く。


「そういうが働いてるんやと思う。対象の魔法を()()()()()()()()()――そんな魔法が」

「んな無茶苦茶な!」

「せやけど思い出して。この試験って魔気オーラを身に着けるためのもんやろ? 魔気オーラって概念操作系魔法を無効化するための技術やん」

「なるほど」


 ジンが頷いてみせた。


「つまりこの塔から脱出したければ、魔気オーラを身につけろってことか」

「ほんならあの熊は何やねん!」


 ハルトがゆっくりと近づいてくる巨大熊を指さしながら続ける。


魔気オーラの習得になんであんな化物ばけもんが必要やねん!」

「それは……追い込まれた方が成長しやすいから、とか?」

「こちとら命の危機を感じとるっちゅうねん! 大体、あのババアは、」


 言葉の途中だったが、ハナがハルトの身体を思いっきり吹っ飛ばした。その意図を察するのは容易で、ムイたちも咄嗟にその地点から飛び退いた。


「何すんねん!」


 と、ハルトが憤慨の意思表示をするのと同時に、彼がつい先程までいたところがまたしても巨大熊の魔法によって削り取られていた。


「ごめん、つい……でも、頑丈な身体してるんだね」

「せやねん、昔っから身体だけは丈夫で怪我したこともあらへんしってやかましいわ!」

「とにかく」


 本場関西のノリツッコミをスルーして、ムイが口を開いた。


「脱出の方法は後から考えるとして、今はあの熊を何とかしないといけないっすね」


 そう言いながら、まるで獲物を弄ぶようにジリジリと接近してくる熊を視界に捉えた。


 ――キャアアアアッ!!!


 怪鳥音――魔石の発光――突進。

 しかしそこでハルトがふんっと鼻を鳴らした。


「ええか? 勝負っちゅうのはな、始まる前に既に決まってんねん」


 巨大熊が凄まじい勢いで一同の元へと突っ込んでくる。もはや回避運動が間に合うか分からない距離だ。ハルトはその細い目をほんの少し見開いた。


 深い緑のカラーリングが施された魔剣ブレイド――ハヤトはそれを勢いよく地面に突き刺した。


 次の瞬間――


蔓植物による拘束(ヴァイン・バインド)!」


 巨大熊の足元が蠢き、大量の植物の蔓が一斉に生え上がった。蔓は熊の足元に絡みつき、

 それだけでは終わらず上半身――両腕をするように巻き付いた。


 深緑の守護者ガーデン・ガーディアン――全国屈指の制圧力。その得意戦術の一つ。

 通常よりもはるかに強靭な“蔦”を発生させる植物の種をあらかじめ散布――一斉に芽吹かせることで相手を拘束する魔法。


 バランスを崩した巨大熊はつんのめるように僅かに前進した後、地面に倒れ込んだ。その重量はかなりのもので地響きと同時に雪煙が大きく舞った。


「どや! 俺もなかなかやるやろ!」


 ハルトがムイたちの方を振り返りながら言った。


「うわー、すごーい、三枝先輩やるー」

「うおい! 棒読みやめい、ムイ!」


 ――キャアアアアッ!!!


「おいおい、まだ諦めてへんのか、あの熊」


 言いながら、ハルトが振り返る。


 その時――熊の方から何かを千切る音が聞こえた。何度も。何度も。それが巨大熊を拘束する蔦が千切られている音だということに気付くまでにそう時間はかからなかった。そして遂に、巨大熊が再び立ち上がった。


「ま、まあ、あれやな。思ってたよりやるようやな。俺もまだ本気出してへんし」


 顔をひくつかせながら一同の方を向き直すハルトに、冷たい視線が一気に突き刺さった。


「ハルト、使えない。やっぱり雑魚だね」

「アンタ、そうやって相手をなめてかかるのやめえや。最初から本気出さんとダメやで?」

「まあ、お前が本気を出したところで大したことはないだろうがな」

「みんな反応酷くない!? ム、ムイ、お前なら分かってくれるよなあ!?」

「……」

「黙って目え逸らさんといて!?」


 などというやり取りを繰り広げていると、そこに再び巨大熊の魔法が牙を剥いた。


 一斉にその攻撃を避けた一同が、それぞれ魔剣ブレイドを構え、一気に臨戦態勢をとる。


「とにかく、アイツを何とかせんと」


 ミズキが腹ばいになった。そして装備していた銃型ライフルタイプ魔剣ブレイドを地面に設置し、スコープを覗き込んだ。


 ドラグノフ狙撃銃を模した全長約60㎝の魔剣ブレイド――本来軽量化のためにくり抜かれているはずの銃床には、代わりに薄い青の魔石が埋め込まれている。そしてさらに特徴的なのはその引き金(トリガー)の部分だった。


 引き金(トリガー)――銃と人間との境界。本来ならば一つしかないはずのそれは、しかしミズキの魔剣ブレイドには上下に並んで二つの引き金があった。


 一つ目の引き金(トリガー)――魔力を増幅・発射するためのもの。仕組みはムイの魔剣ブレイドとほぼ同じで“術式”に封印ロックをかけることで純粋に魔力のまま発射するものだ。


 ムイのそれと大きく異なる点は、魔力の圧縮の仕方である。ムイの魔剣ブレイドは人体の加速・減速に使うことに重きを置いているため、圧縮率は低い。しかしミズキの銃型ライフルタイプ魔剣ブレイドはそれがかなり高くなっているのだ。そうすることで使用方法は限られてしまうものの魔力弾の威力と射程を格段に引き上げることが可能だった。


 使用者の魔力が続く限りどれだけでも撃つことのできる魔銃――かつての魔法大戦で用いられた最もポピュラーな武装にして、魔導着スーツ技術の発達と共に忘れ去られた兵器である。


 二つ目の引き金(トリガー)――固有魔法発動のためのもの。“術式”の封印ロックを解除することで、ミズキ自身の持つ本来のを発揮するためのスイッチ。


「うちが足を止める! せやからジン君たちは接近して仕留めて!」


 重々しい発砲音――その7.62mm口径の魔物が実に毎秒820メートルという圧倒的なまでの初速で圧縮された魔力を放出した。弾丸は30メートルほど離れた巨大熊の右足へと着弾――その体勢を見事に崩してみせる。


 その隙をついてムイ、ハナ、ジンはそれぞれ散開――左右と後ろに回り込んだ。


 ミズキによる第二射――再び右足へ――反動で銃が吹き飛びそうになるのを、彼女は全体重を乗せて懸命に抑え込んでいる。


 ――キャアアアアッ!!!


 巨大熊が明瞭し難い声を上げた。あるいはそれは右足の痛みを訴えるものなのかもしれない。


 すかさずその懐に加速を加えたムイが飛び込む――右側からの斬撃――察したハナが地面を蹴った――左側からの斬撃。


 左右両方向からの同時かつ超高速の攻撃――相手が通常の魔導戦プレイヤーだったならばかわしようも、防ぎようもなかっただろう。


 それに合わせてミズキの第三射――今度は左足を目標に。息を吐き切るのと同時に引き金を引き、同時に襲い掛かる衝撃をまたもや抑え込む。


 しかし、次の瞬間――ミズキにとって信じられないことが起きた。


 発射された第三の魔弾は、しかし狙い通りに巨大熊の左足に命中することはなく、そのニ十センチほど手前に着弾して地面の雪を弾き飛ばした。


 一瞬の思考――外れるはずのない距離・状況――導き出される答え。


 かわしたのだ、あの熊は。自分が狙うであろう箇所を予測して。ミズキの背中に鳥肌が立った。同時にもう飛び込んでしまっているムイとハナを止めなくては、と。しかし脳からの伝達が声に変わるには既に遅かった。


「アカン!」


 叫ぶのと同時に巨大熊が両手を振り回し、さながら煩わしい虫でも追い払うかのようにしてムイとハナの突進を薙ぎ払った。


「何や! どないしたんや!」


 ハルトが叫んだ。


「アイツ! うちの攻撃を読んどったんや!」


 答えながらミズキは驚きのあまりスコープから離していた右目を、再度その円筒に戻す。そして()引き金(トリガー)に、そっと右手の人差し指を添えた。


「ミズキ! お前まさか“目”を使うつもりじゃないやろうな!」

「……」

「アカン! そんなことしたらお前は……」

「ここでやらな、みんなやられてしまうやろ!」


 もはや迷っている時間はなかった。自分の固有魔法が魔力と体力を大幅に消耗する諸刃の剣だとしても、今のミズキにはそれに頼る他ない。例えその結果、その場から動くことができなくなったとしても。


 呼吸を整える――中指を()引き金(トリガー)に沿えて――僅かに人差し指に力を込めた。


 脳を直接掴まれて揺らされるような、激しい眩暈と吐き気がミズキを襲う。自分の名前を呼ぶ幼馴染の声がすぐ脇から聞こえたが、しかしそれが果てしなく遠いようにも、あるいはあり得ないほど近いように聞こえた。視界が回る。それでもその視線はただ一点――現在自分たちを殺そうとする化物に固定されていた。


 山の主――死神にも等しいその熊の巨体が揺れたかと思うと、それが五つに分裂した。


 無論、それは()()を使用しているミズキにしか見えない景色だ。


 未来視フューチャー・アイ――現在を始点に広がり行く未来を覗く魔法。見る未来が先になればなるほどそのは広がり、観測者の負担も増える諸刃の剣。使用者のミズキ曰く、一分先までなら確実、対戦相手の情報データを加味することで三分までは可能――狙撃手スナイパーならば誰しもが欲する能力。


 ミズキはさながらラジオのダイアルを慎重に回して周波数を合わせるように、魔剣ブレイドに流し込む魔力の量と強さを調整していく――一体、また一体と巨大熊の()残像が消えていく。


 標的ターゲット以外の存在は意識からシャットアウト――音すらも一瞬の消失をみせる。


 そして――


 ふっと息を大きく吐き出して、同時に()引き金(トリガー)に沿えた中指に力を込めた。


 低い唸り声を上げて巨大熊の左足目掛けて発射された魔弾――本来の位置より十センチほど脇へ放たれたその弾丸であったが、しかし次の瞬間、不思議なことが起きた。


 外れるかと思われた魔弾――しかし逆に熊の左足に吸い込まれるようにして、それは確かにその強靭な筋肉を抉り取った。まるで熊の方から辺りにくるかのような光景だった。


「どれだけ予測しようと関係あらへん。こちとら()見てるんやからな――どや? うちの弾丸はちと堪えるやろ?」


 朦朧とした意識の中で、ミズキが誇らしげに呟いた。


 ――キャアアアアッ!!!


 そして彼女の呟きに呼応する形で、巨大熊が悲鳴を上げた。ズウウン! という重低音を響かせながら怪物が片膝をつく。


「やったか……!?」


 ハルトがミズキに代わって呟く。しかし、次の瞬間――


 ――キャアアアアッ!!!


 未だ殺戮の意思を残している巨大熊がその頭を上げ、咆哮と同時にその周囲の地面がデタラメに抉り取られた。


「アイツ、まだ……!」

「いや、十分な足止めだ」


 その言葉と共に、巨大熊の背後から一つの影が飛びあがった。


 影――それは人のものでも動物のものでもない。鋭い牙と眼差し、獣のように全身を覆う黒い体毛――しかしその生物はしっかりと二本の足で立って行動している。


 頭部は狼、身体は人間――人狼。


 それがその生物を目撃した人間の第一印象。変身魔法ターン・マジック。獣特有の五感の鋭さと身体能力、そして人間の頭脳と対応力を兼ね備えた戦士。


 雪風仁――狼変化ターン・ウルフ


 その両腕に装備された鉤爪かぎづめ型の魔剣ブレイドがにわかに光を帯びていた。


 跳躍――巨大熊の背中へ。そしてその首筋に深く牙を立てた。


 ――キャアアアアッ!!!


 巨大熊が悲鳴を上げ、背中のジンを必死に振り払おうとする。しかしジンもそう簡単には放さない。鉤爪を背中に突き刺し、懸命にしがみつく。


 出血により熊が倒れるのが先か、筋肉の限界によりジンが吹き飛ばされるのが先か。二頭の獣の喰い合いを中心に、巨大熊の魔法によって地面の雪が抉られ、削られ、宙に舞う。同時に飛び散る熊の血液によって、その白銀世界は真っ赤に染められていった。


 狼の唸り声と熊の悲鳴が奏でる協奏ハーモニー


 白銀の雪と朱色の血痕の対照コントラスト


 しかし永遠に続く芸術とは異なり、そのような強大な力同士の対決は、そう長く続くものではない。


「ぐっ……!」


 大きな揺れと共に、遂にジンがその牙を熊の背中から離してしまった。尚も抵抗を続ける巨大熊にまだ何とか鉤爪だけは食い込ませたままだが、しかしそれすら解放してしまうのも時間の問題に思われた。


 遂にジンの身体が空中に投げ出されそうになったその時――


「もうっ……!」

「十分だよ、ジン」


 宙を舞うジンの視界内に小さな人影が高速で侵入した。


 光を帯びた白色双剣の魔剣ブレイド――十倍にも膨れ上がった身体能力――“神童”。


「ハナッ!」

「はあっ!」


 小さな巨人はその左右の魔剣ブレイドを振りかぶり、巨大熊の鼻先目掛けて振り抜いた。凄まじいまでの威力で振るわれた魔剣ブレイドは空気を巻き込み、一種の竜巻のような光景を再現する。


 ――キャアアアアッ!!!


 悲鳴と共に熊が仰け反り、同時にハナは空中でふわりと体勢を整えた。が――


「……ッ!?」


 巨大熊の胸元――体内に蓄積された魔石が発光し、再度デタラメに“魔法”が放たれた。何もないはずの空気が破裂し、一瞬の内に発生した爆発的なまでの衝撃波――その内の一つがハナの軽い身体を吹き飛ばした。


「かっ……は!」


 ハナは生きていた。本来ならば一撃でも直撃してしまえば命を落とすことは必至の攻撃だったが、その純白の魔導着スーツ――戦闘衣裳に施された対魔法用防護術式が、少女の小さな身体を保護していた。


 しかしその衝撃は本物で、ハナは一瞬の内で自身を取り巻く空気がなくなったかのように錯覚した。肺が呼吸の仕方を忘れたようだった。胃液が逆流し、意識が一瞬にして肉体を離れかけた。


 後方へ吹き飛ばされたハナの小さな身体は、壁に背中を打ち付けることでようやく停止した。それでもまだ意識を失っていなかった。それが奇跡のように思えた。同時に今もなお空中で両手を振り回し狂ったように“魔法”を放っている巨大熊が、自分の命を奪いにきた死神のようだと、薄れ行く意識の中でそんなことを感じた。


「ハナッ!」


 ミズキの傍らでハルトが叫んだ。未だに熊の射程範囲内にいたジンがハナと同じく“魔法”の餌食になるのと同時だった。


「ジンッ! クソッ……せやけど」


 ニヤリ、とハルトが不敵な笑みを浮かべる。


「時間を稼いでくれたお陰でやな。ようやく、()()で」


 そしてその細い眼差しがにわかに見開かれると、地面に突き刺されたままの彼の右手の魔剣ブレイド――発光を続けていたその深緑の魔石が、より強い光を帯びた。


「“深緑の守護者ガーデン・ガーディアン”。その本領発揮やでえ!」


 巨大熊の足元の地面が不自然に盛り上がる。そして木の芽が一斉に湧きあがった。それはみるみるうちに太さを増していき、巨大熊を巻き込みながら、遂にはその怪物など及びもつかないほどの巨木へと成長した。


「最初のほっそい蔦とは比べ物にならんやろ? そらそうや。本気で――殺す気でやったんやからな」


 ――キャアアアアッ!!!


 声――怪鳥音――あるいは断末魔。


 巨大熊の叫びはハルトの発生させた魔法の大樹によって遮られ、あっという間に聞こえなくなった。


「やったんか……?」


 ミズキが呟いた。


「当ったり前やろ。何て言ったって俺の必殺技やで!」

「まあ、今回だけは認めたるわ」


 そしてようやく体力の戻ってきたミズキはよろよろと立ち上がる。


「よし、ほんならさっき吹っ飛ばされたジン君たちを、」


 ――キャアアアアッ!!!


 ミズキの言葉が、より一層大きくなった怪鳥音によって遮られた。


「嘘、やろ……!?」


 そのに、さしものハルトの笑みさえも凍り付いた。


 ――キャアアアアッ!!!

 ――キャアアアアッ!!!

 ――キャアアアアッ!!!


 そして全く同時に、直径数メートルはあろうかという巨木の幹が弾け飛んだ。爆散した木片が、三十メートルほど離れたハルトたちの元へも降り注いだ。


「あれでも、まだ倒せないなんて……」


 ハルトがはっと上空――師匠を見上げた。


「こんなん無理やろ! これじゃあ本当に……中止や、中止! 命が幾つあっても足りへんやろ!」


 しかし、師匠は何も言わない。無慈悲な沈黙だけがそこにあり、冷ややかな視線だけが降り注いでいた。


「じ、冗談やないで……」


 死ぬ。みんな死ぬ。


 ハルトは自分の頭の中が絶望に塗りつぶされていくのを感じた。もはや鳥肌も立たなかった。恐怖と絶望――その二つが異なる感情であることを、ようやく心底理解することができた。


 そしてそれは何も彼だけではなかった。ミズキは魔剣ブレイドを握る手が震えていることに気が付いた。ハナは意識が残っていることを後悔した。そしてジンは疲労とダメージにより狼化が解けて既に戦闘能力はないも同然だった。


 全員が生へしがみつくことを諦めたかと思われた。


 しかしただ一人――そのだけは、違った。


「やれやれ……()()がそうっすか」


 少女――ムイが、悪魔の前に立ち塞がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ