“魔気塾”
ひしひしと全身に残る痛みと痺れで、ムイは自分の身に何が起こったのか、ようやく思い出すことができた。
――そうだ、負けたのだ。自分はあの誘拐犯の女に。
そんな現実が彼女の肩にずっしりとのしかかるが、しかしそれを思い出した以上、黙って呆けているわけにもいかない。まずは自分がどこにいるのか把握し、そして拉致された親友――ユカの安否を確認しなければ。そう思い至ったムイは視線を窓の外から室内に戻した。しかし、いざ走り出そうと思った矢先、襖の一つが開かれた。
「あ、目え覚めたん?」
関西弁混じりの口調でそう言いながら部屋に入ってきたのは一人の少女だった。
少女――高校生くらいだろうか。長い黒髪を携え、赤いフレームの眼鏡をかけている。彼女の手には水の入ったタンクがあり、それが現在部屋を潤している加湿器に補給するためのものだということを推察することは簡単だった。
「ちょい待ってな、今これ入れてしまうから。そしたらみんなのところに連れたったるわ。しっかし冬は空気が乾燥してほんま嫌なるなー。肌も荒れるし。ほんでもこっちの方はまだマシかな……いや、あんまり変わらへんか。どうなんやろ」
少女はそんなことを一人ごちながら、しかし楽しそうに加湿器に水を補給していた。あるいはいつもそんな感じで、大抵のことを楽しくできてしまう人なのかもしれない。そんなことを考えながら、しかしムイは怪訝そうな顔で少女を見つめていた。
「あの、ここはどこっすか。関西ですか? あなたは一体……」
「ん?」
ムイが呟くと少女が顔を上げた。
「なんや、まさかあんた何も知らんでここに来たん?」
コクリとムイが頷くと、少女は心底驚いたように目を丸くした。思わずムイの方が何かマズイことを言ってしまったのかと思うくらいだ。
「おっどろいた。そんな人おるんやな」
「あの、それで質問には答えてもらえるんすか」
緊張した口調でムイが尋ねた。口を開きつつも彼女の視線と意識はその室内に何か武器になりそうなものがないか探していた。今の彼女の手元にはいつも使っている魔剣はない。仮にこの目の前の少女が敵対する人物なら、何か武器を見つけなければならないだろう。
「そない怯えんでもええよ。別に取って食べようとか考えてへんから。そやなぁ……」
少女は少し考えるように視線を泳がせ、
「ほんならまずみんなのとこに連れたったるわ。その方が説明もしやすいと思うし。師匠もおるし。うん! そうしよ!」
そう言って少女が明るい笑みを浮かべて見せた。かと思えばムイの元に歩み寄って来てその手を取り、ずんずんと歩き出す。その勢いもあって、ムイは黙って従わざるを得なかった。 その強引さを前に、何となくユカのことを思い出した。
部屋の外はさらにひんやりと冷え込んでいた。白銀世界の外に比べれば圧倒的に暖かいのだろうが、しかしそれでもまるで冷蔵庫の中にいるようだ。
長い長い廊下は一歩歩く度にギシギシと音を立てる。趣は立派だが、もしかしたらかなり老朽化が進んでいるのかもしれないと思った。しかしそれでも目に見える範囲――廊下や他の部屋の襖などにはきちんと掃除が行き届いており、古さよりも長年使われることで生まれる“味”のようなものを感じた。
角を一体何回曲がっただろう。それだけでこの屋敷の広さが窺えるが、ムイの手を引いて進む少女が遂にその足を止めた。そしてパッとムイの手を放すと、その目の前の部屋の襖へと手をかけた。
「おーい! 新人が目え覚ましたで!」
言いながら少女が部屋に入っていく。ムイは慌ててその後を追った。
部屋はこれまた広く、先程までムイのいた部屋を軽く上回るほどの面積だった。しかし部屋の隅にはヒーターが二台も温かな空気を懸命に吐き出しており、室温はむしろ高いように感じる。そんな部屋の中央には何やら資料が広げられたテーブルが置かれ、その周りを三人の人間が囲んでいた。
「新人のくせに随分遅いお目覚めやな」
だらしなく畳に寝そべった少年が、身体を起こしながらムイに視線を向ける。あちこち跳ねた髪の毛と細い糸目が特徴の少年だった。年齢は先程の少女と同じく高校生くらいだろうか。
関西弁の少女がムイに代わって弁解する。
「しゃあないやん。来た時は何やボロボロやったんやし」
「そやっけ?」
「せやで、まったくあんたは年上のお姉さんにしか興味ないんやから」
「言うてもやっぱガキはあかんわ。女の人は年上で包容力のあるお姉さんやないとな」
そう言って少年はにっと下卑た笑みを浮かべた。その話口調から彼がそれなりの女好きなのだろうと想像することができた。加えてこの関西弁の少女との関係性や話し方を見るからに、二人はそれなりに長い付き合いなのだろうということも推測することができる。
「な! お前もそう思うやろ、ジン」
「興味ないな」
そう答えたのは糸目の少年とは対面に座る別の少年だ。ジンと呼ばれたその少年は腕を組み静かに瞳を閉じている。顔つきや筋肉質なその体形から、糸目の少年とは打って変わって硬派な印象を受けた。
「まったまた~。素直に好きです言えや、このムッツリめ」
からかうように言う糸目の少年に対して、弾劾の意を込めるように筋肉質な少年が静かに目を開いた。その視線はまるで野生の獣のような鋭い眼光を放っている。しかし文句を言うのは無駄だと判断したのだろう、彼はすぐにまた静かに瞳を閉じるのだった。
「まったくつまらん男やなあ」
「ほら、またアンタはそんなアホなこと言って。ジン君困らせたらアカンで?」
「何言うてんのや。男で綺麗なお姉さんが嫌いな奴がおるかいな」
「あんたらそのくらいにしな」
口を開いたのは上座に座る高齢の女性だった。眼鏡をかけ、パイプ煙草を咥えている。その低い声の口調からは芯の強さを窺うことができ、現に彼女が発したほんの一言で場の空気が緊張で引き締まるのを感じた。
白髪交じりのその女性が杖を片手に立ち上がり、ムイをジロリと見た。彼女の態度と周囲の反応を見れば、彼女こそこの場を掌握している人物だということは明らかだった。きっと先程少女が言っていた“師匠”とは彼女のことだろう。
「あの、ここはどこなんすか? それに、あなたは一体……?」
「ふん。ショウの奴はあんたに口の利き方も教えなかったのかい。質問をする時は挨拶が先だろうに」
「はあ、すみません……って、父を知っているんですか?」
「知ってるも何も、あんたをここに預けたのはあんたの親父だよ。まあ、詳しくはあいつに聞きな」
「あいつ?」
ムイが聞き返すと、丁度彼女が入ってきた襖とは別の襖が開かれた。
まず入ってきたのは一人の少女だ。小学生くらいに見えるその少女は眠たげな――あるいは如何にも退屈そうな表情を浮かべている。見ただけで分かるほどに細くさらさらとした髪の毛を携え、そして髪の毛同様、その細い手にはムイが使っているのと同じような短剣型の魔剣がそれぞれ握られている。
「いやはや、師匠の言う通りですね。すごい才能を持ってますよ、この子は」
続いてそう言いながら部屋に入ってきたのは三十代前半くらいの女性である。ショートカットの髪の毛が年齢よりも彼女を若く快活に見せており、その彼女も右手に槍型の魔剣を持っている。
そしてその女性に、ムイは確かに見覚えがあり、思わずあっと声を上げていた。
「誘拐犯!」
「ちょっ、人聞きの悪いこと言わないでよ」
「ユカさんをどうしたんすか!」
「落ち着いて。ちゃんと説明してあげるから」
今にも飛びかからんばかりのムイを制止しながら女性が言った。
「って言っても私から聞いたんじゃ信用してもらえないだろうから……」
女性がポケットから携帯電話を取り出し、どこかへ電話をかける。
「……あ、もしもし、先輩ですか? ……ええ、はい、目を覚ましたので……はい、説明してもらえると助かります」
そして携帯をムイの方へ差し出した。ムイはそれを訝しげに受け取った。
「……もしもし?」
《おお、ムイか》
「その声……親父?」
《ああ。どうやらリンとはもう会ったみたいだな》
それはムイの父親――ショウの声だった。
「どういうことだよ、親父。ちゃんと説明してくれるんだよね?」
電話の向こうで煙草の煙を吐く音が聞こえた。そしてショウが答える。
《今お前がいるのは岩手の山奥。そこにいる女――東雲凛が連れて行った。そいつは俺の学生時代の後輩で、誘拐犯なんかじゃあない》
「ちょっと待ってよ。それじゃあユカさんの誘拐は……?」
《んなもんねえよ。狂言誘拐って奴だ。晴海由佳には事前に説明して協力してもらった》
「なんだ……」
ユカが無事だと知ってムイは心底安心したのか、一気に力が抜けるのを感じた。しかしまだ全ての疑問が解消されたわけではない。ショウの話を聞いてむしろ謎が増えたと言っても過言ではないだろう。
「ちょっと待って、じゃあ、どうしてそんなことを……?」
《そうでもしなきゃ、お前は戦おうとしねえだろうが》
「そんなの……わたしの勝手じゃん。戦うのも戦わないのも」
《お前は逃げているだけだ。違うか?》
「それは……」
答えに戸惑っているムイに構わず、ショウは続ける。
《魔剣を見りゃあ全部分かるぜ。こちとら毎日整備してるんだからな。お前、自分の限界を感じるのが怖いんだろ》
「……」
それはムイの核心を突く言葉だった。
シルバーウィーク――羽柴勇人、風間実、そして雨宮彼方との対戦を通してもしかしたら自分はかなり強いのではないかと思っていたムイの自信は、羽柴優斗との戦いを経て木端微塵に打ち砕かれることになった。結果として勝利を収めることはできたが、しかしそれは偶然のおかげであり、彼女自身、自らの力不足を感じざるを得なかった。
それでも羽柴優斗の情報によれば、彼を遥かに上回るほどの実力者がいるのだという。ムイはそんな彼らと戦うのが、怖かった。戦うことが怖いわけではない。彼女は自分が知らずとはいえ長年培ってきた技術が敗れるのが怖かったのだ。もし万が一にでも敗北して自分の努力が否定されることになってしまったら、それは自分の存在自体をも否定されるような気がしてならなかった。そしてそれこそが彼女がシルバーウィーク以降、試合を断り続けた理由でもある。しばらくは自らの研鑽に集中するつもりだった。
《だがな、ムイ、お前はもう独学じゃあこれ以上強くなることはできねえ》
「そんなこと……」
やってみなければ分からないじゃないか。そう告げようとしたムイだったが、しかしその言葉があまりに空々しいものだと気づいてすんでのところで飲み込んだ。自身の技術向上を目標にしていた彼女だが、しかし同時に父親の言う通り自分の可能性の限界を感じていたのだ。現に先のリンとの戦闘では、文字通り手も足も出ない有様だった。
「じゃあ、どうすれば良いの?」
《そこで修行しろ》
「そこって……」
ムイは再度、現在いる部屋を見回した。他の面々はムイの電話が何やら真剣なものだと察したのだろう、ただ黙ってその通話が終了するのを待っていた。
《そこは“魔気塾”って言ってな、お前みたいに強くなりたい奴を集めて魔導戦の技術を叩き込む場所だ。そこにいるババアは侮れねえぞ。何せリンに戦い方を教えたのはそのババアなんだからな》
そう言われて再度ムイは“師匠”と呼ばれていた老婆を見た。彼女は何食わぬ顔でまた席に戻っている。それから自身を打ち負かした女性の方にも目を向ける。彼女の強さは本物だ。只者ではないということは確実だった。
「親父も、あの人に教わったの?」
《俺か? 馬鹿言え。俺は天才だからな。そりゃあ学んだことがないと言えば嘘になるが、基本的には独学だよ》
「……」
ショウの言葉は嘘だと、ムイには分かった。長年の付き合いから生じる勘と言っても良いかもしれない。そしてムイは少し考えて、また口を開いた。
「ここで習えば、わたしはもっと強くなれるんだよね?」
《さてね、そいつはお前次第と言っておこうか》
「何それ……」
《で、どうするんだ》
ムイはさらに考える。
今後、魔導戦を続けていくと決めた以上、さらなる戦力増強は必要不可欠だろう。それがムイだけの望みならいい。しかしおそらく、今後どのような進路を選ぼうが親友――ユカは自分に結果を求め続けるのは明らかだった。
確かにユカの期待に一々応え続ける義務はない。しかしムイは、それでも可能な限り親友の願いは叶え続けたいと思った。
――いや、違うな。
ムイはそこまで考えて、しかしその考えを自身で否定した。
ユカが望むからではない。自分が望んでいるのだ。強くなることを。限界へ挑戦することを。もし現在の自分にさらに先があるというのなら、その景色を是非とも見たくなった。
「……分かった。わたしやってみるよ、親父」
《そうか》
電話の向こうから短い返事が返ってきたかと思うと、“師匠”がちょいちょいとムイを手招きした。ムイはその指示に従いその老婆の傍まで行くと、電話を渡すように手を差し出してきたのでそれに従った。
老婆が電話を耳に当てて口を開く。
「本当に良いんだね、ショウ?」
またもや低い声だった。それは彼女が真剣な証拠だろう。
「……分かった、あんたがそう言うなら特別に面倒みるよ」
老婆はそう言って電話を切った。どうやら話がまとまったらしいということを、ムイは察した。老婆は電話をリンという女性に返すと、ムイの方を向き直して口を開いた。
「ようこそ霧野夢衣。ここは魔気塾。あたしのことは“師匠”と呼びな」
ムイは頷き、「お世話になります」と頭を下げた。
東雲凛。
所属……???
得意魔法……電撃魔法。
パワー……B スピード……B スタミナ……A 火力……A 射程距離……A