一つの戦いの終わり/あるいは始まり
「俺の負けだな」
ムイが控室に戻ると、ユウトが現れて言った。何の後悔もない、完全燃焼したスポーツ選手の顔だった。
二人が対峙すると、ユウトが続ける。
「あの流氷に魔剣が刺さっていたのは君の計算か?」
「いいえ、完全に偶然でした。あなたの魔法を横から受けた時、あの流氷が見えたんす。だから本当に僅かだったかもしれないっすけど、空中に投げ出された時、あの流氷の方へと“力場”を発生させて身体を動かしたんです」
「あの流氷に魔剣が刺さっていたと気づいていたのか、驚いたな」
「わたし、記憶力だけは良いんすよねぇ」
そう言って、ムイは照れ臭そうにはにかんだ。しかしすぐにまた真面目な顔を作って続ける。
「それでも、わたしの方が強いなんて思ってないっすから。わたしが勝てたのは、完全に偶然です。実力じゃあ……」
到底敵わない。そう言おうとしたムイを、ユウトが首を横に振って制止する。
「いいや、君は強かったよ」
「はあ」
と、生返事しつつも、自然とその顔はほころんでいた。ユウトの言葉は彼女にとって何より嬉しい賛辞だった。そして改めて自分が魔導戦という一つの競技にのめり込んでいることを実感した。
「俺と戦ってくれてありがとう」
そう言ってユウトがそっと右手を差し出し、ムイもそれに応えた。
「こちらこそ、楽しかったっす」
二人の間には奇妙な友情があった。たった一度の戦闘――時間にしてもニ十分あまりの出来事でしかなかったはずだが、しかしまるでもう何年も互いに切磋琢磨してきたような、不思議な信頼関係が築かれていた。
「キリノ!」
バンッとドアが開かれユカが控室に飛び込んできた。そして勢いそのまま、ムイに抱き着く。ムイはその反動で倒れそうになるのを両足を踏ん張って何とか堪えた。
「あんた本当にすごいよ! 全国ベスト4に勝っちゃうなんて!」
「ちょ、ハルミさん苦しいっすよ」
苦笑しながらされるがままにされていると、入り口からミノルとカナタが入ってくるのが見えた。二人ともまるで自分のことのようにムイの勝利を喜んでくれているようだった。ハヤトだけが部屋に入って来なかったが、しかしドアの脇に彼の服の端が見えた。おそらくドアの外で待機しているのだろうということが分かった。
ようやくユカに解放されたムイは、ゆっくりと歩み寄ってくるミノルとカナタに目を向ける。
カナタが言った。
「おめでとうございます、ムイさん」
「あざっす、カナタさん」
「私も負けていられませんね」
「おや? ということはまた魔導戦に?」
コクリ、とカナタが小さく頷いてみせた。ムイからすればカナタがこれまで魔導戦をやってきた――やらされてきた理由を知っているから、再び魔導戦に戻るというのが嬉しかった。
「今度は真っ当に、頑張るつもりです。ですからムイさん、次に会う時は例え敵であろうと味方であろうと、よろしくお願いします」
真っ白な少女はそう言うとすっと右手を差し出した。ムイはニヤリと笑みを浮かべて、その握手に応えてみせた。ムイもカナタも、次に戦う時はお互いにさらにパワーアップしているであろうということを確信していたが、しかし同時に負けるつもりもなかった。
「本当に、君はすごい人だよ」
カナタの隣で、ミノルが言った。
「本物の天才というのは、きっと君のような人を言うんだろうね」
「買い被りすぎです。わたしはただのしがない中学生っすよ」
「それじゃあ高校でも魔導戦を?」
「そうっすねぇ……」
ムイは少し考えるように視線を泳がせた後、答えた。
「先のことは分からないっすけど、何らかの形でも魔導戦を続けていけたら良いと思ってます」
それから彼女はユカと顔を見合わせて、二人はまた笑みを浮かべた。ムイの笑みはユカに魔導戦を始めるきっかけを与えてもらった感謝の笑み、そしてユカの笑みはそんな魔導戦を親友が続けてくれると発言したことに対する嬉しさを表す笑みだった。
「それじゃあ、もしかしたらどこかで僕の妹と会うことがあるかもしれないな」
「妹さんっすか?」
「ああ」
ミノルが頷く。
「今は君と同じ中学生だけど、来年から京都の強豪校に入学することが決まっている。僕の出身校でもあるんだけどね。ただ一つ言いたいのは、妹は僕と違って才気あふれる存在だってことさ。身内贔屓を除いてもね。あるいは君と同じか、それ以上の実力かもしれない」
「わたしと同じかそれ以上の相手っすか……」
想像してムイは何だか楽しくなった。そして既に体力の限界だというのに強敵との対戦を心から楽しみになっている自分を認識して、再度驚いた。
「分かりました。覚えておきます」
そしてムイはミノルともがっしりと握手を交わした。
二人が手を離すと、ミノルはユウトの方へと視線を向ける。
「羽柴、君からも前途溢れる若者に何かアドバイスを送ったらどうだい?」
するとユウトはふっと笑みを浮かべて「そうだな」と頷いてみせた。そして再度ムイの方を見直して口を開く。
「俺は今年の大会でベスト4……だが、それより上の連中は俺とは比べ物にならないほどの実力者ばかりだと言っておこう」
「そんなにヤバイんすか」
「ああ」
ユウトが神妙な面持ちで頷く。
「彼らはもはや人間の強さを超越していると言っても過言ではない」
「へぇ」
ムイは再度ニヤリと笑みを浮かべる。
「じゃあ、楽しみにしてます」
「君なら本当に勝ってしまいそうだな」
そう言うと、ユウトはゆっくりと歩き出した。そして扉に手をかけながら、こう告げた。
「それじゃあ霧野夢衣、またどこかで会おう。お前は強かったよ」
改めて言われた賛辞――ユウトの背中に、ムイは無意識の内に深く頭を下げていた。
そんな彼女にエールの意思の視線を向けてから、ミノルとカナタも控室を後にした。そしてその部屋に残されたのはムイとユカだけである。
ムイがようやくそのポニーテールの頭を上げると、ちょうどユカと目が合った。そして今度は彼女が口を開く。
「それでキリノ、試合の前に言ってたお願いって結局何なの?」
「ああ、それっすか。それは、その……」
ムイはもじもじと、まるで言いにくいことを切り出そうとしているかのように左右の手を絡ませ、せわしなく動かしている。
「えっと、わたしとハルミさんの付き合いももう随分長いじゃないっすか」
「中学に入ってからだから、もう今年で三年目ね」
「それでその……」
かなり迷っている様子のムイだったが、意を決したのかばっとユカの方を見た。
「わたしのことを下の名前で呼んでくれないっすか!」
大きく張ったその声に、ユカは思わず一瞬キョトンとした顔を浮かべる。しかしすぐにその言葉の意味を飲み込んだのか、あまりのくだらなさに、そしてそれを如何にも必死で伝えようとしているムイに、思わず笑みが零れた。
「そんなことだったの、お願いって」
「む……そんなことで悪かったっすね。これでも結構緊張してるんすよ。長いこと苗字呼びだったのを、今さら名前で呼んでくれなんて」
そう愚痴を溢すと、ユカは今度は「アハハ」と大口を開けて笑って、そして目元の涙を拭って答えた。
「分かった。あんたのこと、ムイって呼んであげる。その代わり、私のこともちゃんとユカって呼びなさいよね」
それを聞いたムイはぱあっと顔を明るくした。そして一つ咳払いを挟むと、照れ臭そうにユカの顔を見た。
「あの、それじゃあ、これからもよろしくお願いします……ユカさん」
「フフ、こっちこそよろしくね、ムイ」
「ムイって……えへへ……」
名前を呼ばれて小さく笑みを浮かべるムイを見て、思わずユカからも優しい笑みが零れた。
そして親友同士であるムイとユカは、その手を握り合って歩き出した。
こうして、一人の少女の成長物語――その銀色の一週間の幕が閉じたのだった。
「魔導戦開始編」完結です!
次回より新章「魔気習得編」スタート!