白の世界/戦う理由
いつも見る夢と今見ている夢は、明かに異なるものだった。
白い世界――何もない空間。
匂いもなければ音もない。炎が煌めくことがなければ、風が吹くこともなかった。
しかし、そこには自分自身がいた――ムイ自身が。
そんなことは初めてだった。これまで夢の中に炎やら風やらが発生したことはあったが、しかし自分自身の存在を認識できたことは、これまでにないことだった。
しかも不思議なことに、ムイは魔導着を着て、その両手には魔剣が握られていた。足元の感覚はひどく不安定で、まるで普段使っている“力場”の上に立っているのと似ている。ただし“力場”は一秒でも踏みしめているとすぐに崩れてしまうから、現実のそれとはやはり異なっているようだった。
ムイは視線を両手から前へ――正面を見据える。
どこまでも続く白。雪国でもここまで真っ白な景色にはお目に掛かれないだろう。
「はー、これ、どこまで続くんすかねえ」
徐に彼女は魔剣に魔力を流し込んだ。
柄部分に埋め込まれた白色の魔石がにわかに光を放ち、放出された魔力は一気に固まり、“力場”に姿を変える。ムイはひょい、と“力場”に飛び乗り、それをさらに蹴って次の“力場”へ――トン、トン、と軽い足取りで上空へと登って行った。
白がどこまでも続く。続いていく。終わりなどないかのように。
しかし、終わりはなくとも始まりの存在は理解できた。
ここから何かが始まっていくのだ、と。それが何かは分からなかったが。
一体どれだけ上ったのだろう。景色は変わらず白のままだったが、ムイにはそれがなぜだか妙に心地よく感じた。
とある少年はこう答える。
「魔導戦をやる理由? んなもん、楽しいからに決まってんだろうが。ギリギリのバトルをしている時なんてマジで最高だしよォ、それに勝った時なんかは堪んねえな。それはそうと、テメエ、来年の全国大会には絶対出てこいよな! 何がなんでもぶっ飛ばすからよォ……!」
また別の少年はこう答える。
「そうだなあ……対等でいられるから、かな。魔導戦をしている間だけは僕はただの一人の選手でいられるから。会社や一族の名前なんて関係なくね。でも、それももう終わりかな。僕は重圧から逃げていただけかもしれない。これからは実際に戦わずとも魔導戦と関わっていく方法を考えていくつもりさ」
別の少女はこう答えた。
「期待に応え、生きていくためです。いえ、ためでしたと言う方が正確ですね。今はそんなことないもの。でも、一回魔導戦から離れてゆっくり考えてみたらね、不思議なことに私はそんなに嫌いじゃなかったんです、魔導戦が。だから――今すぐには無理かもしれないけれど、またいつかやってみたいと思っています。その時はリベンジマッチ、お願いしますよ?」
そして、霧野夢衣は考える。
魔導戦をしている人間にはそれ相応の理由があるのだ、と。それに対して自分はどうだろう。ただ状況に流されているのではないだろうか。
たとえばユカのこともある。彼女に頼まれたからムイは戦ったとも言えよう。ただムイ自身はというと、ユカに理由を求めてはならないと感じていた。他人に理由を求めるということは、他人に責任を求めるということだ。少なくともユカに――親友にそれをするのは我慢ならなかった。
「理由……理由、ねぇ」
ムイは空を見上げながらそう呟いた。
シルバーウィーク最終日。河川敷の草原に寝転がりながら、彼女は物思いに耽っていた。
そこに来たのは特に大した理由はない。ただ何となく自分がこれまで戦ってきた相手がどんな理由でそうしてきたのかが気になり、彼らを訪ねた帰り道で疲れたから休もうと思っただけだ。ちょうど昨日の雨も乾いていたから、それも理由かもしれない。
ムイがなぜ“戦う理由”なんてものを気にし始めたかというと、直接的な理由としては昨晩のカナタとの試合が大きかった。しかしそれがなくても、いずれはこう悩んでいただろう、とムイは思う。
それはそうとして、ユカはなぜ魔導戦をやっているのか、ふと気になった。
ミーハーな性格の彼女のことだから、ムイにしてみれば大方つまらない理由なのだろう、と思いながら、それとは逆に案外それなりに重い理由があるのかもしれないと思った。どちらにせよ、他人の戦う理由に自分がどうこう言う権利もない。
そんなことを考えていると、ムイの顔に影がかかった。
「やあ」
それは見覚えのある好青年だった。
羽柴優斗――全国ベスト4。ムイが知る限り最もランキング上位に位置する男。
「どうも」
ムイは身体を起こすことなくそう挨拶を返した。
「こんなところで何をしているんだい?」
ユウトがムイの傍らに腰かけながら尋ねる。
「別に―。考え事っすよ」
「驚いたな。君も考え事なんてするのか」
「む……さり気に失礼な人っすね。そういうあなたこそ、こんなところにいて良いんすか?」
「というと?」
「何か、ほら、魔導戦の練習とか……あ! 今日じゃなかったっすか、天ヶ崎学園との試合」
ムイがそう言うとユウトは肩を竦ませて、
「それが問題なんだ。一昨日の襲撃でね、うちのチームも風間のところもまともに戦える選手がいなくなってしまった」
襲撃――ムイはカナタのことを思い出す。本来ならば彼女のやったことは褒められることではないし、責められるべきことなのかもしれない。しかし彼女の戦う理由を聞いてしまった今では、少なくともムイには責められることではなかった。
「試合は中止。おかげで俺はこうして暇を持て余しているってわけさ」
「はあ……てか、昨日はどちらに? こっちはなかなか大変だったんすよ」
「その件に関しては改めてお礼を言わせてもらうよ。ハヤトたちのわがままを聞いてくれてありがとう。実は昨日の俺は、ちょっと関西の方に出向いていたんだ。野暮用でね」
「野暮用」
復唱したムイに、ユウトが頷いてみせる。
「そう、何てことのないつまらない野暮用さ。まあ、そのついでにスカル・スネイクを壊滅させられたから、それはそれで良かったがね」
「壊滅?」
思わず聞き返してしまった。
「トップ五人に試合を申し込んだのさ。自慢じゃあないが、俺は全国ベスト4、向こうに断る理由はないさ」
「それで、その五人をやっつけたんすか」
「まあね。流石に五人同時に相手取るのは骨が折れたが」
「……」
ムイは返す言葉を失っていた。スカル・スネイクのトップ五人と言うと、昨晩戦ったカナタと互角かそれ以上だろう。それを同時に相手にして、それも勝利しただなんて、とてもではないが信じられなかった。
「羽柴さんのお兄さんは、どうして魔導戦をやっているんです?」
ふと、ムイは尋ねていた。ユウトほどのプレイヤーがなぜ魔導戦をやっているのか、純粋に興味があったからだ。
「そうだな……」
ユウトは少し考えてから答える。
「直接的なきっかけはもう覚えていないが、今俺が魔導戦をやっているのは、きっと自分より才能のある人間を見るのが好きだからだろう」
「才能っすか。でもお兄さんほどの才能の持ち主なら、自分より才能のある人を探すのも大変そうっすね」
「そうでもないさ」
ユウトはふっと笑みを浮かべる。
「例えばハヤトがそうだ。あいつは俺にない才能を持っているよ。今は経験と練習が不足しているがな。それと――」
彼は改めてムイを視界に捉えると、
「霧野夢衣、君もそうだ」
「わたしっすか? 買い被りすぎじゃないっすかね」
「俺は人を見る目は確かなつもりだ。君は間違いなく天才だよ」
「そんなことあるわけないじゃないっすか。初心者っすよ、わたし。それに第一、わたしは魔法使えませんし」
「別に魔法の有無が魔導戦の才能ではないよ。それが全てなら、俺は今年の全国大会で優勝している」
「はあ。大会での相手はどんなんだったんすか?」
ムイが尋ねると、ユウトの表情は真剣そのものに変わった。少なくとも雑談の感覚で話すことではないことなのだと、ムイは直感する。
「言うならば魔法の通じない相手さ。そういった相手とぶつかった時、魔法にばかりに頼った戦い方では当然勝てないだろう?」
「そりゃそうっすね」
むくり、とムイは身体を起こした。そこにユウトが口を開く。
「どうかな、霧野夢衣、俺と対戦してみないか」
「……」
「おや? 俺はてっきり即座に拒否されるかと思っていたが」
「まあ、なんか、正直やってみるのも良いかなってちょっと思うんすよねぇ」
「ほう……」
この返事には流石のユウトも驚いたようで、一瞬だけ目を丸くしていた。
「それは……どういった心境の変化かな?」
「昨日の試合、確かに疲れたし、苦しかったんすけど……なあんか、悪くなかったんすよ。何て言ったら良いか分からないっすけど」
「なるほど」
ユウトは柔らかな笑みを浮かべる。
「何ニヤニヤしてるんすか」
「いや、俺はその気持ちを何ていうのか知っているよ」
「へぇ。何て?」
「“楽しい”って言うのさ」
「楽しい……」
すんなり受け入れるのは何だか悔しかった。楽しいという感情を。それはこれまで魔導戦を嫌悪していた手前もあるし、そもそも彼女自身、ここまで大きな感情の変化があったのは初めてだったからだ。
「今晩八時、いつもの闘技場で待っているよ。気が向いたら来ると良い」
ユウトはそう言うと立ち上がり、ムイに背中を向けて歩き出した。
「楽しい……」
一人残されたムイは再度、ユウトに言われた言葉を繰り返した。