白の少女/白の流星
ゆらり、とムイは立ち上がった。足元の悪さが、皮肉にも彼女を救った。マンホールから飛び出ようとした時、下水管内の地面が濡れていて足を滑らせたのだ。もしあの時足を滑らせずに完璧な攻撃をしていて、それでも避けられたのなら、今の攻撃で負けていただろう。
頬を伝うのは汗か雨の雫か――泥にまみれた右手で僅かにその頬を拭う。すっかり肩を弾ませてはいるが、その目はまだ死んではいなかった。これほどまでの砲撃を相手にしながら、しかしムイはそのことごとくを回避してきた。
視界にカナタを捉える。
「ようやくっすか……ようやく、捉まえましたよ、あなたの魔法」
魔剣を構える――魔力を流し込む。
そして爆発的な加速で、その身体を射出した。
空中に“力場”を発生――不規則に軌道を変えつつ――跳躍。
「これで、終わりッ!」
カナタの魔剣がこれまでにないほど強力な光を放った。
その瞬間、彼女にとって信じられないことが起こった。
向かってくるムイが、その両目を閉じていた。
ムイの急停止――回転――踊るように。
その刹那――甲高い金属音。彼女の白い魔剣は火を吹いた。いや、火花を走らせたという方が正確か。
それは金属同士の激突からなる火花だった。彼女の演舞はそれだけに留まらず、さらに二度三度と魔剣を振るう。
それは一瞬の出来事だったかもしれない。しかしカナタは確かに自分の技が敗れたのだと悟った。
激突――弾き飛ばされるカナタの“魔法”。
ムイがふっと息をつく。
「なるほど、これがカナタさんの魔法の正体っすか」
弾き飛ばされ、コンクリート壁にめり込んだそれを見てムイは頷いた。まるで自分の予測が当たったかのように。
「ヒントは二つ――まず羽柴の弟さんと風間さんの証言っす。何人もいたクラブメンバーが一撃で負けた……この負けってのは、つまりフィールドの外に転移されたってことっすね。では、魔導着が転移するのはどんな条件か。耐久値がゼロにされた場合、そして相手の魔剣が接触した場合っす」
カナタは何も言わない。
ムイは構わず続けた。
「そして次のヒントは攻撃のタイミングっす。あなたはわたしがどこかに隠れた時、さらに言うならば視界が狭い時にしか攻撃してこなかった。――魔法の正体を隠すためっすね?」
“白い死神”という異名は広く知られていたにも関わらず、その魔法に関する情報は極端に少なかった。それはこれまでの戦いでも魔法の正体を隠す立ち回りをしてきたからだろう、とムイは推測を付け加える。
ムイはカナタの“魔法”がめり込んだ壁まで歩き、それを覗き込んだ。そして「はー」と感心するような息を漏らす。
「なるほど、よく考えたものっすねぇ。遠距離攻撃は遠距離攻撃でも、魔剣を直接飛ばして攻撃しようだなんて」
そこにはにわかに魔石の輝きを帯びたゴルフボールほどの大きさの鉄球が埋まっていた。
魔導戦のルールにおいて、魔剣の定義は二つだけだ。
一つ、魔石を含んでいること。
二つ、魔石以外に刀身の部分があること(ただし刀身は“剣”の形をしていなくても構わない)。
この二つさえ守っていればどんな形でも、どれだけ持ち込んでも良いことになっている。逆に言えば、この条件を満たしていれば、それは魔剣と判断され、直接攻撃すればそれだけで勝利できるというわけだ。
おそらく、とムイは切り出した。
「カナタさん、あなたの魔法は“物体を自由に飛ばす魔法”なんじゃないっすかね?」
魔法を発動するための魔剣は当然ながら現在カナタが持っている平たいそれだろう。そしてその魔石の周囲にある幾つかの窪み――それが発射するための魔剣を収納していたのだ、とムイは答えを出した。あるいは発射するのに必要な射出台のようなものだ。
そしてそれはカナタにしてみればまさに図星――百点満点の答えだった。
カナタの戦い方は、分かってしまえばシンプルそのもの。
平たい方の魔剣で魔法を発動――張り付いていた球状の魔剣を弾丸のように射出。
いや、それは空中で自由に操れるから、弾丸というより誘導ミサイルに近いかもしれない。あるいはドローン爆撃機か。とにかくその複数の鉄球で敵を包囲し、攻撃するのだ。視界の外から。そしてその内の一つでも相手に当てることができれば、魔剣で斬られたものだと判断され、相手の魔道着は転移を始める。
それが、カナタがこれまでやってきた一騎当千の戦いの正体だった。
「確かに強力っすけど……強力すぎましたね。今まで敵を一撃で葬ってきたからこそ、あなたはわたしの接近で動揺してしまった。だから攻撃が単調かつ単発式になってしまいましたね。あなたの魔法の強みは全方位からの同時攻撃なのに」
だから、と彼女は言葉を繋ぐ。
「あなたの攻撃は見えました。ええ、はっきりとその鉄球がね。さて――」
再び視線と魔剣をカナタへと向けた。
「まだ、続けるっすか?」
「……フフ」
カナタはゆっくりと魔剣を構える。すると彼女の周囲に、およそ十個ほどの鉄球が集まってきた。フワフワと浮かぶそれは雨も手伝って意識しなければ見ることは難しいだろう。
「さっき目を閉じていたのは……?」
「ああ、雨の音を聞くためっすね。物体も魔法も、宙を裂く音より雨を裂く音の方がよく聞こえますから」
「フフフ……一体どこでそんな技を身に着けたんですか?」
「どこって言われましても」
それは出前の最中だった。毎日やっていれば当然天気の悪い日もある。天気が悪ければ視界も狭くなる。そうすると通行人がまともに見られなくなる時があるのだ。そんな時、有効なのはむしろ視覚より聴覚だった。歩く音や雨が傘を叩く音は、よく聞こえる。
「あなたは本当に面白い人ですね、ムイさん」
「そうっすか? 別に普通の中学生っすけど」
「いいえ、あなたは特別よ……でも、だからと言って――私の魔法が分かったからと言って、それでも負ける道理はないわ。あなたにこの同時攻撃を避けられるかしら?」
魔力に集中――鉄球への伝導――高速射出。
カナタの周囲に浮いていた球型魔剣が、一斉にムイに牙を剥いた。
「無駄っすよ。その攻撃は、もう見ましたから」
もはや目を閉じて聴覚に集中する必要もなかった。
超高速で迫りくる弾丸。
一つ目――右手の魔剣で――弾ける火花。
二つ目――左手の魔剣で――鉄球が地面にめり込む。
左右両方からの同時攻撃――ムイは右へ高速ステップ――先に到達する鉄球を、左へ跳ね返す。鉄球と鉄球は空中で激突し、でたらめな方向へそれぞれ飛んでいった。
ゆっくりと前進――次々に迫りくる鉄球を弾き、跳ね返し、撃ち落として進んでいく。
そして――
「これで、弾切れみたいっすね」
最後の鉄球を魔剣で上空に打ち上げた。
「そん、な……!?」
打ち上げられた鉄球を見上げながら、カナタは呟いていた。
そんなことがあり得るだろうか、と。
――そんな、ことが……。
「あるはずないっ!」
カナタの魔剣が輝きを放つ。だが、もう彼女が使える弾丸はない。しかしカナタはそのまま、ムイに向けて刃を振るった。
ガキンッ、と魔剣同士がぶつかって鍔迫り合いになる。
「私は負けるわけにはいかない! 負けられない!」
「カナタさん、あなたは何のためにそこまでして戦うんです?」
一度離れ再び魔剣同士が交わる。
「勝って、プロにならなきゃ……私に意味はないのよ!」
「ハァ?」
眉をひそませながら、ムイはカナタの攻撃を受け続けた。先程までの弾丸の嵐のような攻撃に比べれば、もはや止まっているに等しい攻撃だ。
「意味がないって、あなた何言ってんすか?」
「だって……そうしないと父さんが……」
「父さんが?」
「父さんに、捨てられてしまうから!」
精一杯の力を込めて、カナタは剣を振るった。
ムイはそれを左右の剣を交差させて正面から受け止める。通常ならばカナタの方が圧倒的に腕力は上だろう。だが、ムイには魔力で作った“力場”があった。逆にカナタの魔剣を空中に弾き飛ばす。
その彼女の表情は真剣そのもので、いつもの眠たげな眼差しの面影は微塵も感じられない。
「そんな……!?」
「父親とかプロとか……勝たなければならないとか負けられないとか……そんなの全部、どうでもいい――どうでもいいんじゃあああ!」
それは付き合いの長いユカでも聞いたことのないような怒号だった。
そしてムイはその勢いのまま、カナタの胴に魔剣を振るった。