白の少女/奇襲
雨宮彼方は考える。
どうすればあの強敵に怪我一つ負わせることなく勝つことができるのか。それも自分の魔法がどんなものなのか悟られずに。
先程の建物内への奇襲は、相手の位置からほんの少しずらしたものだった。掠っただけでも勝てる魔法なのだから、わざわざ直撃させる必要はない。しかしほんの僅かでも力を抜いただけでかわされてしまったのだから、あの判断はやはり間違いだったのだろう。
それは確かに実力ではなく運の成せる技かもしれない。だが運だけで回避されるほど、彼女は弱くないつもりだった。
さて――
カナタは左手を顔の前に持ってくる。端末のレーダーを見る限り、敵との距離は離れてはいるが、最初の時ほどの速度はない。間違いなく疲弊しているのだ。
彼女は魔剣に意識を集中させた。にわかに中心の魔石が輝き、ふわりと身体を持ち上げる。そしてそのまま加速――地面すれすれを滑空する形で、ムイを追った。
それはもはやカナタの身体に深く刻まれた戦闘理論だった。最初の奇襲で倒す。倒せなければ追いかけ倒す。それでも倒せなければどんな手を使ってでも倒す。
常に主導権を握り、相手に有利な立ち回りをさせない。この方法で、これまで百回近くの戦いを制してきたのだ。その自信が揺らぐことはない。
飛びながら、カナタはムイのことを考えた。
初めてだった。自分の髪の毛や肌を“綺麗だ”と言ってくれたのは。実の親でさえ、彼女のその特異な外見を忌み嫌った。あるいは彼女自身でさえ心のどこかでは否定していたかもしれない。
不思議な魅力を持つ少女。それがカナタのムイに対する印象だった。現にカナタも初対面でありながら、思わず心を許してしまっていた。
――敵に容赦をするな。勝てなければ生きている意味はない。
そんな言葉が脳内に響き、びくりとカナタは肩を震わせる。
それは彼女の父親が言った言葉だった。何度も何度も、彼女の魂に刻むように繰り返し呟いた。
――プロになれ。なれなければ人生に意味はない。勝たなければ生きている価値はない。一番になれなければ、お前は死んでいるのも同然だ。
そして彼女にありとあらゆる戦闘技術を叩き込んだ。どれだけ泣き叫ぼうとも、どれだけ反吐を吐こうとも、訓練で手を抜くことは一切ない。厳しく――ひたすら厳しく。
カナタに魔法が発現したのは彼女が十歳の頃だったが、その訓練もあって僅か五年で荒らし専門の超強豪チーム「スカル・スネイクス」のエース級へと成りあがったのだった。
だから――
「私はこんなところで負けるわけにはいかない」
さらに速度を上げる。
父の期待に応えなければ。勝たなければ。
それが彼女の存在意義だった。
市街地はただひたすら同じ風景が続く。どれも同じような構造、色、傷の付き方。少しでも注意力が散漫になれば隠れている相手を見逃しても不思議ではない。
敵との距離は変わらず――つまり相手は自分と同じだけの速度を出せるほどに体力が回復しているということ。動きながら回復するとは、カナタはムイのタフさに驚いた。そのスタミナの量にも。
しかしこれまで戦ってきた相手の中でそれに近いことができる者もいなかったわけではない。そしてカナタも自身の体力には自信があった。そして執念深さにも。
「怪我をさせないように、ギリギリを狙って……」
呟きかけたところで、息を呑んだ。
自分はなぜあの少女を気にしているのだろう、という疑問が呟きを止めたのだ。
会話をした時間は半日にも満たないだろう。それなのにどうして彼女を気にしているのだろうか。
――迷いを捨てなければ。
カナタの目付きが変わった。
これまで相手にしてきた有象無象の敵と同じように、自分はただ目の前の敵を処理するだけだ。
感じず、考えず、手を抜かず――モノを破壊するのと同じように。
市街地の角を曲がった。この先には闘技場の内壁がある。それ以上先には逃げられない。自分が相手なら、きっとこの辺りで仕掛けてくるだろう。
そう思った刹那――
すぐ右脇の建物から人影が飛び出してきた。
――いつの間に!?
カナタが端末から目を離したのは一瞬だった。つまりその一瞬でムイは建物内に潜んだということだ。
魔力を装填――加速してくる敵――魔法を発動。
「壊せっ!」
カナタが叫ぶの同時に、空中を滑空するムイを、その“魔法”が取り囲んだ。手中の敵を握りしめる様子をイメージする――魔石の発光――死角からの攻撃。
だが次の瞬間、幸か不幸か、アスファルトを踏みしめたムイの右足が、ストンと滑った。
ムイの身体は一瞬だけふわりと浮き、そして膝からの着地――魔導着がなければ膝の肉が抉れていただろう。
コンクリートの上を滑りながら、ムイは上半身を後ろに倒す。その直後、彼女の上半身のあった場所には金属同時が激突した拍子に発生する火花が光った。キィンという甲高い音が、荒廃とした市街地に響き渡る。
ムイは受け身を取り、素早く立ち上がった。
奇襲の失敗――緊急離脱。
しかしカナタのその予測は外れることとなる。
ムイは撤退はしなかった。かと言って再び攻勢に出ることも。
彼女は横にステップし、今度は左手の建物に飛び込んだのだ。
妙だ、と思わざるを得ない判断だった。なぜならば最初に交戦した時、ムイは既にその手段をとり、カナタに全方位攻撃を受けているからだ。
――何かある……?
カナタはあくまで隙を見せず、慎重にその建物を注視した。
端末は――
確認しようとした一瞬の間だった。端末に表示されている敵との距離はゼロ。
「どういう、」
ことだ、と言い切る前の、その数字の意味が分かった。
彼女の足元のマンホールが吹っ飛び、中から魔剣を突き出したムイが飛び出してきたのだ。
今度はカナタが顔を仰け反らせる番だった。
「くっ……!?」
こんなものまであるなんて――!?
長年魔導戦をしているが、マンホールが実際に繋がっているなんてことは知らなかったし、まさかそこを利用する相手がいるとも思わなかった。
ギリギリだった。まさに紙一重。間一髪、ムイの斬撃はカナタを捉えることはなく、虚しく空を斬るに留まる。
僅かにできた隙――魔法の発動――全方位攻撃。
ムイは無我夢中で魔剣を振るった。
そして再び金属同士が激突する音――火花――ムイはバランスに崩し、着地に失敗する。
それを見下ろしながら、カナタは呟いた。
「本当に、運の良い人ですね」
そして今度こそ止めを刺すべく、魔剣に魔力を注いだ。