白の少女/一騎当千
「げっ……」
やはり店の方から入ったのは失敗だったかもしれない。いや、間違いなく失敗だった、とムイは後悔した。それもこの光景を見るのが初めてだったならまだしも、以前にも同じような光景を目にしたからだ。いや、今目の前に広がる光景は、あるいはつい先日よりも悪化しているかもしれない。
店で埋まっているテーブル席は一つ。客の少なさは通常運転そのものだったが、その一組の客が問題だったのだ。
「あ、キリノ、おかえりー」
「テメエ、帰ってくるのが遅えんだっつうの」
「やあ、霧野さん、お邪魔しているよ」
「よう、ムイちゃん。雀荘以外の店で会うのは初めてだな」
異口同音とムイを迎える面々――戦慄するムイ。
ただ一人でも大きな労力を伴う面倒を運んでくる人間が、一度に四人もそこに集まっていた。
晴海由佳――面倒の権化。面倒の中心人物。面倒の申し子。ここ数日でムイが巻き込まれた魔導戦の大半の原因に一枚噛んでいる。
羽柴勇人――最初の対戦相手。そもそも彼がこの街にやって来なければムイは魔導戦に首を突っ込む必要はなかったはずだ。兄の方がいないのだけが幸いか……いや、彼だけならもっと話が通じないかもしれない。今日は左腕をギプスで吊っている。
風間実――爽やかな見た目をしていて、案外過去を引きずるタイプ。それでいてムイを誘拐してまで戦いを挑む、変に思い切りの良いところがある。頭に包帯が巻かれている、怪我でもしたのだろうか。
丸岡――飲んだくれ。雀荘常連。麻雀をやっている暇があれば少しでも魔導戦の研究をして欲しい。そうすればクビになるとかならないとか、そんな事態に発展することはなかった。そして今日も彼はビールを呷っている。
そんな数々の文句、罵詈雑言が脳内に一瞬で浮かんだが、しかしあまりの量に何から話せば良いのか分からず、代わりに大きな、とても大きな溜め息をついた。
――また面倒なことに巻き込まれる前に逃げなければ。
そう決めるや否や、
「いらっしゃいませー、どうぞごゆっくりー」
ムイはそう言って、店の奥の方へと駆け出した。しかし、
「あ! 待ちやがれ!」
「キリノ、待って!」
「ぐえっ……」
後ろ襟をハヤトに掴まれ、そして腹部には後ろからユカが抱き着く形でムイの動きを止めた。
「何すか何すか、何なんすかー!」
あまりの迫力と勢いにムイは半ばパニックになりながらも聞き返す。
「すまないが、僕たちの話を聞いてくれないか」
と、ミノル。
「嫌っす! 無理っす! 面倒っす!」
瞬時に返すムイ。それも意味の違う否定の語を三つも使って。
そんな彼女の首に怪我をしていない右手を回しながらハヤトが言う。
「テメエ、年上の言うことは素直に聞いておいた方が身のためだぞ、アァン?」
「そういう旧世代的なやり方反対!」
「生意気なクソガキめ……」
ハヤトがギリッと歯を鳴らす。怪我のせいで力が落ちているのが相当悔しいらしい。ムイにしてみれば怪我のおかげでと言ったところか。
「ムイちゃん、わしからも頼むよ」
「いや、丸岡さんの優先度は一番低いんで」
「酷くない!?」
そんなやり取りをするムイを、ユカがじっと見つめる。
この人は卑怯だ。
ムイは心の中でそんなことを思った。
そんな目で見つめられれば誰だって話を聞かざるを得ないだろう、と。
だがそう何度もユカの言うことを聞いてばかりもいられない。今日こそは断ろうとムイは強く決心した。
そんな彼女を、ユカはただ見つめる。じっと、まるでそれが何かの使命かのように。忠犬が帰らぬ主人を待つように。
負けじとムイも睨み返す。どうあれ今日は引くつもりがない。
そしてユカがゆっくりと口を開いた。いつもより重々しい口調で言葉を紡いでいく。
「キリノ、話を聞いてくれないなら、どうなるか分かってんの?」
「さー。どうなるんですかね?」
「話を聞いてくれなきゃ、私あんたのこと嫌いになるから」
「またまた御冗談を。わたし知ってっるすよ。ハルミさんはそんなことできないって」
「……」
「……ハルミさん?」
聞き返したところで、ムイはユカの視線がいつもと大きく違うことに気が付いた。まるで初対面の相手を見るような――いや、それ以下のこの世で最も嫌悪している人間を見下すような、そんな冷たい眼差しを彼女に向けていた。
ゾクリ、とムイの背筋に悪寒が走る。
これは本気の眼だと彼女は確信した。この親友は本当に自分のことを切り捨てるつもりなのだと。それはどんな強敵と戦うことより恐ろしいことに思えてならなかった。
「あ、あの……」
弁明しようとしたところでもう遅い。ユカは既にキリノから顔を背け、テーブルに戻っていた。一切の興味を失ったようだった。
「ええと、ハルミさん? おーい! やっほー!」
「……」
「ハルミ、さん……?」
「あ、監督、次の試合どうします?」
「露骨に話を逸らされた!? ああ、もう! 聞きますよ! 話でも何でも聞きますからー! 許して下さいー!」
軍配はユカに上がり、ムイが泣きつくことになった。
ハヤトはようやく話が進むと口角を上げ、ミノルはやれやれと肩を竦ませてみせた。そして丸岡は未だに一番優先度が低いと言われたことにショックを受けていた。
「はあ、“荒らし”っすか」
と、ムイはぽかんと口を開ける。話を理解したようなしていないような、曖昧な表情だ。
「そう。試合荒らし。そいつにやれたんだって、羽柴さんも風間さんも」
羽柴勇人と風間実の話をまとめるとこうだ。
つい昨晩、ハヤトの所属している“レッド・フェニックス”と風間が所属している“風間塾”――二つのクラブチームが対抗戦をすることになっていた。
風間塾はその名の通り、風間カンパニーがスポンサーとなっているクラブチームで、関東を拠点にしている“レッド・フェニックス”とは異なって近畿地方を中心に活動している名門だ。
元々は天ヶ崎学園との練習試合を目的として集まった二チームだった。しかしその練習試合の日取りはシルバーウィークの最終日の予定だった。それまでの空いている期間、互いに時間のあるチームが練習試合を組むのは自然のなりゆきだったし、何よりこの企画を進めた羽柴優斗と風間実は元よりそのつもりだった。
そして事件はその試合中に起こった。
5対5の団体戦――2勝2敗で迎えたその最終戦で、フィールドに乱入者があったのだ。
黒いフードを深く被り、顔を隠した乱入者だった。特徴的だったのはそのフード付きマントの肩と背中にプリントされた髑髏に蛇が巻き付いたマークと、奇妙な形をした魔剣だった。
その謎の人物の持つ魔剣は広く、平べったかった。“剣”というよりフライパンにイメージは近い。その中心に白い石が埋め込まれていたらしい。
元々の対戦カードは羽柴勇人と風間塾の大将だったが、試合は一時中断されることになる。乱入者を撃退するためだ。
元々夜遅い時間に行われることの多い学生同士の練習試合にはこういった乱入者が時折あるものだった。大抵はどこのグループにも属さない腕自慢が、自らの力試しのために行うのだ。そういった場合、対戦中の選手は一時団結して乱入者を撃退することがほとんどだった。
「ほとんどってことは全部じゃないんすね。例えば今回のように」
と、ムイは二人の怪我人に視線を向ける。
視線を向けられたハヤトとミノルは心の底から悔しそうに、あるいは怒りで肩を震わせながらムイの言葉を肯定した。
「何者なんすかねぇ、そのフードの人って」
「さあな……だが、とんでもなく強い奴に違いねえ」
「何でそう思うんです?」
「俺や風間のとこの大将が一瞬で負けちまったんだぞ。その後乱入者を倒そうとフィールドに入ってきた仲間や風間も含めて全員な!」
「へぇ、やるっすね、その乱入者さん」
「他人事だと思って呑気に言いやがって……」
それでね、とユカが切出した。
「何でキリノにこんな話をしたかっていうと、あんたにその荒らしを倒して欲しいの」
「何でわたしが……てか、こんな時に羽柴のお兄さんの方は何してるんすか。あの人も負けちゃったんすか?」
そう訊くと、ハヤトが勢いよく立ち上がった。
「兄貴が負けるわけねえだろ! あの人は俺みたいな半端者とは違えんだ。マジで強えからな。昨日はたまたま用事でいなかったんだよ」
「今いないのもその用事っすか?」
「んだと? テメエ、兄貴が逃げたって言いてえのかよ」
ジロリ、とハヤトがムイを睨みつけた。その殺気は試合中のそれとは明らかに違う、ただ相手を傷つけようとする迫力が込められている。
このままでは一触即発かと思い、ユカが話を戻すべくパンッと手を打った。
「とにかく! これは魔導戦の選手全員に関わってくることなのよ! 一部でもああいうルールを破る輩がいるときちんとやってる選手が肩身の狭い思いをするし、何よりやってて楽しくないもの」
「はあ、そういうものっすかね」
「そういうものなのよ!」
「ま、わたしには関係ないっすね。わたし、選手じゃないですし」
「キーリーノー?」
「な、何すか」
ジリジリとムイに詰め寄っていくユカ。
どうなるかと思われたがそこでミノルの携帯が鳴った。
「みんな! ちょっとこれを見てくれ」
どうやらメールが来たようだった。その携帯画面には画像が掲示されている。
「このマークは……」
ハヤトが呟き、ミノルが頷いた。
そこには髑髏に蛇が巻き付いたデザインのマークが写っていた。そしてそれはハヤトやミノルには見覚えのある紋章だ。
「昨日の敵の正体を探るために情報集を頼んでいたんだ。本部に残っている塾生にね。そしたらこのマークに行きついた」
「何なんです、このマーク?」
ユカが聞き返した。
「あるチームのエンブレムだそうだ」
「チームって、俺らと同じクラブチームか?」
「いいや」
首を横に振って、
「荒らし専門のチームだよ」
ミノルに送られてきたメールの内容をまとめると、その髑髏に蛇の巻き付いたマークは、“スカル・スネイクス”という荒らし専門のチームのものだった。“スカル・スネイクス”の活動内容とその目的は実に簡単なことで、活動は乱入、目的は最強のチームになることだった。
そして敵チームをあっという間に壊滅させた、という戦い方に当てはまる選手はただ一人だった。
「通称――白い死神」
言いながら、ミノルが画面をフリックする。
次の画像が現れ、それにムイは思わず息を呑んだ。
「カナタ、さん――!?」
そこには真っ白な髪の毛を携えた一人の少女が写っていた。