強さの秘密
ユカは迷っていた。
青椒肉絲にするか、タンタンメンにするか。
それは非常に難しい問題だった。なぜ彼女が迷っているのか。それはどちらも好物だからという理由からではない。そのどちらかが、おそらく自分の口に合わないものだということを知っているからだ。
料理人は煙草をふかしながら言った。
「俺の自慢の料理? そりゃあタンタンメンだな。もう絶品だぜ?」
かつて料理人の娘は僅かに顔をしかめながら言った。
「うちの父親の得意料理っすか? ……本人的にはタンタンメンって言いそうっすけど、辛うじて食べられるのは青椒肉絲っすね」
その記憶があったから、ユカは決めきれずにいたのだ。メニューを眺めながらかれこれ十分以上は悩んでいる。
料理人本人の言葉を信じるか。
その娘である親友の言葉を信じるか。
「おい、ハルミ、そろそろ決めてくれよ」
と、待ちきれなくなった丸岡が横からせっついた。
「ちょっと待って下さい監督! これは重要な問題なんですから!」
「重要って、昼飯のメニューを決めるだけだろう?」
「そんなことじゃないですよ!」
「じゃあどんなことだよ」
ユカは丸岡をきっと睨んで言った。
「これからムイのことを訊くにあたって、きっとタンタンメンを注文した方が話は円滑に進みます」
「じゃあそっちで良いじゃねえか」
「でもですよ! そうしたら私は親友の言葉を信じられないってことになります!」
「別にんなことねえと思うけど……女同士の友情ってのは、どうしてこう面倒くさいのかねえ」
「シャラップ! 男には分からないですよ!」
そう答えるとユカはさらにメニューに顔を近づけ、うーんうーんと唸り声を上げている。
丸岡はやれやれと肩を竦ませてみせた。
ユカが注文を決めたのはそれからさらに十分後のことである。結局彼女はタンタンメンと青椒肉絲の両方を注文したのだった。
「それで、話を本題に入れたいんですが」
と、料理を待っている間、ユカが切り出した。
「キリノはどうしてあれだけの技術があるんですか? それにシルバー・スターズのメンバーってどういうことです?」
「そうだな、何から話せば良いか……」
丸岡が少し考えてから、口を開いた。
「あの子がどうしてメンバーかってのから話そうか。メンバー入りのことをわしが頼まれたのは、もう六年くらい前になるかな」
「六年前って、私たちまだ八歳ですよ? 個人差はありますけど、魔法を使えるようになるのって確か十歳ですよね」
ああ、と丸岡が頷く。
通常、人間が魔法を使えるのは十歳前後とされている。この辺りの年齢になると所謂“固有魔法”というのが使えるようになるのだ。勿論、例外もある。生まれた時から魔法を使える人間もいれば、二十歳を過ぎてから突然発現することもあった。
「だが魔力の解放だけなら、それより前でも可能だ。ありゃあ、要するに筋肉なんかと同じだからな」
「ムイに才能があると確信したのは、あいつが四歳の時だったよ」
丸岡の言葉に重なるように声がして、ユカは店の奥――厨房の方を見た。そこから料理が乗った皿を持った男が登場した。
男はユカと丸岡の前に料理を置きながら口を開く。
「丸岡、お前、教え子に手ぇ出すのはいくら何でもダメなんじゃねえか? ええと、こういう時はどこに通報すりゃ良いんだっけ? 魔導戦管理委員かPTAか……」
「おい将、やめろよ人聞きの悪い!」
その気心の知れたやり取りを見てユカはこの目の前の二人の中年男性は知り合いなのだと直感した。それもかなり長い付き合いがありそうだ。
丸岡がゴホンと咳払いを挟んで、
「改めて紹介するが、こいつがムイちゃんの父親の霧野将だ」
「あっ」
ユカが慌てて立ち上がる。そしてペコリと頭を下げると、
「いつもキリノ……ムイさんにお世話になっています。友達の晴海由佳です!」
と、挨拶した。
「ああ、あんたがハルミさん」
ショウは慣れていないようでどこか気恥ずかしそうにしながら、
「いつもうちの娘が世話になってるな。ま、ゆっくりしていってくれや」
とぶっきらぼうに言い放った。
ユカがムイの家に遊びに来るのは何も初めてのことではない。しかしその度にムイは店の裏――つまり自宅の方へ通すので、ユカがこうして彼女の父親と話すのは初めてのことだった。
「それで、あの、ムイさんに才能があるってことなんですが……」
「ああ。言葉の通りだ。あいつがまだ四つの時、たまたま魔剣に触る機会があったんだ。当然、まだ固有魔法は発現していないから魔力を注入しても、四歳児の魔力じゃ何も起こらん……」
だが、と彼は言葉を繋ぐ。
「驚くことにあいつは魔力を放出し、そればかりかそれを固めやがったんだ」
「それって今のあいつみたいに……?」
「今ほど精度もへったくれもない、ただの不安定な塊に過ぎなかったけどな。だが、才能を確信するのには十分だろう?」
ユカが頷く。
「だから俺はあいつを鍛えることにした。毎日魔剣に触らせるようにしたよ。まあ、玩具代わりだな。で、あいつが十歳になる頃には配達も手伝わせるようにした」
「そこで丸岡さんと知り合ったんですね」
ユカの問いかけに、丸岡が首肯する。
「わしも驚いたよ。それより前にショウからは娘をクラブに入れてくれって頼まれてはいたけど、わしはてっきり親馬鹿発言だと思ってたからな。だが、ムイちゃんが出前を運んでくるのに魔剣を使うってのを聞いて、ショウはとんでもない化物を育てようとしているってのが分かった」
「頭に水の入ったコップを乗せるのは?」
「ムイの奴、そんなことまで話してたのか」
ショウは頭を気まずそうに掻きながら答える。
「精密な魔力の操作を覚えさせるってのが第一だが、まだガキのあいつの基礎体力の向上も目的の一つだった。むやみに筋トレさせるわけにもいかねえからな。ガキには体幹トレーニングが一番有効なんだよ。ま、配達中の見た目はみっともなくなっちまったが」
「だからこそ、その恥ずかしさであいつはさらに速くなったんですね」
「そうだと良いがね。俺からしちゃあ、まだまだひよっこだよ」
お前は厳しすぎるのさ、と丸岡がにわかに笑い、ショウはうるせえ、と返した。
「でもそれだけのことをして、ムイさんはよく反発しませんね。よく言ってますよ。魔導戦は嫌だって」
「口で何と言おうが、あいつは自分に才能があるのを知ってんのさ。戦いはともかく、技術を磨くことは楽しくてしょうがないはずだぜ」
「そうなんですか?」
「出前から戻る度に今日はタイムが何秒縮まっただとか、こういう動きができるようになっただとか、何でも報告してくるからな」
嬉々として父親に自慢するムイを想像して、ユカは何だか面白かった。親友の新たな一面を見られたようだ。
「あいつの魔剣、整備してるのはお父さんなんですよね」
「ああ」
「“術式”を解除しないのも、ムイさんを鍛えるためですか」
「まあな。だが、あれを外したところで、あいつは固有魔法を使えねえぞ」
「どうして」
「それは……」
言いかけたショウだったが、その口を紡ぐことになった。入り口の戸が開けられたからだ。客はこれまでユカたちしかいなかったから話に集中することができたが、他の客が来たからには別だ。きちんと対応しなければならない。
良いところで邪魔が入った、とユカは内心悪態をついた。そして一体どんな客が邪魔をしたのかと振り返る。
しかし飛び込んできた光景にユカはぎょっとし、言葉を失うことになった。
現れた二人組は見知った顔だった。しかしその両方が、最後に会った時から想像もできないくらいにボロボロだったのだ。
片方の少年は左腕をギブスで固定し、肩からつるしている。そしてもう一人の好青年風の男は頭に傷を負ったのか、額に包帯が巻かれていた。そのどちらも見えないところでも身体の節々が痛むようで、歩き方がどこかぎこちない。
二人はユカの前まで来ると、口を開いた。
「あいつは……キリノはどこだ。あいつに頼みがあって来た」
片方のガラの悪そうな少年が言い、もう片方が頷いた。どちらも真剣そのものの表情だ。
それは親友のかつての対戦相手――羽柴勇人と風間実だった