来客/上昇気流
「げっ……」
昼過ぎ。ユカと別れて家に向かったムイであったが、店の方から入ったの間違いだったと、彼女は心底後悔した。
飲食店にとっては最も客が多くなければならない時間であるにも関わらず、客席は相変わらず閑散としていた。しかしその場で異彩を放っている客が一組だけあった。それは見覚えのある顔で、一人はツンツンと尖った茶髪に片耳ピアス、そしてもう一人は黒髪の礼儀正しそうな好青年。
二人は対面に座り、それぞれタンタンメンと炒飯を食べている。
初めにムイに気付いたのはガラの悪そうな少年――羽柴勇人で、遅れて好青年――羽柴優斗が振り返る。
ユウトはムイに顔を向けるとニヤリと笑みを浮かべて「やあ」と挨拶した。
「えー、っと、いらっしゃいませー、ごゆっくりー」
明らかに自分に用件のあることを悟ったムイはそう言って足早に店の奥へ引っ込んで行こうとするが、しかしその後ろ襟をハヤトが掴んだ。
反動で「ぐえっ……」とカエルが潰されたような声を上げたムイを、構わずハヤトは引っ張り、テーブルの前に戻した。その様子はまるでイタズラをした猫が飼い主に後ろ首を持たれているかのようである。
「えっと、何か御用件がありますでしょうか。御用の際はそちらのボタンを押してもらえれば、ピンポーンと鳴って店員がやってきますので」
「どこのファミレスだよ。第一、そんなボタンなんてねえじゃねえか」
ハヤトは言いながら、ムイを自身の隣に座らせた。
「へえ、でしたら何か料理に不満でも? そりゃあ、あるでしょう。何せうちの店主は料理が下手ですから」
「下手なのはテメエの言い逃れだろうが。良いから話を聞け」
そう言うとハヤトは兄――ユウトの方へと目配せした。
ユウトは箸を置いて、口を開く。
「風間から試合の申し込みをされたそうだね」
「……何で知ってんすか?」
「さっき君のお友達からメールが来た」
「お友達ってハルミさんのことっすか? いつの間にそんなに仲良く……」
「昨日の試合の後、お互い連絡先を交換したんだよ。クラブチーム同士の交流も練習試合の目的だからね。それで、試合の申し入れを断ったそうじゃないか」
「まあ……だからうちまで押しかけたんすか? 説得するために」
いいや、とユウトは首を横に振った。
「ただ話をしに来ただけさ」
「話っすか……てか、どうしてうちの場所を知ってる?」
「それも君のお友達から聞いた」
「個人情報の保護とは!」
思わずムイは声を荒げていた。そして次にユカに会った時は絶対に説教をしようと密かに誓うのだった。
「……で、何の話っすか」
もはや面倒になっていたムイは、ユカへの憤慨の気持ちは収まらないが、しかし話をさっさと終わらせようとそう切り出した。
「昨日の試合の話に決まってんだろ」
そう答えたのはハヤトの方だ。
「俺はまだ自分がどうして負けたのか納得いってねえんだぜ? それなのにテメエはさっさと帰りやがるしよォ……あれだけ完璧に決まったはずの“炎の不死鳥”がかわされたのは初めてだ。そのカラクリを聞くまでは意地でもここに居座らせてもらうからな!」
「え! 居座るってことは追加で注文してくれるってことっすか! あざーっす!」
「テメエ、おちょくってんのか……!」
今にもムイの胸ぐらに掴みかかりそうなハヤトを、彼の兄が制止した。
「しかし、弟の技がどうやって回避されたのか、俺自身も興味があってね。それを教えてもらえるなら追加注文くらいお安い御用さ」
すました顔でそう言うユウトに対して、ムイは大きな溜め息をついた。そこまで言われては逃れられそうにない、と。
遂に観念したムイはその経緯を説明した。ちょうど先程ユカにしたのと同じような内容だったから、内容をまとめるのにそう苦労することはない。
「――と、いうわけでそちらの弟さんの攻撃はかわせたわけです」
「なるほど。魔力を放出して加速、か」
興味深そうに話を聞いていたユウトが頷く。しかし弟のハヤトの方は未だに納得していないようで、
「そんなこと信じられねえぜ、兄貴」
と、険しい顔をしている。
「理論上はあり得る話だ、ハヤト。だが――」
視線を再びムイの方へ向ける。
「それだけではあるまい?」
「……」
「身内贔屓するわけじゃあないが、それだけでは弟の“炎の不死鳥”はかわせないだろう。まだ、何かあるね?」
「……バレました?」
イタズラがバレた子供のように、チロリと下を出す。ムイにはユカに説明していないことがまだあったのだ。
「まあ、ハルミさんはしっかりしているようで頭の弱いところがありますからね、少々話を省略させてもらったわけですよ。それに、動きを加速させていたのは事実ですし」
そしてまたユウトの方を見据えて、
「あなたなら結構頭がキレるみたいですし、手短かに話せそうですね――上昇気流っすよ」
「上昇気流だァ?」
ハヤトが聞き返した。それに対してユウトが答える。
「“炎の不死鳥”が放たれた時、霧野夢衣は空中にいた。加速だけではとてもではないがかわしきれないと判断した彼女は、自分の前に魔力の壁を張ったんだ」
「壁だァ? そんなことができるなら、最初からちょこまかよけたりしねえで、最初からやりゃあ良いじゃねえか」
「ああ、当然、ただの壁だったのならお前の“炎の不死鳥”はおろか、普通の火球すら防げないだろう。だから、そいつは壁を薄くしたんだ。薄く、薄く――まるで布のように、な」
ユウトはまるで細い物体でもつまむような動作をして、その薄さを表現する。
「“炎の不死鳥”の激しい炎は空気を温め、急激な上昇気流を発生――その流れに乗ることで、彼女は大幅な移動ができたのさ。壁を薄く広くしたのはその気流を無駄なく捉えるためだ」
まるで神業だな、とユウトは付け加えた。
「俺の“炎の不死鳥”にそんな攻略法があったなんて……」
「そう気を落とすな。誰にでもできる芸当じゃないさ」
「だがよォ――」
ハヤトは再びムイに視線を向けて、
「それだけの技術があって、なんで風間の挑戦を受けねえんだ? こう言っちゃあ、なんだが奴は俺ほど手強い相手じゃねえだろ」
「いや、そんなことはないぞ」
と、ユウトが弟の言葉を否定する。
「風間もお前と同じで今年の全国大会でベスト16.相手との相性次第では、もっと上に行っていてもおかしくはなかった」
「俺より強いってのか?」
「条件次第だと言っているんだ」
ユウトは弟の扱いを心得ているようで、ハヤトが何を言われれば腹が立つのかしっかりと把握していた。ハヤトは自らの実力に絶対の自信を持っている。だから決してその能力を頭ごなしに否定することはなかった。
「別に、面倒だからっすよ。大した理由はありません」
「面倒って……テメエには魔導戦のプレイヤーとしてのプライドはねえのかよ」
「いやぁ、そもそもわたしはプレイヤーじゃないですし」
「あれだけの試合をしておいて、何を今さら」
「昨日のはたまたまっすよ。ちょっと付き合わされただけっす」
ムイは言いながら、席を立つ。それで話は終わりだと言わんばかりに。
「あ、オイ!」
再度その後ろ襟を掴もうとするハヤトを、ユウトが止めた。
「それじゃあ、ごゆっくり」
社交辞令を述べて、ムイは店の奥へと消えていった。