魔力+魔石+“術式”
人間が魔法を発動するには、二つの要素が必要である。
一つ目は“魔石”と呼ばれる特殊な鉱石だ。
採掘量の少ない貴重なこの鉱石には、人間が元々持つ魔力を加速させたりコントロールしたりする性質がある。どんな人間でも、一人の力だけで魔力を放出することは不可能であり、魔石による増幅が必要不可欠であった。
そして二つ目は“術式”と呼ばれる特殊な計算式だった。
この計算式に特定の魔力を流し込むことで魔法は発現するのだ。特定のと付けたのは、本来人間が持つ魔力の種類や流れ方というのは千差万別、いや、DNA並みに個人差があるためそれ以上に昇るかもしれないからだ。とにかくそれだけの多くのパターン同士の組み合わせが、魔法を発動させるための条件だった。
例えば、炎を発現する魔法の素質を持った人間がいたとしよう。彼はその特有の魔力を魔石を介して増幅、コントロールする。加速された魔力は魔剣に組み込まれた固有術式に反応――その結果、空気中に炎を生み出すという仕組みだ。
この仕組みは何も魔剣だけに利用されているわけでもなく、魔導戦においてある意味最も大切な魔導着にも応用されている。魔導着には耐魔法用の術式が組み込まれているのだ。魔剣と異なる点はそれらの防護魔法が着ている人間の魔力を増幅させなくとも使えるということか。
とにかく魔法の仕組みというのは、魔力+魔石+術式で成り立っているのだ。
「……ノ……キリノ……キリノってば!」
「んあっ」
こっくりこっくりと船を漕いでいたムイは、ユカに肩を揺らされてようやく意識を取りもどした。
「もう、私の話ちゃんと聞いてる? 人がせっかく魔法の仕組みについて説明してあげてるのに」
「聞いてるに決まってるじゃないっすか」
「嘘ね。だって口元に涎ついてるもん」
「マジっすか」
そう言われてムイは慌てて口元を拭う。
「嘘よ。涎なんかついてないわ。でも、そういう反応をするってことは本当は寝てたってことね」
「そのやり方はズルいっすよ」
ムイはそう言いながら眠気を吹き飛ばすように大きく背伸びした。全く悪びれた様子はない。
羽柴勇人との試合の翌日、二人は大型ショッピングモールに買い物に来ていた。連休中ということでモール内は様々な人でごった返していたが、ハンバーガーショップの席の一つに何とか座ることができた。
ユカに外出を誘われた時ムイは初め断るつもりだった。昼はまだまだ暑いし、何より人混みが予想されたからだ。そこをユカが無理やり連れ出す形で引っ張ってきたのだった。
「で、本題はここからなんだけど」
ゴホン、と咳払いを挟んでユカが続ける。
「昨日の試合の後、あんたの魔剣を見せてもらったよね? でも、あれにはあり得ない改造がされていたのよ」
「はあ、あり得ないっすか」
ユカは昨晩の試合の後ムイに見せてもらった魔剣のことを思い起こす。
白を基調にした短剣型の魔剣だ。多少性能向上の改造が施されてはいるが、基本的にはおそらく購入当時とそう変わらないように見えた。少し型落ちした古い量産タイプである。
問題はその中身――“術式”の方にあった。
「あんなの見たことないわよ」
「そんなにすごいんすか?」
「その逆よ! わざわざ“術式”に封印をかけるなんてあり得ないわ!」
ユカが声を荒げるのも無理はなかった。
ムイの魔剣には“魔石”こそ埋め込まれてはいたが、肝心の“術式”には魔力が流れないようになっていた。そうするとただ魔力が増幅されて放出されるだけなので個人固有の魔法を使用することはできない。
「道理であんたが自分の使える魔法を知らないわけだわ」
はあ、と溜め息をついて、ムイは額を抑えた。
「そんなこと言われても知らないっすよ、わたしは」
「あんたの魔剣でしょ」
「あれは父親から渡されたものなんで」
「お父さんに?」
ムイは頷いて、テーブルの上のアイスコーヒーを一口飲んだ。
「出前とか新聞配達に行く時に使えって渡されるんすよ。直接管理してるのは父親っす。何かたまに弄ってるのを見たことはありますけど、何をやってるのかはさっぱり」
そう言って、ムイは肩を竦ませてみせた。
「まあ、でも、そのおかげで仕事早く終わらせられるってのは良いっすね……コップを乗せるのは恥ずかしいですけど」
「それよ!」
ユカがムイの言葉を肯定するように、彼女の顔に人差し指を向けた。
「昨日の試合でも見せてくれたけど、あんたのあの技は一体何なのよ。あんた固有の魔法ってわけでもないみたいだし」
あの技というのはムイが使った空中で軌道を変える技のことだ。空を自由に飛べる魔法というのも存在してはいるが、そもそも彼女の魔剣は“術式”に封印が掛かっていたのだから、ユカや周りから見ている者にとっては昨晩のムイの動きはあり得ないことだった。
「さあ? わたしはただ魔力? を固めて出しているだけですし」
「そりゃあ、理屈の上では分かるわよ? 現にあんたの魔剣はそれしかできないように改造されてるわけだし……でも、信じられないわ」
「何がっすか?」
「普通の魔法と違って、ただ魔力を放出するってかなり難しいことなのよ。形をイメージしにくいから。設計図もなしに家を建てるようなものだわ」
「そうなんすか?」
「そうなんすかって……あんた、ホントに自分が何をしているのか分かってないわけ?」
「まあ……てか、わたし初心者なんすよ」
「とても信じられないわね」
ふむ、とムイは息をついた。一体どう説明すれば分かってもらえるのだろうか。
ムイにしてみれば魔力を固めて放出するなんてことは、昔からやってきた生活の知恵のようなものなのだ。別段意識してやっていることではない。
「大体、昨日の試合にしたってさ、どうやって羽柴勇人に勝ったのよ」
「どうって、別に変わったことはしてないと思いますけど……」
と、言いかけたところで「ちゃんと説明しなさい」とでも言わんばかりにユカが睨みつけているのに気が付いた。仕方なく、ムイは解説を始める。
「まず始めに、相手の能力が炎を使うタイプだっていうのはすぐに分かりました」
「あんたが来た時にも使ってたもんね」
「ええ。なので問題は次の魔法を発動するのにどれくらいかかるのか、ということだと思いました。もしずっと連射できるのであれば勝ち目はありませんし」
ユカが頷く。
「で、試合が始まってすぐに相手が攻撃してきたじゃないっすか」
「開幕直後に二発、牽制ね」
「それで相手の射程距離と次の魔法を発動するまでの時間が大体分かりましたね。あと位置も。後は簡単ですよ。端末で相手との距離を測りながら動きを計算して、回り込んで奇襲を仕掛ければ良い」
「途中で石を投げたのは? てか、あの石にしたって飛びすぎだし」
「途中で石を投げたのは、それこそ牽制のためっすよ。相手からすればわたしの魔法がどんなものなのか分からないわけですし、遠距離攻撃型だと思ってくれたでしょう。当然、意識も音が鳴った方向に向きますし。石を遠くまで飛ばせたのは、まあ、わたしの足の速さとかにも関係するんすけど、わたしの使う、ハルミさんいわく“魔法未満の技”っていうのは、何も足場を作るだけじゃないんすよね」
「どういうこと?」
「元々は魔力ですからね。つまりは力です。エネルギーです。だから流れがあるんですよ。それをコントロールして、身体の動きに合わせれば――」
「動きが加速される――?」
「ね。簡単でしょ?」
そう言って、ムイはアイスコーヒーの最後の一口を飲み終えた。ユカはただただ驚き、呆然としているだけである。
――“魔法未満の魔力”を操るなんて、人間技じゃない。
もはや乾いた笑みすら浮かばない。ムイのしたそれは、例えばタイヤのない車を運転するようなものである。どこかで事故を起こすし、そもそもまともに動いてくれることもない。それをこの目の前の少女がやってのけたというのだろうか。
「さてと、飲み終わったことですし、行きましょうか」
ムイが立ち上がる。
しかし、次の瞬間――
「霧野夢衣様でいらっしゃいますね。一緒に来ていただけますか」
ムイの両脇に屈強な二人の男が、まるで彼女の逃走をブロックするように立った。二人とも黒いスーツに身を包み、サングラスをかけている。
「何よ、あんたたち!?」
「そちらの方は晴海由佳様でしょうか。丁度良い、貴女にもご同行願います」
さらに人混みから男が二人現れ、ユカの両腕を抑えた。
「何するのよ! ちょっ……誰かー! この人たち誘拐犯です!」
「まあまあ、ハルミさん」
と、叫び出すユカをムイがなだめる。
「なんであんたそんなに落ち着いてるのよ!」
「いやぁ、だって、ねえ?」
「ねえ? じゃ分からないわよ!」
そんなやり取りをしていると二人の頭には黒い布袋が被せられた。ムイはまったくの無抵抗で、ユカは必死の抵抗を見せるが、しかし魔剣がなければ所詮は普通の女の子である。二人はあっさりと男たちに担がれてしまった。
二人を担いだ男たちは、さわめく客たちには目もくれず、そのままスタッフルームへと消えていったのだった。