遭遇
――どこに行った?
羽柴勇人は姿勢を低くし、注意深く進んでいく。
彼の右手には彼の背丈ほどもあろうかという大きさの日本刀があり、その柄の部分に埋め込まれた赤い鉱石が照明の光を反射させていた。ギラギラとした、まるで獲物は今か今かと待ちわびる猛獣の視線のようだ。
開幕と同時に放った二つの火球は、おそらく直撃はしていない。
ハヤトはそれを幾千もの戦いで身に着けた直感で理解していた。
敵はまだいる、と。
僅かに早くなる心臓の鼓動が、妙に心地よかった。なぜだか分からないが、今自分が倒そうとしている相手は、これまで以上に楽しませてくれそうな気がしていた。あるいはそれも数多の戦いの記憶から導き出された直感なのだろうか。
左手首の端末に視線を落とす。
魔導着の耐久値は60%ほど。これまでシルバー・スターズの面々を相手にしてきたから多少減っていても無理はない。まだ対戦相手の“魔法”は判明してはいないが、しかし中距離から遠距離で、しかも絶大な火力を誇るハヤトからしてみればそれは些細な問題である。相手が見えた瞬間にでも炎を放てば、おそらくかすっただけでその耐久値の三分の一は削れるだろう。
問題は、敵との距離を示す数値の方だった。
ハヤトは開始早々二発の火球を発射した。それで仕留めきれないのは元より計算の内だ。その後、彼は西側の壁面に沿う形で進んできた。相手は初心者だから、馬鹿正直に真っ直ぐ火球の飛んできた方向へ向かうだろうという読みで、それを横から襲撃する算段だ。しかし相手との距離が25メートルを切った辺りから、僅かに変動はするものの、端末の数値は基本的に変わらないままであった。つまり、相手は常に彼と同じ距離を保っているということだ。
――こちらの位置がバレているのか?
ハヤトは辺りを見渡した。
どれだけ見ても熱帯雨林さながらの植物がひしめいているだけで、敵の姿など微塵も目視することができない。それどころか周囲に他の人間がいた痕跡もなければ、足音も聞こえてこない。だが、たとえ離れていたとしても相手の位置を認識できる魔法は確かに存在する。現にハヤトは今年の全国大会でそんな能力を持った敵と対戦した経験があった。
「……!?」
不意にガサリと草の揺れる音がした。ハヤトは疾風の如き勢いで音のした方を見る。
――何かいる!
ドクンドクンと心臓の鼓動が益々その勢いを増していく。
集中――戦場にいることへの高揚感。
彼は目を見開き、じっと、高い草木の向こう側に意識を集中させる。
「……」
しかし、その向こうから人影が飛び出してくるということはなかった。それどころか、魔法による遠距離攻撃さえ牙を剥こうとしない。
だが、その方角に敵がいることは確かだ。ハヤトは日本刀型の魔剣を構えたまま、チラリと端末に目をやる。
敵との距離――およそ25メートル――変化なし。
計器の故障だろうか、とも一瞬考えたが、すぐにそれ以上にあり得そうな可能性に辿り着いた。
普通に考えて20メートル以上離れた距離を生身の人間が攻撃するのは不可能である。で、あるならば相手が――あの少女が何か“魔法”を使ったのだ。
遠距離から中距離、攻撃型の魔法。同時に相手の位置を把握する能力も持っていそうだ。
ハヤトは相手の“魔法”をそう推測した。
彼は小さく舌打ちすると、
「コイツは少し面倒だな……!」
と呟いていた。
と、いうのも魔導戦は基本的に遠距離、あるいは中距離攻撃型の魔法の応酬による魔導着耐久値の削り合いがほとんどだからだ。
現状のように視界の悪いフィールドでの戦闘となるとまず第一に相手の発見が優先される。常に相手の位置を把握できていれば、いくらでも奇襲のかけようがある。
第二に“魔法”の威力が重要だ。その点はハヤトにも自信があったが、しかし未だに相手の“魔法”の種類や威力が把握できていない。如何せん自身の魔導着耐久値は心もとなかった。
いっそのこと辺り一面焼き尽くしてやろうかとも思った。ハヤトの炎を操作する魔法ならそれも可能だ。視界が晴れれば圧倒的に試合運びが楽になるだろう。
そうと決まれば――
彼は意識を右手に握る魔剣に集中させた。柄に埋め込まれた石が僅かに光を放ち、その周囲に炎が発生する。
柄で発生した炎は蛇が蜷局を巻くように刀身の方へと昇っていく。
ハヤトは振りかぶり、そして大きく魔剣を横に払った。すると魔剣に沿う形で渦巻いていた炎は一気にその火力を増し、あたかも巨大な炎の剣になったように、その熱で周囲の草木を薙いだ。
――これで視界は良好。
と思った刹那――
「ああっ!?」
猛スピードで接近する影――敵。
咄嗟のことに反応が遅れた。ハヤトはぐっと歯を食いしばり、瞬きすら忘れ、もはや考えるより先に体を動かしていた。たった今振るったばかりの魔剣を身体の前に。
ガキンッ、と乾いた金属同士がぶつかる音が響く。
衝撃に吹き飛ばされたハヤトは尻もちをつきそうになるが何とか堪え、空いている左手で受け身を取る。そしてそのままの流れで頭を捻り、回転――襲撃者の方を見据えた。
襲撃者――その少女はギリギリ焼け残った木の上に、ふわりと着地した。
白い魔導着、その上の着古したジャージ。頭の後ろに束ねられた長い髪の毛は僅かに茶色がかっている。彼女の両手には白を基調にした小型の魔剣が握られており、魔法を発動した余韻がまだ残っているようで柄部分に埋め込まれた白い石が僅かに光を帯びている。
「あちゃあ……一撃で仕留めるつもりだったんすけど、失敗したみたいっすね」
「テメェ……」
ギリと歯を鳴らし、再び魔剣に魔力を注入し始める。二秒丁度で彼の持つ剣は紅蓮の炎を纏った。しかしいざ振るおうかと構えた時、
「よっと」
「あ! 待ちやがれ!」
少女がハヤトに背を向けて跳んだ。
木の枝から別の木の枝へと、まるで野生の猿のように軽々と飛んでいく少女を見て、彼は、今自分が相手をしている少女の魔法は身体能力を強化するタイプだと確信した。先程の索敵能力の謎はまだ残るが、しかし何の魔法も使っていない女子校生が軽々と木々の間を行き来することはできないはずだし、何より20メートル以上の距離を一瞬の内に移動することなど不可能なはずだ。
ハヤトは一秒間だけ、目を閉じた。記憶の引き出しを開け、身体能力強化系の魔法を使う相手との戦い方――およびその経験を引き出す。
身体能力強化系の敵なら戦った経験があるし、彼の中で戦術も確立している。
目を開けた彼はそれを再度自分に言い聞かせて、少女の後を追って駆け出した。