前4
長らくお待たせいたしました。
込み上げてきたのは。怒りの混じった疑問だった。
なぜ、こんなにあっさりと自分の寿命を差し出せる? 自分の命が大事じゃないのか。三〇年間という、自分の命なのに。それを、たったの七四〇万ポンドで差し出していいものなのだろうか。
アンジェの部屋には、何かが足りないという印象はない。最新の機器類も置いてあるし、化粧品も散乱するくらいにはある。それに、ベルトマンが金銭的な話をしても、食いついた様子がない。
「アンジェさんは、何の為に寿命を売ろうとしたんですか?」
だって……一九歳だ。何かをしようと思えば、きっと出来ることはたくさんある。
よっぽどお金に困っているならまだしも。寿命を売る理由が無いように感じられた。
「んー、なんでだろね」
アンジェは困ったように笑う。自分の中で、言葉を探すように視線を宙に彷徨わせた。
「なんて言ったらいいんだろうな。タイミング、だったのかな?」
青い血管の浮いた首を、つけ爪の甲で撫でる。
「タイミング……ですか?」
「そう、タイミング。これだって言うのは難しいんだけど……うーん。なんとなく、もう良いかなってあきらめる瞬間、ない?」
もういいかなって思う瞬間。心が折れる瞬間っていうのは、確かにある。けれど。だからって、そこでこんなにあっさりと人生まで捨ててしまうことなんて。
「死んでしまいたい、というわけでもないんですよね?」
アンジェはこくりと頷いた。そこに躊躇いはなかった。
「死にたいわけじゃないけど、生きたいわけでもないんですか?」
「そう、なのかな。うん。そんな感じ」
首を撫でていた指先を、テーブルに押し当てる。ぱちっと音を立ててはがれたつけ爪を、無造作にダストシュートに放り捨てた。残りのつけ爪も、残らずはがして捨ててしまう。
「まあ、こういうのも含めて、なんかもういいんだよね」
他に捨てるものがないのか探すように、毛先の広がる前髪に触れる。それから、もう飽きてしまったと言わんばかりに両手をだらりと下げた。
「別にさ。これ以上生きて何かをしたいってものもないし、これ以上生活を良くしようとも思ってない。長生きしたところで、なんか良いことあるとも思えないし。だからって、ニューロンドン市のためにってわけでもないし、お金が欲しいわけじゃない。まあ、あたしのものを差し出すわけだから、タダはなんか嫌だけどね。別にいくらでも構わない。七四〇万ポンドっていうなら七四〇万ポンド受け取るし、一〇〇〇万ポンドっていうならそれを受け取る。二〇万ポンドっていうのなら、それでもいいよ」
「そんな……そんな。その程度のこと、なんですか?」
自分の声が震えているのがわかった。肩のあたりが冷たくて、力が入らないような感覚なのに、震えている。
「あたしの人生なんて、そんな程度だよ」
アンジェの目が、どこを見ているのかわからない。まるで、僕と話をしていないかのような。彼女が今、どこにいるのかすら掴めないような、ふらふらとした距離感を覚える。
今は、アンジェの命の話をこの場でしているというのに。
――何を、考えているんだ。
「今、どこを見ていたんですか?」
自分の質問に自分で驚いた。こんなことを訊くつもりじゃなかったのに。アンジェも少し驚いた様子を見せた。
「どこ? どこ……どこ?」
首を傾げ、せわしなく視線を彷徨わせる。
「え、どこって……え? え、どこなんだろう?」
あまりに慌てた様子に、今度はこちらが戸惑う番だった。
何をそんなに焦ることがあるんだ。
「いや、まあ。ちょっと思い出していた、のかなあ。うん、まあそんな感じ」
「思い出ですか?」
「いいものでもないけど」
「それが寿命を売ることに関係でも……?」
「ぐいぐい来るね、メルンさんだっけ?」
アンジェは苦笑を浮かべた。
「いや、関係あるのかもしれないけど、直接の関係はないと思う。まあ、そんなことはいいんだよ。とりあえず同意するから」
「待ってください!」
「黙れ、メルン君」
隣から冷たい声が割り込んだ。恐る恐る視線をやると、そこにはいつも通りの表情のベルトマンがいた。
トントン、とテーブルを指先で叩きながら。
「我々の仕事は、彼女から寿命を買い取ることだ。そこに彼女自身の意志があるのならば、我々が口を出すことはない」
「しかし」
「どこに、反論の余地がある?」
「それは……」
ベルトマンの首の骨が、コキリと鳴った。
「仕事ができないウォッチメイカーを、私は必要としない。ニューロンドン市が君を残すのであれば、私が相応の始末をつける」
反論の余地は、ない。
確かに、ウォッチメイカーとしての仕事には不要な問答だった。地方都市から人間を拉致・殺害してまで時間エネルギーを集めるニューロンドン市に、時間エネルギーの買い取りの邪魔をするウォッチメイカーなんて要らないのもわかる。
きっと、ここで無理に反論しても、ベルトマンに潰されて終わり。ただ、それだけだ。
僕が何かを言う意味は、きっとない。
――本当に、ないのか?
全く、ないのか?
本当に、全くないのだろうか。
「早まらないでよ、メルン」
「わかってるよ」
アンジェは漂い始めた不穏な空気に、手を止めて目を白黒させている。
本当に意味がないって。そんな簡単に諦めていいのか。目の前に、寿命を自ら削ろうとしている人がいる。僕の言葉一つで止められるかもしれないんだ。
でも、止められないかもしれない。そのとき、僕の本当の目的はどうなる?
「勿体ないんですよ」
こぼれた。
言葉を口から押し出したのは、胸からこみ上げてきた怒りだった。
目の前の拾える命が削られるのを見過ごす、理由を探した自分に腹が立つ。まだ永らえられる命を容易く売り払おうとする彼女にも腹が立つ。
「おい?」
撃ち返される言葉の一発ごときに怯むな。それがどんなにか、鉛のように重たく冷えたものであっても。
「勿体ないって言っているんですよ!」
怒号で振り払え。
「生きたくて、生きたくても死んでいく人たちがいる。未来に希望なんかなくても、一つの出会いで人生を鮮やかに変える人だっている! それを、こんな若いうちに自分から失うのは勿体ないって言っているんですよ!」
「無謀、だな。残念だ」
ベルトマンが腰からハンドガンを抜いた。銃口から放電するタイプの、本来は殺傷力が低い護身用具。いざという時に、全く頼りにならないそれ。だけど、こんな至近距離で撃たれたら、死ぬこともあり得る。
針が二本突き出した銃口の。その先にある、ベルトマンの双眸を睨みつけた。
「……恐怖はないのか?」
「怖いですよ。死ぬのは、怖い。まだ、僕にだって出来ることがあるはず。やり残したことがあります。可能性を捨てることも、つらい。ハームとの別れは悲しい。死にたく、ありません」
「ならなぜ歯向かう。なぜ、銃を前に頭を下げない」
「まだ、まだ彼女の気持ちも理解できてません。納得もできずにここで黙って眺めてるくらいなら、撃たれる方がマシだ!」
そうか。
そんな呟きが、どこか暖かかったのは、きっと気のせいだ。
カチ。と、安全装置がその役目を終える音がした。
ご愛読ありがとうございました!
次回作にご期待ください(嘘)