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前3

 ビッグベンの前で待っていると、フロートカーが目の前に横付けされた。

 地方都市の文化基準で例えるなら、スノーモービルを大型にし、全体を覆ったようなデザイン。地面に接する部分はなく、一五センチほど宙に浮かんでいる。ふわふわとした不安定さはなく、まるでその位置に見えない硬い板があるような乗り心地になっている。

 ニューロンドン市の公務員専用の、全てが黒く塗られたそれは、まるで僕に催促をするかのように沈黙していた。


「これ、ベルトマンさんが乗っているのかな」

「そうなんじゃない?」


 ハームが無造作に前脚で認証パネルに触れた。グリーンサイン。カシャリ、と音を立ててドアが開く。


「メルン、おいでよ」


 中から顔をのぞかせたハームが言う。ベルトマンの運転するフロートカーだったようだ。ちょっと高く感じるステップを踏み越えて中に入る。背の低い僕くらいなら立っていられるくらい、天井が高い。

 車両の先端付近に、二人分の座席と手動操縦用の機器。それと、このフロートカーの頭脳となる端末。あとは広々としたスペースになっていて、壁際にそれぞれ背もたれ付きのベンチが据え付けてある。そこに腰かけているのは、ベルトマンと彼の相棒。


「――おはようございます。ええと、狼?」


 長い体を背もたれに預けているベルトマンの隣には、美しい純白の体毛の犬がいた。その大きさは黒ヒョウのハームに匹敵し、獰猛かつ知的な、面長の顔は狼を思い起こさせる。


「バックル。私のサイボーグ犬だ。品種はホワイトシェパード。狼ではない」

「ホワイトシェパード……。そんな品種もあったのですね」

「そんなことはどうでもいいだろう。早く座りたまえ。車を出せない」

「あっはい、すいません」


 向かい合い、視線を交差させて座る僕とベルトマン。その足元で、視線を交わすハームとバックル。

 ベルトマンは相変わらずの悪い顔色だ。バックルも、よく見ればその美しい白毛のところどころが抜けてほつれている。精悍さは、もしかすると、痩せすぎている故のことかもしれない。

 なんていうか、ボロボロなコンビだな。


 ベルトマンが自分の腕時計型の端末を操作すると、かくんと真横に体が引っ張られる感覚がした。端末とフロートカーを同期させてあったのだろう。自動操縦で、道路の上を走り出した。

 外から見れば全面黒塗りのフロートカーだが、内側からは、全面がクリアな透明のガラス張りのように見える。すれ違うフロートカーはわずか数台。お昼前の半端な時間だからかもしれない。


 バックルは姿勢を正し、微動だにせずに座っている。対して、ハームはベンチにだらりと寝そべっている。心なしか、バックルの視線が非難の色を含んでいるような気がする。

 ベルトマンは一言も話さない。けど、視線はじっとこちらに向けられている。

 ――もしかして、昨日のサックスとの会話を知っているのかもしれない。

 ふと、そんな不安が胸をよぎった。

 いや、だめだ。不安を表情に出しちゃいけない。まだベルトマンは何も知らないかもしれない。これで余計な疑念を植え付けたら、ろくなことにならない。いっそ、ハームの自然体を見習うべきかもしれない。


 ハームの真似をして、だらりとしてみる。

 視線の怖さが七割増しで増えた……。

 居住まいを正した。


「そろそろ着くな。到着前から疲れているようだが、体調管理はしていないのか?」

「いえ、大丈夫です。問題ありません。それにしても、もう着くんですね」

「所詮は狭いニューロンドン市内だからな」


 ベルトマンはそれ以上言わずに、マンションの駐車スペースにフロートカーを滑り込ませた。ドアが開き、まずはハームが降りる。それに続いて、僕、ベルトマン、バックルの順で降りた。


「さて、この建物だ」


 見上げたのは、やや古い外観の集合住宅。とはいえ、高さは見たところ十数階あるし、目立った綻びもない。ただ、排気ダクトの周辺など、こまごまとしたところにこびり付いた汚れが目立っていた。

 新しい建材こそ使われているけれど、構造が古い。昔のクラシックな集合住宅の建て方をしている。

 ベルトマンが端末を操作し、通話をかける。女性が通話に応答し、部屋で待っていることを述べた。一九歳のイメージに合う、若々しい声だった。


「行こう。ここの六〇八号室だ」


 フロートカーと同じ仕組みが採用されている、カプセル型のエレベーターに乗り込む。低価格帯のマンションなのか、エレベーターは小さく狭かった。足元で、くっつく羽目になったハームとバックルがお互いに嫌そうな顔をしている。僕も息がしづらい。呼吸の一つ一つで、なにかとベルトマンの存在を意識してしまう。六階についたときには、思わずほっと息をついたほどだ。

 目的の部屋につき、インターホンを鳴らした。女性も待っていたのだろう。ドアが自動で開いた。


「失礼する。一級ウォッチメイカーのベルトマンだ」

「失礼します。三級ウォッチメイカーのメルンです」

「どうも……」


 部屋のつくりとしては、玄関と短い廊下。廊下の横についているバスルームとこじんまりとしたキッチン。奥に八畳ほどの広さの部屋。

 ぼそっとした声で挨拶をしながら出てきたのは。

 アジア系の血を引いてそうな薄い顔立ち、脱色され過ぎて白と金の境目になってしまった髪の色と、その生え際の黒。化粧で作られた、はっきりとした目鼻立ち。痩せすぎた体を、首元が大きく空いたシャツで包んでいる。下に履いているショートパンツは、骨の浮いた膝頭と、細すぎるふとももを目立たせている。


 なんていうか。カルチャーショックを受けた。


 ダストシュートがあるから、ゴミこそ散乱していないが。過剰に物が置かれ、統一感のない部屋の様子に、くらくらしそうだ。

 床の上に置かれている、鏡代わりのタブレット。投げられたままの男物の靴下。妙な空疎が寄り添っている。


「あの、動物は入れないで欲しいんだけど……」


 片足に体重をかけるような立ち方で、女性がぽつりと呟いた。伏した視線の先には、ハームとバックルがいる。


「我々ウォッチメイカーの、サイボーグ動物の同伴を断ることは出来ない。我々の身の安全を保障するものでもある為、そこは我慢していただきたい」


 ベルトマンがばっさりと断る。女性はふうんと頷いた。納得もしていないけど、それ以上の不満もない。というか、口にしてみたものの本音ではどちらでもよさそうな感じだ。


「あ、どうぞ座って……ください?」


 小さなテーブルを挟んで置かれている椅子を勧められる。

 先に座った僕らの前に、冷たい紅茶が出される。カゴに無造作に積まれていたグラスに注がれたそれに、ベルトマンはちらりと視線を投げかけるだけだ。手に取ろうとはしない。

 女性は自分の飲み物出し、僕らの向かい側に座った。


「えっと、初めまして。アンジェっていいます」

「よろしく」

「メルンです。よろしくお願いします」


 頭を下げ合う。顔の前にかかった長い髪を、アンジェは手で後ろに払った。

 指先の合成樹脂の長いネイルは、小指だけはがれてしまっている。

 僕の目が指先を追っている間に、ベルトマンが端末から契約書と資料のファイルを取り出していた。それを、女性に向かって飛ばす。


「今回の契約に必要な書類と資料になっている。受信許可を押してくれ」


 近距離で直接飛ばすファイルは、端末を攻撃するファイルの可能性もあるから、受け取る許可を出さないと見ることができない。ウォッチメイカー同士のような、相手を信頼出来て当然な関係の場合は、最初から許可の設定にしていることが多いけれども。

 アンジェが操作をし、ざっくりと目を通す。こまごまとした一つ一つの項目に目を通しているとは思えない早さだ。


「二〇年以上からの買い取りになってるんだ……」

「それ以下だと、こちらの採算が合わない。買い取りの査定額が大幅に下がることに同意するのであれば、その限りではないが」

「いや。じゃあ、三〇年くらいでいっかな」

「三〇年間。であれば、金額にすれば七四〇万ポンドになる」

「うん。それでいいよ」


 アンジェは、さもどうでも良さそうに言った。

 七四〇万ポンド。現在の通貨価値や、ニューロンドン市の物価で言えば、二〇年間はそれなりに豊かな生活ができるくらいの金額。切り詰めれば、四〇年間生きられるくらいか。


「三〇年間のような、大きな単位での寿命の買い取りを行う場合、命を失う場合がある。事前に提供された情報をもとに算出した寿命上では、問題なく生きることが出来るが、万が一ということもある。本当に、三〇年間で大丈夫なのか、もう一度考えていただきたい」


 ベルトマンの問いに、アンジェの瞳孔が揺れた。


「いや、大丈夫。三〇年間でお願い……します」


 声のトーンは、変わらない。

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