前2
サックスに、これからベルトマンとの仕事で、ニューロンドン市内に住んでいる女性の寿命を買い取りに行くんだという話をした。
「これは仕事だから、疑問を抱くべきことじゃないっていうのはわかっているんです。ですが、僕らウォッチメイカーが何のために仕事をしているのかって考えたら、ちょっと違うんじゃないかって思ってしまうんです」
「なるほどな。ニューロンドン市の時間を加速させるのは、ニューロンドン市民のためだから、そこから命を買い取るのはおかしいって考えかな」
「はい。まあ、そうです」
サックスはあごに指を添えて、少しだけ考えるそぶりを見せた。
「うーん。一級ウォッチメイカーという立場からは言えないことだが、その疑問はあながち間違いじゃないと思うんだよな。そもそも、まだ生きている命からエネルギーをとる、っていう行為自体が正しいのか怪しいところだ」
僕は驚いて、サックスの目を凝視してしまった。
一級ウォッチメイカーの口から、現在のニューロンドン市の仕組みを疑問視するような発言が出るとは思わなかったからだ。
「まだ生きている命から……というのは、ニューロンドン市民に限らず、他の地方都市の市民も含めてのことですか?」
サックスの目が細まる。テーブルの上に置かれていた手が動き、指を組んだ。
「言葉通りの意味だが?」
そう、ぼやけた声で答える。柔らかい低音で。うっかりすれば、意識せずに聞き流してしまうような一言。
「君はどう思う?」
すかさず僕の答えを待つような質問。
胃の底が冷たくなった。
この人は、いったいどの立場から僕に質問しているのだろうか。ニューロンドン市に忠実なウォッチメイカーとしてか、ニューロンドン市民のために働いているウォッチメイカーとしてか、はたまた現行の制度に反対している僕のようなウォッチメイカーなのか。
「そうですね……僕も、そう思うときがありますよ」
僕も低めの声を出そうとして、失敗した。地声が高いから、こればかりはどうしようもない。
低いぼかした声は、相手の印象に残りづらい。どんな雰囲気のことを言ったのかは覚えられるけど、一言一句を正確に思い起こせなくなるのだ。だから、相手の考えに合わせた解釈で思い出される。
――そんなテクニックを使ってくる相手、ということ。
警戒しなければならない。僕も、どちらともとれるような返し方をする。
「そうか。それは良かった。人道的に、やっぱり正しくないと思うんだ。君のような若いウォッチメイカーが、同じように考えていると知って、少し安心したよ」
ぼかした答えを、断定するように返してきた。ただ、どの考えに同意したのかは相変わらずの不透明。
サックスに愚痴をこぼしたのは失敗だったんじゃないか。いまさらながらに後悔している。
僕の反応を楽しむように、サックスは薄い笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「人道的に、ですか。それもそうですね。サックスさんは、ニューロンドン市と他の地方都市の関係については、どのように考えているのですか?」
ならば、こちらから切り込んでいく。サックスが何について、話をしているのか、彼自身に言わせてしまえ。
サックスは口の端を釣り上げた。
「うーん。なかなか聡明な子だ。やりにくくってしょうがない。はっきり言ってしまうと、ニューロンドン市と他の地方都市の関係性については、良くないと考えている」
「そんなことを言っても大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。思想だけで罰されることはない。時計管理局にいると忘れそうになるけど、いちおうニューロンドン市は民主主義だからな。他都市の人間や、時計管理局に危害を加えた人間に対しては、裁判なしに処断が加えられるが、ニューロンドン市の人間に限っては、裁判を受ける権利もあるし、思想や良心の自由もある。まあ、出世には影響するが……俺はもう、ウォッチメイカーでは一番上になったからな!」
サックスはあっけらかんと言い放った。
腹の探り合いがあっさり終わったことに戸惑ってしまう。それが顔に出てたのか。
「おや、ずいぶんと驚いた顔をしているなー。で、君はどうなんだ? ウォッチメイカーをやっていると、たくさんの人の死に触れると思うんだけど? 間違っているとは思わないのか?」
「それは……思うときもありますよ」
はっきりと言うのが怖かった。まだ、この人を信じ切ることができない。
思うときもある、なんてものじゃない。常々間違っていると思うし、それを変えるためにウォッチメイカーになったまである。
「そうか。なら、その気持ちを大事にすると良い。俺たちウォッチメイカーは、ニューロンドン市の公務員だ。ニューロンドン市の命令に従い、人を殺すのが仕事だ」
サックスはそう言い切った。そして、「だが」と続ける。
「それでも、俺たちだって人間だ。考える、一つの個人なんだ。自分の正義を大事にしていこうぜ。正しさとは何なのか考える権利も。そして、正しくなければ変える力も持っているのがウォッチメイカーだ。君にも、わかるだろう?」
「力、ですか」
「頭を柔らかく使おう。手段はないわけじゃない。大きな変化をもたらすためには、常識を飛び出した手段が求められることもあるさ」
サックスの腕時計型の端末が振動音を鳴らす。指を組んだまま、腕を傾けて通知を確認した。
立ち上がり、椅子を戻しながら言う。
「さて、俺は次の仕事の時間だ。君とはまた話したいところだな。ベルトマンさんは、ニューロンドン市そのもののような人間だ。一緒に仕事をしていて悩むことはあるだろう。そんなときは、気兼ねなく話してくれ」
「はい。ではまた」
「行ってくる」
片腕をあげ、それを挨拶の代わりにして去って行く。サックスと、彼の横を歩くユキヒョウの後ろ姿を「お気をつけて」なんて、聞こえるのか聞こえないのかという声で見送った。
「なんだか、嵐のようなカフェテラスね」
「なにがなんだか、もうわかんないよ」
「ニューロンドン市のやり方に反対するウォッチメイカーなんていたのね。こんな人目がある場所で、あんなこと言って大丈夫なのかしら?」
「さあ?」
僕も立ち上がり、外に歩いていく。
感じていたのは、こんな人気のあるところで話さないで欲しかった、という苦い思いと。自分以外にも、同じような考えを持つウォッチメイカーがいたことへの、小さな興奮だった。
「問題は、彼が信用できるかどうかね」
「これからも話す機会があるみたいだし、時間をかけて見極めていこうか」
「それがいいわね」
ハームが、すっと前に出る。他のウォッチメイカーのサイボーグは、みんな後ろを歩くんだけどな。
明日は、ベルトマンとの仕事だ。胃薬と、カルシウムのサプリメントを買って帰ろう。