前1
その内容とは、ニューロンドン市内に住んでいる女性から申し込みがあったために、寿命を金銭で買い取るための交渉をしに行くというものだった。
理解できないことだらけだ。
「……連絡されていないと思うのですが、寿命を買い取るようになったのですか?」
ベルトマンは嫌そうな顔をした。
「我々がニューロンドンを離れている間に、そんなことになったらしい。生物が一定以上の密度で集まっていると、生物が死ぬときのエネルギーの放出半径が、生まれるときのエネルギー吸収半径よりも広いというデータが上がった。これを受けて、自らニューロンドン市の時間に貢献する市民を集めることにしたらしい」
「ちなみに、その特殊な例が当てはまるのは」
「ニューロンドン市のみだ」
「そうですか。なぜ連絡がされていないのですか?」
ベルトマンがやれやれと首を振った。
「上が考えることだ、私にもわからない。ただ、スミス二席は『ニューロンドン市内にいるウォッチメイカーのみに関わること。帰ってきてから伝えればよい』と言っていたがな。反対の多そうな制度だ。短期間で終わると見越したのかもしれんな」
「そう……ですか」
そうなのか? おかしくないか。変更したならば、そのときにまた連絡すればいいだけのことじゃないか。
まあ、それは置いておくとして。
僕の目は、仕事内容のある部分にくぎ付けになっていた。
「今回の仕事の対象者……一九歳女性になっていますが。これはどういうことですか?」
備考欄に、健康状態良好と書いてある。
もうすぐ死ぬから、生まれ故郷の役に立ちたい……なんていう雰囲気ではない。
テーブルの上に置いたままのカップから手が離せない。指がこわばって、固まってしまったかのようだ。
「文字通りだ」
背もたれに身を預け、斜めからベルトマンが短く答える。
「それは、健康で、まだ長く生きられる未成年のニューロンドン市民の命を奪う、ということですか?」
「実に主観的な言葉だ。私は『文字通り、一九歳女性から、寿命を金銭で買い取るのが今回の仕事』だと言ったのだよ、メルン君」
「その一九歳女性は、ニューロンドン市民で、買い取る価値があるほどの寿命を持っているのでしょう⁉」
僕らは一体、何の為に仕事をしているんだ。
ニューロンドン市民のために、ニューロンドン市の時間的アドバンテージを保持するために、人道に反することをして手を汚すのがウォッチメイカーなんじゃないのか。
地方都市の人間を犠牲にするやり方には納得していない。怒りも感じている。けれど、ニューロンドン市のためにニューロンドン市がやっていることとして、建前に文句をつけることは出来なかった。
だが、これはなんだ?
ニューロンドン市のために、ニューロンドン市がやっている政策で、ニューロンドン市民を殺すのか?
「間違っている……」
ぱきり、とカップの取っ手が折れた。陶器の破片をソーサーに放り捨てる。ベルトマンの視線は一瞬それを追ってから、僕の目にぬるりと戻された。
「それを決めるのは、君ではない。それに、これは当の本人からの申請があってのことだ。我々が強制したわけでもない」
「それでも、大義がありませんよ」
「それを決めるのは、君か? 君の大義や正義が、何の意味と価値を持つというのだ? 主観で仕事をするな。視野が狭い者ほど、逆に正義とやらを見失うぞ。ニューロンドン市は金よりも時間エネルギーを必要としている。この女性は寿命を必要とせず、金を必要としている。それ以上でもそれ以下でもないだろう。頭を冷やせ」
「くっ……すいません」
納得は出来てない。けれど、反論の言葉も出てこない。
ベルトマンの瞳に射抜かれている気がする。もう、その目を睨み返すことはできなかった。心の内を見透かされそうな気がする。
ソーサーの上の折れた取っ手が、いやに存在感を主張していた。
「まあ、いい。君はただ、これ以上人を殺したくないだけなのかもしれんな。手を汚す覚悟がないなら、この仕事を引退することを勧める」
一瞬、その言葉に強い甘みを感じてしまった。
揺れる心を噛み潰し、錆びついたように固い首を振る。
「いいえ、やめる気はありませんよ。具体的な内容の説明をお願いします」
変えたくて、始めたんだ。その途中で、手を汚すことは覚悟していた。
「そうか? ならば説明の続きをしよう。下に記載されている日時に、申請者の家に向かう。これは、申請者にとっては生死に関わることであるが故に、出来るだけストレスを緩和するための規定だ。場合によっては、申請者が病床から動けないこともあるからな」
「もしこれ、申請者が心神喪失状態など、まともに契約内容を理解できない状態だった場合はどうするんですか?」
「その場合は契約は成立しない。そういった状態を確認次第、我々は撤収する」
「わかりました」
ベルトマンは一瞬だけ顔をしかめ、懐に手を入れかけ、途中でやめた。額に汗が浮いている。ハンカチでも探したのだろうか。
「よろしい。次に、一級ウォッチメイカーと三級ウォッチメイカーが組む理由についてだ。三級ウォッチメイカーへの教育という面もあるが……一級ウォッチメイカーの装備は、市内で襲撃をされたときに、火力が過剰すぎるのだよ。だから、戦うのは基本的に君のサイボーグ……」
「黒ヒョウのハームです」
「そう、ハームになる。そのことは心得ておいてくれ」
ベルトマンはこんなところか、と言って、ホログラムを収納した。
残った紅茶をぐいと飲み干す。
「その書類データに、私の連絡先を添付してある。明後日、また会おう」
「はい」
ゆっくりと立ち上がり、ベルトマンは去り際に言った。
「そういえば、最近の薬局には飲みやすいカルシウムのサプリメントもあるそうだ。この後は暇だろう、行くと良い」
「最優先で買いに行きます」
取っ手の折れたカップの先に、細長い背中が小さくなっていくのを見送る。
「はぁぁぁぁぁあああ」
疲れた。なんだ、あの人。
「散々な目にあったわね」
ひっそりと気配を隠していたハームが、腰を反らして伸びをした。
「あいつと組んで仕事? 冗談じゃないよ……」
椅子を少しだけ後ろに傾け、天井を仰ぎ見る。と、真上に困り顔のウェイターがいた。手には、伝票のようなものと、会計用の端末を持っている。
「……なんですか?」
「あの、大変申し上げにくいのですが、カップの弁償として――」
「電子マネーでお願いします」
本当に、散々な目にあった。テーブルに突っ伏して、肺がぺったんこになるまでため息をつき直す。いまなら、この部屋の酸素が無くなるまでため息をつき続けられる。
「どうした、新人君」
ベルトマンが座っていた椅子ががたりと引かれる音がした。
ユキヒョウを連れたウォッチメイカーが、向かいの席に座っていた。短く髪を刈り上げた、好青年の擬人化って感じの人だ。といっても、年齢は僕よりも上? 若作りなアラサーっていう雰囲気がする。
「あ、メルン三級ウォッチメイカーです。あなたは?」
「サックス一級ウォッチメイカー。同じヒョウのサイボーグを連れている先輩として、ちょっと気になったからさ。どうした? そんなにため息をついて」
一級。ベルトマンと同じ、ウォッチメイカーの最高ランク。
こんなに若い外見で一級ということは、相当なエリートだ。
「いえ、あの……ちょっと上司とそりが合わなくてというか……はは」
誤魔化すように言うと、サックスはカラカラと朗らかに笑った。
「俺の若いころと同じだ! さっきここを出ていくベルトマンさんを見たけど、もしかして、上司って彼のことか?」
「ええ」
「うーん、あの人はなかなか取っ付きにくい性格してるからな。そりが合わないってどんなことがあったんだ?」
どうやらベルトマンを知っているようだ。一級同士となれば、何かしらの交流があるのかもしれない。どう説明したものか、と頭を悩ませていると、サックスが頭をポリポリと搔きながら言う。
「まあ、なんつーのかな。ちょいお節介で恥ずかしいけどよ。やっぱ、若い子が悩んでいるのを見ると、ほっとけないんだ。先輩として、何かしらのアドバイスもできると思うし、言ってごらんよ」
僕はあいまいに頷いた。