序3
列車のかすかな振動を感じながら目を閉じていると、ハームががばりと体を起こす気配がした。
「前方に障害物! 列車の速度を落として!」
「嘘だろ!?」
あり得ないことにパニックに陥りかけるが、すぐに運転席に飛び込み、手動操作のレバーを引いて急ブレーキをかけた。
車内アナウンスをつける。
「線路上に障害物が確認されたため、事故防止のために急ブレーキをかけました。原因を解明するために、時間をいただく場合があります。ご了承ください。また、障害物撤去作業のため、大きな音や振動などが発生する可能性があります。あらかじめご了承の上、落ち着いて車内で待機してください」
早口で一気にまくしたて、アナウンスを切る。移送中の子どもたちにまでパニックを起こされると面倒だ。
障害物の撤去だけで済むとは思わない。障害物があるということは、必ず置いたやつがいる。
「ハーム、レーダーに反応は?」
「金属反応が多い! 障害物はフロートカー。それと、実弾銃で武装した人間が六人!」
「襲撃かよ! なんだってんだ。敵の動きは?」
「障害物の奥で待ち構えてる。弾薬ベルトが見える。機関銃よ」
「厄介な……。待ち伏せということは、先にウォッチメイカーを始末するのが狙いかな」
「きっと、そうね。どうする?」
ドアを開けて攻撃するにしても、ハームが撃たれて動きを止めたら、そこで詰む。相手の目的もわからないのに、迂闊に行動できない……。こちらは列車も守らなければいけない。状況が不利すぎる。
「列車をバックさせて、ぶつけるのは?」
「間に合わない! 突撃してきた!」
「くそっ! 何人来てる!?」
「全員!」
まずい。まずい、まずい。どうすればいい、どうにかしろ。
深く息を吐く。考えろ。考えろ。
「爆発物は?」
「閃光手榴弾持ってるみたい」
「おっけ」
閃光手榴弾。強い光と音を発しながら爆発させることで、相手を行動不能に陥れさせる武器だ。状況に応じて使い分けられるように、威力が低いものと高いものがある。
ウォッチメイカーを襲っているということは、人間に対しては、視覚や聴覚を完全に破壊し、サイボーグ動物さえ行動不能にするような、強力なものだろう。
そんな装備を持っているということは。
頭の中で、パズルのピースが組みあがっていく感覚がした。
わかった。大丈夫、対処できるはずだ。
「ドアが開いたら飛び出して。リニアカノンの準備を。後部車両の陰に逃げて、そこから砲撃。斜めに、レールに当てないように」
「任せて」
もう、ドアの前に人の気配。
かかって来いよ。
手動でドアを開いた。横蹴りで、すぐ目の前にいた奴を蹴り飛ばす。防弾コートの感触。がつんと、瞬間的に硬化した響き方。僕の頭上を、黒ヒョウが飛び越えた。迅雷の速さで、一気に戸枠の四角い世界から消え去っていく。
「サイボーグだ! 抜けやがった!」
「ダメだ、後部車両に行きやがった!」
「無視だ。中に入ればなにも出来ねぇ!」
蹴り飛ばしたやつの後ろにいた暴徒が、僕に銃口を向けた。
「動くな!」
貫通力の高いライフル弾を、高速で連射する機関銃。昔は車両に積まなきゃ使えないくらい重かったのに、軽量化が進んで、個人でも扱えるようになった代物。
人間に向ける破壊力の武器じゃない。
僕も防弾コートを着ているけれど、撃たれたら痛いじゃ済まないだろう。一発じゃ、きっと死ぬことはない。けれど、連射されれば。
背中に冷たい汗が流れる。
目の前にある、殺意を物理に置き換えたような、冷たい塊に足が震える。
でも。命は助けてくれだとか、みっともない命乞いはしない。
投降した時が、僕らの負けなんだから!
「撃てよ」
「は?」
一様に、理解不能だと顔で語る。
撃てば死ぬのはお前だろと、そう無言で問うてくる。
「撃てと言っているんだ!」
思わず怒鳴った。
その、アホ面晒している時間が悠長なんだよ! 殺す覚悟もなく、僕らに銃を向けるな!
そんなんだから。
――死ぬことになるんだ。
暴徒たちの体を、紫電が通過した。一条。一撃二殺。
時間の壁を越えた砲弾が、宙でめりめりと歪んでいく。状況を理解できなかった、暴徒たちの気持ちを表すかのように、彼らの体はぽつんと過ぎていく時間の中で立ち尽くしていた。
ぱしゃん。
肌に感じるのは、衝撃と血なまぐささだ。
生き残った四人が、ぽかんと口を開く。
「や、やりやがった」
「う、うわぁぁぁっ」
恐慌に陥った一人が悲鳴を上げ。銃口を持ち上げた。
やっばい。
列車の奥に、転がり込む。その背後で、銃声が連続で響き渡る。列車内の座席が切り裂かれ、壁で火花が飛び散った。
頬に、ぴっと熱いものが掠った。
「跳弾!?」
硬い壁に跳ね返され、銃弾が乱反射しているんだ!
床に伏せて、頭を抱えた。ひゅんっと、耳元で跳弾が通り過ぎる音がする。やばい、やばい。跳弾は考えてなかった!
「ハーム!」
砲撃の音。やんだ銃声と、男の悲鳴。
恐る恐る視線を上げると、最後の生き残りを、ハームが空へと蹴り上げ、さらに追撃のリニアカノンを叩きこむところだった。
人間だった残骸が、血の雨となって、後部車両に降り注ぐ。
しん、と静寂が降りた。
「さ、流石だね、ハーム」
ひらりと、血だまりを避けるように黒ヒョウが降り立った。鋭い牙が咬み合う口の端から、冷却液の蒸気をたなびかせている。
「状況は全て録画して、報告書用のファイルに入れてある。ニューロンドンに帰ったら、すぐに上に提出できるわ」
「ありがとう。ついでに、これらの清掃とかも上に依頼してしまおう」
「そうね。とりあえず、障害物を撤去しないと……」
「列車でゆっくり押したらなんとかならないかな?」
「……計算してみたけど、いけそう」
ハームが体を屈めたので、車内に下がる。空いたスペースに、ひらりとひとっ跳びで入ってきた。後ろ足でレバーを蹴って、ドアを閉める。
尻尾をゆらゆらと振りながら、歩みを止めることなく寄ってきた。
「な、なに? ハーム」
後ずさっても、そのまま距離を詰めてくる。視線を合わせてくれないことに震えた。
「ちょ、ちょっと。怖いって。え、うわっ」
体当たりされ、床に押し倒される。目の前に、金の瞳があった。
口元にざらりと生暖かい感触。舐められた。
「ちょ、ハーム? うわぷ」
繰り返し舐められる。ざらざらしてて痛い。じょりじょり鳴ってる。削れる削れる!
「痛いって!」
「メルンのばーか」
「ばかってなんだよ」
胸元にぽすんと頭突きされる。
「撃て、なんて言わないでよ……」
思っていたよりも、ずっと細い声だった。
「防弾コートあるから……」
「頭に当たったらどうすんの」
「……ごめん。カッとして、勢いで言ってたところもあった」
「メルンが死んだら、わたしはどうすればいいの?」
「……ごめん」
そっと頭に手を置いて撫でようとすると、前脚でぱしっと払われた。今度は顔中を舐め回される。
ヒリヒリしてるところを唾液まみれにされながら、ただ、ごめんと連呼するしかなかった。
やっとのことでハームが許してくれた頃には、障害物の押しのけは終わっていた。いつの間に退かす作業をしていたんだ。手際が良すぎる。恐ろしい子、といったところか。
車内アナウンスで作業が終わり、また走り出すことを伝え、自動運転に戻した。今度こそ、列車はニューロンドンに向かって走り出す。
あの暴徒たち……たぶん、ニューロンドン市の人間だ。
列車を襲う目的は、考えられるだけで四つ。
まず、ニューロンドン市もしくはウォッチメイカーに対する破壊活動。壊すことが目的。二つ目が、僕個人への暗殺。三つ目が、輸送中の子どもたちの救出。最後が、子どもたちの強奪。
破壊や暗殺が目的なら、爆薬を設置して列車を吹き飛ばせばいい。だとすると、目的は輸送中の子どもたちということになる。その証拠に、後部車両を盾にしたハームを銃撃できなかった。
子どもたちが目的ということは、いずれにせよウォッチメイカーの仕事を知っているということ。つまり、ニューロンドン市の人間ということになる。
犯人を捕縛できたわけじゃないから、それ以上のことはわからない。上に報告するしかない、か。
路線内に車両を持ち込んでいるんだ。監視の映像にも映っているだろうし、簡単に素性がわかることだろう。
それで解決だ。
解決なのだろうけど……。
何か、すっきりしなさが残っていた。何か、見落としていないだろうか。
考えが頭の中を堂々巡りしている間にも、列車は迷いなくまっすぐに、ニューロンドン市に向かっていく。考える時間は、あまり残されていなかった。