序2
列車がたどり着いたのは、中華第一都市。この大陸の、東の果てに位置する都市だ。駅のホームまではニューロンドン市と同じ時間で流れているが、改札の外はもう現地の時間の流れだ。この壁を通り抜けるとき、体に妙な負担がかかる。
ウォッチメイカー用の部屋に入り、中にある端末を操作する。
ニューロンドン市にある、時計管理局という役所あてに、到着のシステムメッセージを送信。システムメッセージを送ると、ちゃんと届いたことを確認するシステムメッセージが自動的に返ってくる。それを確認してから、駅を出た。
胸に徽章がつけられた、防刃防弾のコートを羽織る。普通のウォッチメイカーが着れば威圧感たっぷりになる、このグレーの裾が長いコート。悲しいことに、僕にはあまり似合わない。
市長らに迎えられ、僕の滞在中の予定を話し合う。滞在期間は一泊二日という短いもの。今日は時計塔に行き、この都市の時間の流れを調整することになる。明日は、前にこの都市に来たウォッチメイカーが取り決めた通りに、ニューロンドン市への留学・移住希望者を列車に積んで運ぶことになる。
「空気が汚いね」
「まだディーゼル車とか使ってるみたいね。空気中から、硫黄酸化物が検出されたわ。メルンには空気が悪すぎるかしら?」
「平気さ。慣れてる」
僕の前を歩くハームについていくようにして、時計塔まで二人で歩く。
ニューロンドン市は、この大陸では支配的な地位にある。圧倒的に速く時間が進んでいるから、技術も軍事力もけた違いに高いのだ。だから、そのニューロンドン市の公務員である僕は、この都市では要人という扱いになる。それなのに、ハームとたった二人で歩き回っているのには、もちろん理由がある。その最たるものが、サイボーグ化動物の戦闘力だ。
状況にもよるけれど、ハームが本気で戦えば、この街の警察組織を壊滅させることすら可能だ。高性能のレーダーやセンサー。高い演算能力を持つ、人工知能の計算領域。高い機動力を持つ機械化された肉体。そして、口の部分に搭載された、リニアカノンのような、最新の兵器。
護衛なんかつけても、むしろ邪魔なだけなのだ。
駅から徒歩三分程度の場所にある、高くそびえ立つ時計塔。厳重にロックされた門につけられたパネルを操作し、中に入る。
縦長の、昆虫のさなぎを彷彿とさせる装置に入り、首にかかっている金時計に触れた。時計の文字盤がぱかりと開き、歯車たちがむき出しになる。
「相対時間加速度は……規定通り。時間エネルギーの残量は、想定より減りが早い? これは報告案件かな」
カチコチと動く歯車と、そこに刻まれたメモリを見て、この都市の時間の状況を確認する。
コートの中に着ていたジャケットのポケットから、指輪を入れるジュエリーケースに似た箱を取り出した。中に入っているのは、正一二角形の、薄い結晶。時間エネルギーを抽出して、三次元に形を与えたものだ。これを、金時計の中央に空いているスペースにはめ込む。
文字盤が閉じ、長針がぐるぐると十二回転。これで、一つ目の仕事は問題なく終わった。文字盤がもとの時間を指したときには、時間エネルギーは全て空間に溶け込んでいる。
装置から出る。
「終わった?」
「うん。なんだかな」
「なんだか?」
「ずいぶんとアッサリと、結晶が溶けていくものだなと思ってさ。たった数秒だ」
「そんなものじゃない」
ハームが僕の足に、体をこすりつけるようにくるりと回った。
「明日のお仕事までは自由?」
「自由っちゃ自由かな。ただ、早いとこホテルに行かないと、従業員が不安がっているかも」
「そうね。できるだけ早いうちに、ちんちくりんな姿見せておいた方が、ホテルの人も安心するかしら」
「そういうことじゃない!」
ハームは耳をぺたりと閉じ、聞こえませんよと首を振る。このやろう。
「観光とか、していかないの?」
「うーん。あんまり見てもな」
「ノリ悪いなー。そんなんだから、童貞なのよ」
「ど、童貞じゃないし!」
「あっ、ふーん」
ハームは疑わしそうに眼を細めると、勝手に外に出て行ってしまった。これだから奔放な猫は困る。
「ハーム、どこに行くんだよ?」
「こっちこっち」
「おい、どっちだよ」
コンクリートの建物の隙間をすいすいと進んでいくハームを、小走りで追いかける。たまに振り返りチラリとこっちを見ては、すぐに先に行ってしまう。
「おいってば!」
やっと立ち止まったハームの横に行くと。
建物の切れ間の先に、果てしない青色が広がっていた。思わず息をのむ。
自由気ままな姿を見せる雲と、鮮烈な青空。その下には、宝石を散りばめたように、波間に太陽の光を反射させる海。
「海、だ」
「奇麗でしょ?」
ハームがくすりと笑う。
「うん……きれいだ」
地面にお腹をつけたハームの隣に、僕も座った。アスファルトの冷たさが、不思議と優しく感じられる。
「そっか。この街は時間の流れが遅いから、外の景色がきれいに見えるんだ」
「鮮やかね」
「うん。鮮やかだ」
「たまにはゆっくりした時間も楽しまないとね」
そう言って、ハームは目を閉じた。奇麗な景色、楽しんでないじゃないか。
さらさらと滑るような手触りの、ハームの背を撫でる。低い、低い波の音を聞きながら。
ホテルで過剰なもてなしを受けた、翌朝のこと。
駅の前に並んで待っていたたくさんの人を連れ、改札をくぐる。
留学生の子たちだろうか。幼いざわめきが、心を苛立たせた。
こっちは移住希望だろう。後ろにいる我が子に話しかけている、優しげな顔の若い父親と目が合った。満面の笑みで会釈される。鉛を背負っているかのように、肩が痛む。
全員を後部の車両に乗せ、僕らは先頭車両に乗り込んだ。
走り出す列車。去って行く中華第一都市。すべてが背後に消えていく中で、車内にいる子どもたちの声ばかりがついてくる。
申し訳程度に音を遮る車両間の隔壁から聞こえてくるのは、楽し気な笑い声。そして、まだ見ぬニューロンドン市の、希望に満ちた姿。
「これが、嫌なんだよな」
胃がしくしくと痛む。ため息すら出てこないほどに。
「本当にね」
ハームも、額に片足を乗せて沈鬱に呟いた。
時間は限りあるエネルギーだ。
時間エネルギーは、空間と、「命」と呼ばれるもの――活動している生命体のそれぞれに蓄えられている。
空間に蓄えられた時間エネルギーは、空間内の時間を押し進めるために消費される。
対して、生物に蓄えられた時間エネルギーは、その生命活動を押し進めるために使われる。寿命の短い生き物や、緩慢な生を送る生き物は、持っているエネルギーが少ない。
生き物は生まれるときに、その「命」に生命活動のための時間エネルギーを蓄え。年を経るごとに、空間型の時間エネルギーに変換して、ため込んでいく。そして死ぬときに、周囲に放出するのだ。
つまり、かつての世界のように。先進国の大都市ばかりに、人間という寿命が長く、かつ速いテンポで生きる生き物が一か所に集まってしまったら。その周囲にばかり時間エネルギーが集まり、地域によって時間の流れ方にバラつきが生まれてしまうことになる。
ニューロンドン市の空が人工なのは、昼も夜も一度始まれば終わりが見えないくらい長く続くようになってしまったからだ。
各地の時間の流れ方の差がいよいよ顕著に表れた頃に、研究され生まれた技術が、生き物の「命」から、空間的時間エネルギーを奪い、結晶にするというものだった。
ニューロンドン市は「命」を集め、ウォッチメイカーによって、各都市に時間を振り分けるようになる。
――もっとも、それだけが仕事であるならば、「ウォッチメイカー」の名にも誇りが持てるのだけど。
「あの子たちは、何も知らない。僕らは、知っている」
「そうね」
これから、あの子たちの命がニューロンドン市に奪われ、時間エネルギーに換えられるということを。
ウォッチメイカーとは、ニューロンドン市の略奪行為の、手となる存在なんだ。