おばあさんと春の女王様
冬童話2017参加作品です。
『今年の冬はいつもよりも長いのね』
暖炉のおかげで温かい部屋から白く染まっている窓の外を見て少女が呟きました。去年まではこの時期はもう春の気配が感じられたのです。それが、今年は感じられませんでした。まるで季節が冬に固定されてしまったようです。
『冬の女王様がまだ塔にいらっしゃるのでしょうねぇ』
ソファに座って編み物をしながらおばあさんが話します。その内容に興味を引かれて少女は窓から離れ、暖炉のそばにあるソファの手前に座りました。
『冬の女王様?』
おばあさんは少女をじっと見つめます。
『ああ、そうだよ。あたし達は一年で四つの季節を過ごすね』
『うん。春、夏、秋、冬の四つね』
『そう、それぞれの季節が訪れるのはね、その季節を司る女王様が交代で塔に住んでくださるからなんだよ』
春の女王様が塔に住めば季節は春に、夏の女王様が塔に住めば夏に、秋の女王様が塔に住めば秋に、冬の女王様が塔に住めば冬となる。彼女達が交代で塔に住んでくれるおかげで四季がめぐるのです。
『じゃあ、今はまだ冬の女王様の番なのね。でも…いつもならもう春じゃない』
『そうだねぇ。きっとまた春の女王様がわがままを言っているのだろうねぇ』
『わがまま?』
『ああ。彼女達は一度塔に入ると次の季節の女王様が扉を開くまで外に出られないんだよ。だから、春の女王様は春の感謝祭を見ることができない。それが悲しくて塔に行きたくないとわがままを言うんだ』
『でも…でも、それは当たり前だと思うわ。春祭りは春の女王様に向けたものでしょう?それを当の本人が直接受け取れないのは寂しいと思うの』
女王様だって新しい季節を喜ぶ祭りに参加できるのが当たり前でしょう。だって、主役はその女王様なのだから!
『あなたは優しい子ねぇ、オリビア。あたしもそう思うよ。実はね、あたしの若い頃も今と似たようなことがあったんだよ』
『そうなの? 聞きたいわ』
『それじゃあ少しだけ昔話をするとしようかねぇ』
おばあさんは編み物の手を止めるとにっこりと笑って話し始めました。
***
昔々…もう六十年も前のことになります。そのときも春が来なくて皆困っていました。
「参ったなぁ…このままでは作物を育てられないぞ」
「春蒔きが遅れれば収穫も遅れてしまう。時期がずれると売れなくなる物もあるからなぁ」
「春の感謝祭を行って人を呼び込むこともできないわ。冬のうちにたくさん商品を作っておいたのに」
「うちも同じよ。それに、あまり在庫を抱えておきたくないのよね」
「そうね。どうせまた冬が来れば作ることになるものね」
冬が悪いものだということではありません。冬があるから畑は休むことができて翌年の春から良い作物を育てることが可能になるのですから。けれど、あまりに長い冬は毎年の流れを乱してしまうかもしれないから困ってしまいます。
おばあさんはこの時は十二、三ほどでした。大人に混じって仕事をするほどではありませんでしたが、それなりに手伝いをし始めていたのでどうして冬が長くなると困るのか察することができていました。どうにかならないものかと考えましたが、たった一人の少女にできることなどそう多くはありません。だから、おばあさんは家で過ごして、時々外へ遊びに出掛けるくらいしかしていませんでした。塔の方を眺めつつ。
それからしばらくして、王様からお触れが出されました。
『冬の女王を春の女王と交代させた者には好きな褒美を取らせよう。
ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。
季節を廻らせることを妨げてはならない』
王様も困っていらっしゃるのね、とおばあさん達はことの深刻さを理解しました。もし誰も冬の女王様を説得できなかったら、最後に頼まれるのは昔から塔のそばで生活していたおばあさん達でしょう。けれど、誰もが冬の女王様を説得することができるとは思えませんでした。かといってこのまま何もしないと罰を受けることになるかもしれません。
早急に解決に向けて行動しなくては、と思ったのです。
「お母さん。ちょっと出掛けてくるね」
「いいけど、気を付けるのよ。あまり遠くまで行かないこと。塔の方に行くとしても、女王様の庭園までにしてちょうだい」
「分かっているわ」
女王様の庭園は一番塔に近い広場のことです。不思議なことに四季折々の景色が見られます。きっと女王様の魔法の力が働いているのでしょう。
おばあさんがその広場に遊びに行ったのは女王様の魔法の力の効果で話を聞いてもらえるのではないかと思ったからでした。
「女王様、女王様、冬の女王様。あたし達は春を待っているのです。どうして春の女王様と交代しないのか教えてもらえませんか?」
比較的天気が良い日は毎日広場へ行きました。でも、冬の女王様と会うことはできませんでした。この時はまだ塔の仕組みを知らなかったから、一生懸命通い詰めていました。
「今日もダメかなぁ」
「あなた、また来たのね。でも、いくら話してもお姉様に声が届くことはないわよ」
広場に通い始めて二週間ほど経った時のことです。いつものように魔法に触れて、いつものように何の反応もないことを確かめてがっかりしていると突然後ろから声をかけられました。一体誰だろうと思って振り向きます。すると、淡いピンク色の髪を持つドレス姿の女性がいたのです。
「あなたは……」
「我が名はサリナ。春を司る者よ。人には春の女王と呼ばれているわね」
とても驚きました。季節を司る女王様は滅多に人前に姿を現してくれることはないからです。でも、驚きよりも興味が勝ってそれほど動じることなく質問します。
「サリナ様。どうして冬の女王様に声が届かないのですか?」
「あら、そこからなのね。まぁ、いいわ。私達は塔にこもっている間は外からの声を聞くことができないの。いいえ、少し違うわね…どう言えば良いかしら。わたくしの場合は、塔に住むことによって春の魔力が世界を満たすの。そのときわたくしの意識は魔力と共に世界をめぐることができるわ。だから外の全てを見て、聞くことは可能ではあるのだけれど…特定の場所に止まることはできないし、全て一瞬のことで記憶するのもままならないの」
聞くことはできるけれど、全てを聞く前に動いてしまうのだということです。冬の女王様はきっと何かを伝えようとしていることは分かっても、その内容を聞き取ることはできなかったのでしょう。
「……それにね、一度塔に入ると、次の季節の女王が扉を開けない限りは外に出ることはできないのよ」
少し罰が悪い様子で続いた言葉にハッとしました。冬が終わらないのは目の前の春の女王様のせいでもあると分かったからです。
「……なぜ、扉を開けないのかうかがってもよろしいですか?」
そうしておそるおそる春の女王様が交代しない理由について問いかけました。
「……交代しなくてはならないことは分かっているわ。いつもならもう既に交代している時期だもの。わたくしが春をもたらさないせいで皆が困っているのにも気付いているわ。あんな顔をさせたかったわけじゃないもの」
うつむきがちになって、泣きそうな顔で春の女王様は肝心の理由を話してくれます。
「でもね、わたくしは…春の季節を感謝してくれる祭りをもっと知りたかったの。人々の様子を、春を喜ぶ笑顔を見たかったのよ。けれど…あなた達はいっこうに祭りを開いてくれないわ。……春が来なくては開くことができないのは当たり前の話よね」
気付けば涙を流していました。春の感謝祭は毎年参加していました。けれど、肝心の春の女王様がそれを楽しむことができていなかったことを知って悲しくなったのです。そして、どうにかして春の感謝祭をこの女王様に楽しんでもらいたいと思いました。
「泣かないで。未だに終わらない冬もわたくしのせいなのよ。わたくしのわがままでこのような状態になってしまったの。あなたが同情して泣くことはないわ」
「でも…でも、春の感謝祭はいつも楽しいのです。皆が明るい顔をしています。あたしはサリナ様にそれを見て欲しいです」
「けれど、春が来なくては祭りを開けないでしょう?もう良いの。もう、塔を開けて姉様と交代するわ」
「あと少しだけ待ってください!祭りを、開いてもらいますから。あたしはサリナ様に楽しんでもらいたいし、一緒に楽しみたいです」
「……そう、分かったわ。あと少しだけわたくしのわがままの時間としましょう」
そう言うと春の女王様はフッと消えてしまいます。でも、心配はいりません。最後に声が風に乗って聞こえてきたからです。
―――準備ができたらこの場所においでなさいな。共に行きましょう。
楽しみにしていると言ったようでした。それに、一緒に楽しみたいという願いを叶えてくれるということです。だから、絶対に祭りを開いてもらって、成功しようと思いました。
「お母さん!春の感謝祭を開いて!」
家に帰るとすぐに母に願います。
「まぁ、急にどうしたの?春の感謝祭は春にならないと開けないのよ」
「でもね……」
「おや、僕の愛しいディジー。お母さんに何かおねだりをしているのかい?僕には?」
そう言いながら背後から抱き上げてキスしてきたのは父のオースティンです。娘に甘い父ならばとこちらにもお願いしてみます。
「お父さん。あのね、春の感謝祭を開いて欲しいの」
「ディジー…春の感謝祭は春にならないと……」
「お父さんまで!でもあたし、サリナ様と約束したの」
「「サリナ様?」」
突然飛び出した名前に両親はそろって首を傾げていました。自分達の娘に敬称を付ける必要がある友人がいるとは思っていなかったという反応です。
「サリナ様は春の女王様なんだって。塔の扉を開けて交代しないのもサリナ様が春の感謝祭というものをもっと知りたいからだって言っていたの。いつも春のお祭りをしているけど、肝心の女王様は塔から出られないから楽しめなかったんだって。だから…だから……」
「なるほどね。春の女王様は春の感謝祭に参加したくて塔を開かなかったのか」
「あなた、冬の女王様もそのようなことをおっしゃっていたのですか?」
「いや、春の女王様の頼み事を聞いてやって欲しいとだけ言われたんだ」
この家の者はこの村の中で唯一塔の中に入る資格があります。そのため、父は塔まで行って、どうして春の女王様と交代しないのか聞いてきたようでした。
「ディジー。春の女王様は感謝祭を終えたら塔に行ってくれると思うかい?」
「うん。交代しなくてはならないことは分かっているって話していたわ」
「春は来るんだね…それじゃあ、祭りを開く準備をするように住民に伝えようか。ちょうど王様のお触れのおかげでこの村に来ている人も多いしね」
それからの展開は早いものでした。もともと祭りの仕込みはできており、あとは天気を読んで日にちを決めたり屋台を出したりするだけだったからです。そこに父が春の女王様が参加することを話したものだから皆張り切って準備しました。
「サリナ様?いらっしゃいますか?」
「ええ。ここにいるわ。そういえば、あなたの名前を聞いていなかったわ。教えてもらえるかしら?」
「あ…あたしはディスティニーです。ディジーと呼んでください」
「では、ディジー。いよいよ祭りが始まるのかしら?」
わくわくとした様子で聞いてくる春の女王様の姿は微笑まずにはいられません。とてもかわいらしい反応でした。
「はい!今年はサリナ様が参加してくださるので特に大きいものになりますよ!」
「まぁ!それは楽しみだわ。ディジー、行きましょう!」
サリナ様に手を引かれると春の魔力に包まれます。そのまま風に乗るように村へ行くことになりました。春の女王様の魔法です。
「サ、サリナ様?」
「素晴らしいわっ!どの家もかわいらしくなっているのね!」
「はい。どの家も扉や窓を造花で飾るのですよ」
「それに、ドアにあるタペストリーも…わたくしの柄ね」
「はい!この村は塔の周りにある四季の村のうち『春』をもっとも盛大に祝う所ですから!」
春をもっとも感謝する村であるこの場所が誇らしい。あの日、春の女王様を祭りに迎えられて本当に嬉しかったのです。
「―――ありがとう」
春の女王様の目に涙が浮かび、頬を伝っていきます。でも、せっかくの祭りは泣くよりも笑って楽しまないと。そう思ってことさらに明るく誘います。
「サリナ様!お祭りはもっと楽しいことがいっぱいありますよ!」
「そのようね。案内してくれるかしら、ディジー」
春の女王様にとって初めての春の感謝祭だったから見る物全てが新鮮だったのでしょう。彼女はとても楽しそうにしていました。
「ディジー、今日は本当に楽しかったわ。皆、春への希望が溢れていた。わたくしがもたらす季節がこんなにも求められているとは思ってもいなかったわ」
「あたし達の村はもともと春が好きな人が集まって作られたところなのです。みんな春の女王様が好きだし、感謝しています」
「ええ、わたくしにも気持ちが伝わってきたわ。とても嬉しかった」
静まった女王様の庭園で寄り添って座っていました。けれど、別れの時がやってきました。しかし、どちらとも別れを切り出すのが辛かったので、なかなか話を切り出せずにいました。
「……ディジー。わたくし達季節の女王はあまり特定の人の子と仲良くすることはできないの」
季節の女王様の力はとても大きいのです。だから、それを利用しようと考える人だって出てきます。彼女達が特別仲良くしている人がいたら、悪い人はその相手を利用しようと考えるでしょう。
「あなたとも、これきりになってしまうかもしれないわ」
「サリナ様……」
ディジーのためにサリナ様はそう言ってくれたのです。全てはディジーが害されないようにするためなのです。
「ディジー。もう会えないかもしれないけれど、わたくしをあなたの友達と思ってくださるかしら?」
「はいっ!」
「ありがとう。あなたのおかげでわたくしは自分に自信を持てたわ。とてもすてきな時間を過ごせた。あなたと出会えて良かったわ」
「あたしも、楽しかったです」
「ええ。ずっと友達よ、ディジー。あなたのことを決して忘れないわ」
そうして春の女王様は消えてしまいます。そしてすぐに厳しい寒さの冬が終わり、春がやって来ました。
***
春の女王様はおばあさんの懐かしい記憶です。あれから長い長い時が経っていました。この村は毎年同じ日に春の感謝祭をするように取り決められています。それはもう六十年ほども前からでした。
『最近はお祭りが遅れているでしょう。いいえ、昔に戻ったと言うべきかしら』
『あっ!じゃあ、春の女王様が参加したいと思っていらっしゃるのかしら?』
『さてねぇ。あたしはむしろ祭りが遅れていることが気に入らなくて交代しないのではないかと思うよ』
存外子どもっぽい彼女のことです。今冬が終わらないのもおばあさんが友達のために築いた習慣が破られてしまい、すねてしまったからだろうと思いました。
『そっか。じゃあ、私は皆に祭りを行おうって話してくるわ。お母さんがいないけど、おばあちゃんがいるから大丈夫よね』
『あまり動き回ることはできないけどねぇ。このまま冬が続くとこの後が大変だろう。オリビア、頼んだよ』
どこか懐かしさを感じる今の状況に、おばあさんは昔のように春の女王様が現れてくれたらいいと思っていました。
『そのときはオリビアも紹介しましょうかねぇ。きっと良い友達になるでしょう』
長めのプロローグでした。あくまでも童話のつもりで書いています。
本編は本日17時に投稿する予定です。