自称転生ヒロイン(←いろいろやらかして、ざまあされ済み)を母に持つ少年の、その後について
買わない宝くじは当たらないという件について。
『転生したら母親がビッチなヒロインで、既に「ざまあ」されてしまっているが、それはさておき』、『チョロい男に需要はあるのかという問題について』の続きです。申し訳ありませんが、前作を読んでいないと意味不明です。
相変わらず、主人公が色々考えているばかりです。
海岸線に、夕陽がきれいに映えている。
見ていて夢だと分かる夢を、僕は見ていた。そう、これはきっと、前世であった出来事だ。
車の後部座席で、僕は時折、兄の運転を茶化していた。
『まあ、そう言うな。免許取り立てなんて、こんなもんだ。要は、慣れだからな』助手席で、母が鷹揚に笑い。
『そうそう。次はお前の番だからな。その時はせいぜい頑張れ』と、兄も笑う。
昔から、休みの日に家族でドライブに行くことが多かった。
幼い頃は父の、その後は母の運転で。そして、この日は初めて、兄が運転して。
海岸端に止めた車を降りて、皆で、遠くの岩と島々を眺めた。吹き抜ける風と潮の匂い。
ゆったりと沈む夕陽に、きらきらと輝く波が、綺麗だと思った。
『まあまあ、来て良かった、かな?』兄が、伸びをする。
『でも、あの美術館は、余計だったよね』と、僕。
車が入らない細い坂道と石段を、延々と下って見に行った割に、中身はショボかったと思う。
『まあ、そう言うな。「買わない宝くじは当たらない」とよく言うだろう。何事も、やって見ないことにはな』ドヤ顔で母は言うが。
ーーそれを言うなら、「撒かぬ種は生えぬ」じゃないかな?
くすりと笑ったところで、目が覚めると。
そこは、いつもの王宮の一室だった。ああ、そうか。僕は……。
起き上がり、寝具を整えると、水差しの水で顔を洗い、身支度を整える。
念入りにストレッチをして体をほぐすと、体力作りのため、少し体を動かした。
軟禁生活だが、少しでも健康を維持したいとは思っている。
『乙女ゲーム転生』で、『逆ハー』な王太子妃生活を楽しんでいた、今生の母上が『ざまあ』されて二年。
微妙な立場の僕は、王宮の一室から出られないままではあるが、最低限の衣食住は保証されている、ようだ。
着古した衣服は、一応洗濯はしてもらっているし、出される食事も、味や量はともかく、栄養面ではさほど大きな問題はなさそうだ。
不足しているのは、それ以外の部分なのだろう。
下働きの女性が運んで来た食事をとり、食べ終えた皿を戸口の脇に重ねて置く。
これからやることを色々と思い浮かべるが、頭を過る映像の中には、下働きの女性以外の姿は無い。
「今日は多分ーー」あの姫の来訪は無いのだろう。と、独り言が口を突いて出て。
はっと口を閉ざしたが、構わないと思い直す。
独り言だろうが何だろうが、話さなかったら、言葉が出てこなくなってしまう。
ある日、ふと思い立ってこの部屋立ち寄るようになった、王家の姫。
ほとんど彼女の話を聞くばかりだったが、ある日彼女に許しを与えられ、話しかけようとしてーー、声が出ないことに気づいた。
食事以外で口を動かしていなかったためか、滑舌も悪く、ほとんど喋れなくなっていた。
それ以来、つとめて声を出すようにしたり、この国の言語に合わせた発生練習なども、自分で考えて行うようにしている。
一日分と決めたノルマを終えると、貴重な水差しの中の水を、テーブルの上にほんの少しこぼして、指で文字を書く練習をする。
三歳までに、一通り文字の読み書きを覚えていたのは、幸運だった。表音文字で文字数が限られるのも、単語の中にサイレント(読まない文字)が少ないのも、正直助かる。
下働きの女性が皿を取りに来た時だけは、手を止めたが。水と手だけが道具では、勉強中とは気づかれなかっただろう。
書物も教師も無く、知識を増やす目処も立たない。ともかく、今ある知識を忘れまいと努力するだけだ。
この前、姫君が来た時に。お勉強で読まされる本が退屈だとか、教師の話がつまらまいとか、そんなことを話していたことがあった。
僕はその時、自分もその本に書かれた内容が知りたいと、なるべく遠回しに言ってみたのだが。
『図々しい』『身の程知らず』な発言に、姫の侍女や護衛騎士達は非難囂囂で。姫君は、『お勉強したいなんて、変わってるのね』と、笑って聞き流していた。
ーーまあ、予想通りだ。
あまりこう言う事を言っていると、変に目をつけられるかもしれないが、『買わない宝くじは当たらない』ので、これからも機会を見て、主張していくつもりだ。少しでいい。知識が欲しい。
姫の侍女や護衛騎士達は、総じて僕に当たりがキツい。
姫がこの部屋を訪れるのも、僕ごときに言葉をかけるのも、罪人の子には過ぎた恩寵で、姫の前にひれ伏して、最大限の感謝を捧げなくてはならない、と、言葉にしないまでも、態度で語っている。
姫君自身は、そんな周りの態度も特に気にかけない風で、笑って僕に話しかけるのだが。
その度に、僕は前世の刑事ドラマの取り調べシーンを思い出し、笑いだしたくなるのだ。
二人組で、一方は強面でキツく当たり、もう一方は柔和で当たりが柔らかい、だっけ?
それで、思わず柔和な方に気を許してしまう、という展開になるのだ。
だが、僕は。
僕は、あの姫君に気を許す予定は無い。たとえ、姫がどんなに美しかろうと。僕を訪れ、顔を見て話しかけてくれるのが、この世界で彼女ただ一人であろうと。決して。
唯の五歳児であれば。
孤独に押し潰され、彼女の存在にすがり、見捨てられまいと、必死になったかもしれないが。
僕は、だって……孤独ではない。
僕は、前世の家族を覚えている。彼らの愛情を覚えている。そう、こんなにも、はっきりと。
どんな状況に置かれようと、例え、前世のものであろうと。思い出だけは、奪えない。奪わせない。
ーーああ、でも。ほんの少しだけ、声が聞きたいかもしれない。前世の、学校の悪友達でもいい。何か、他愛ない話をして。冗談を言い合って、そして。
ふと、弱気になっていることに気づいて、僕は自分の両頬をパチンと手で叩いた。危ない、危ない。
頭を振って、椅子から立ち上がって、ーー僕は、そのまま、動きを止めた。
そして、振り返ったのは、出入口の扉の方ではなく、隠し通路の方だ。
頭に浮かんだ光景は。
隠し通路の繋がった先の、奥まった場所にある小薮の、さらに先の。
ーーどうして、あんなところに? 暁の、瞳の?
現在、王女と呼ばれる女性は、四人いる。
現王の姫で、前王太子の妹であった女性。
王のすぐ下の弟には、姫が二人。 うち、上の方がこの部屋を時々訪れる姫様で。
そして、今見えた映像にあったのは、さらにその下の王弟殿下の姫。顔を合わせたことはないが、過去に伝え聞いた髪の色からは、間違いない。
どうして、その姫と僕が話す姿が見えたのか。
隠し通路に向かおうとして、足を止める。ーー不用意にも、程がある。
瞳の色から、僕の出自は知れる。この部屋から出る手段があることを、王族に知らしめて、どうしようというのか。
だけれども。
考え考え、通路の方を見ても、頭に浮かぶ光景には、どれも彼女の姿が含まれていた。
その姿勢、話す仕草、表情。
伝わってくるのは、何か、吹き抜ける、風のような? 不思議なほど、彼女に悪いものを感じない。
戸口に意識を向け、選択肢を思い浮かべる。ここには誰も来ない。恐らく、夕飯までは。
そして、隠し通路へと、向き直る。
もしかしたら、僕は愚かなことをしようとしているのかもしれない。だが、今の状況に行き詰まりを感じているのもたしかだから。
「買わない宝くじは、当たらない」
前世の言葉で、そう呟くと。
僕は決然と、隠し通路の方へーーもしかしたら僕の運命を変えるかも知れない、その方向へと向かったのだった。