5話 フェリスと野宿
俺達は今、何もない平原で馬を走らせている。ルフナを出てから、まだ1日も経っていない。
ここを抜ければ森に着くらしいので、今日中には平原を出たい。
「フェリス、馬は平気か?」
「手綱を握っているのは私ですから……アスト様こそ、大丈夫ですか?」
「まあ、そうだな。俺は平気だ」
俺達は、2人で1頭の馬に乗っている。当然のことのように、俺は前――ではなく、フェリスの後ろだ。
俺は乗馬ができないので、仕方のないことだ。少し残念だが。
「ただの平原ですから、すぐに抜けられます。少しの辛抱ですよ。ね?」
「そうだが……何か、情けないだろ?」
「そんなことないですよ。私は側近なのですから、もっと頼って下さい」
「……分かったよ。じゃあ、お言葉に甘えよう」
そう言いつつ、俺はフェリスの腰に手を回した。そして、その小さな背中に身を預けた。
柔らかくて、とても気持ち良い。それに、花のような良い香りもする。
「あの……アスト様? 少し、くすぐったいのですが……」
「もう少しだけ……少しで良いんだ……」
「……アスト様? もしかして……」
「…………」
「もう……ふふ、子供みたいですね」
温かく、柔らかい感触の中で、俺の意識は深い闇に落ちていった。
***
何かに頬を撫でられた感触で、目が覚めた。一体、何だろうか――とても優しい感触だったが。
「ん……ここは、どこだ……?」
「お目覚めですか? 森に着きましたよ」
「森……?」
「もう、寝ぼけているのですか?」
先程の感触の正体は、フェリスだったようだ。フェリスは倒れた丸太に腰掛け、俺はフェリスの膝を枕にしていた。
「寝ぼけ……しまった!? 俺は、寝ていたのか……ごめん」
「いえ、良いんですよ……それより、もう夜ですね。今夜は、ここで野宿にしましょうか」
「ああ、そうしようか」
俺は慌てて体を起こしつつ、フェリスと野宿の準備を始めた。
しかし、俺は野宿が初めてで不手際も多く、ほとんどフェリスにさせてしまった。後でしっかり労っておこう――例の物もあるから、丁度良いだろう。
「準備は終わりましたね。では、私は夕食のご用意をします」
「ああ……何か手伝えることはないか?」
「いえ、大丈夫ですよ。お気遣い、ありがとうございます」
「そうか? じゃあ、俺は飲み物を用意しておくよ」
そう言って、俺はリュックからワインを取り出した。水では、腐るかもしれないからだ。酒は初めて飲むから、少し不安だが。
「もう少しかかりそうです……申し訳ありません」
「いや、気にしないでくれ。やっぱり、俺も手伝うよ」
「あ……ありがとうございます」
フェリス程ではないが、こう見えて、料理には自信がある。前世でよく作っていたからだ。そういう意味では、前世に感謝しよう。
「そういえば、酒は飲めるんだよな?」
「ええ……弱い方ですが」
「大丈夫か? ……早く言えば良かったのに」
「申し訳ありません……ですが、ある程度なら大丈夫ですよ」
「そうか……なら良いけど」
「できましたね……では、頂きましょうか?」
「ああ。それじゃ、いただきます!」
やはり、フェリスは料理が上手い。一応、小鍋を持ってきていて良かった。
フェリスは、その小鍋とワインで干し肉をローストし、食べやすい柔らかさにしてくれた。味も良く、ワインの芳醇な風味が食欲をそそる。
急いで食べる俺とは裏腹に、フェリスは優雅に食べている。1つ1つの動作に品があって美しい。
俺の視線に気付いたのか、フェリスもこちらを見た。そして、目が合った――が、すぐに反らされた。何だか寂しいが、仕方がないとしよう。
「ごちそうさまでした! ふぅ……美味かった」
「ふふ、お粗末様でした。足りましたか?」
「ああ……もう食べられない。じゃあ、ゆっくり食べてて良いから」
「それは良かった……では、お言葉に甘えて」
あまりにも美味しかったので、あっという間に食べ終わった。流石に早く食べ過ぎたか。
だが、フェリスはまだ食事中だ。フェリスは食事中の会話を嫌う為、俺はワインでも飲みながら待つことにした。
よく考えてみれば、夜に美女と2人きりだ。前世の俺なら、想像もできなかっただろう。
だが、俺はフェリスに手を出すつもりはない。フェリスは側近であって、奴隷ではないのだ。
「ごちそうさまでした。では……片付けますね」
「ああ。俺も手伝うよ」
「ふふ……アスト様は優しいですね」
「そうか? 普通だと思うけどなぁ……」
「いえ、私には分かりますよ……アスト様が、とても素敵な方だって……」
「ふぇ、フェリス……? 急にどうしたんだ?」
何てことだ。フェリスがおかしくなってしまった。
頬を紅潮させ、普段は言わないようなことを言っている――ということは、酔っているのか。
そこまで飲んでいたようには思えないが、フェリスは酒には弱いらしい。あのような少量でも酔ってしまうくらいの弱さとは、思っていなかったが。
「アスト様……お話ししたいことが、あるのでは……?」
「え? あ、ああ……」
酔っているはずなのに、何故分かるのだろうか。それとも、そこまで酔っていないだけなのか。
いや、フェリスのことだから、恐らく酔う前から分かっていたのではないか。単に、今言っただけで。
いずれにせよ、これはチャンスかもしれない。
「あのな、フェリス……その、いつもありがとう。良かったら、これを受け取ってくれ」
俺はそう言いながら、以前買ったネックレスを渡した。思えば、女性に贈り物をするのはこれが初めてだ。
恐る恐る、フェリスの顔を見る。相変わらず頬を紅潮させているが、酔いなのか喜びなのか分からない。
「これって……」
「ああ。道具屋でずっと見てただろ? それで、その……喜んでくれたら良いなって思ったんだ」
「アスト様……私なんかの為に……」
フェリスは、その水色の瞳を潤ませ、こちらを見つめている。喜んでくれているのだろうか。もしそうなら、俺は本望だ。
「フェリス……その、どうだ?」
「こんなに嬉しいのは……初めてです! アスト様……貴方が私のご主人様で、本当に良かった!」
「ちょっ……!? ふぇ、フェリス!?」
フェリスは突然、俺に抱きついてきた。とても柔らかくて、気持ちが良い。それに、とても温かい。
できることなら、ずっとこのままでいたいが、そうもいかないだろう。
「えっと……フェリス、お、落ち着こう。な?」
「私は落ち着いていますよ……アスト様こそ、お顔が真っ赤ですよ?」
「なっ!? そ、そんなはずは……」
確かに、今の俺の顔は赤いだろう。先程から鼓動がうるさい。きっと、フェリスにも体温と共に伝わっているはずだ。
(間違いなく劣勢だ。何とかしてフェリスを落ち着かせないと……酔った勢いでとか洒落にならない!)
「アスト様……どうしました?」
「フェリス、とりあえず、離れよう」
「私のこと、嫌いなんですか……? くっつくの、嫌なんですか……?」
「……!? い、いや! そんなことはない!」
フェリスが今にも泣きそうだった為、離れることはできなかった。こんなフェリスは見たことがない。
しかし、意外だ。この状態自体もそうだが、てっきりフェリスは俺のことが嫌いなのだと思っていた。この様子からすると、どうやら違うらしい。
「嫌じゃないなら……良いですよね? アスト様……」
「そういう問題じゃ……」
耳元で囁かれ、思わず理性を失いそうになった。だが、何とか堪えることができた。
だがこのままでは、俺の理性が失われるのも時間の問題だ。ここはお互いの為に、何とかしなければならない。
「アスト様……私のこと、好きですか?」
「ッ!? いきなり、どうした……?」
「答えて下さい! 私は……貴方のことが……」
「フェリス……俺は、お前のこと……フェリス?」
「……うぅん……」
「寝た……のか? このタイミングで!? まじかよ……」
どうやら、フェリスは寝てしまったようだ。間が悪いというか、何だか複雑だ。
だが、これで良かった気もする。寝袋を用意してフェリスを寝かせてやり、俺は別の寝袋に寝た。
***
木々の間から射す光が眩しくて、目を覚ました。どうやら、もう朝になったらしい。
俺は眠い目を擦りつつ、寝袋から出た。隣にあった寝袋には、既にフェリスはいなかった。しかし、まだ温かく、寝袋を出てからあまり時間が経っていないことが分かる。
「フェリス? どこに行ったんだ……」
辺りを見回しても、フェリスはいなかった。恐らく、そう遠くに行っていないだろう。俺は眠気を覚ます為にも、フェリスを探しにいくことにした。
幸いにも地図を持っており、近くには川があることが分かった。まずはそこで、顔でも洗うとしよう。
距離で言えば、歩いても2、3分程度の為、そう時間はかからないだろう。
「嫌な予感がするな……何だろうか、前にもあったような……」
そう思い、俺は足を早めた。
***
川に到着した。流れは穏やかで、水も澄んでいて綺麗だ。何より、美女が水浴びを――
「フェリス……!? まずい、隠れないと……」
俺は、咄嗟に身を隠した。フェリスがそこで、水浴びをしていたからだ。
雪のような肌と綺麗な川の光景が、何とも神秘的だ。だが、覗くような形になってしまった。本当に、そんなつもりではなかったのだが。
(身を隠すとは言っても、何もないからな……隠せていないだろう)
「はぁ……アスト様……」
「えっ!? 見つかった……?」
「あ、アスト様!? どうして……?」
この反応からするに、気付いていなかったのだろうか。では、何故あのとき俺の名前を読んだのか。
いずれにせよ――俺は間違いなく、かなり怒られるだろう。