3話 現状と今後の方針
転生が夢だったのではないかとか、今後どうすべきかを考えていたせいか、昨日はすぐに眠れなかった。
だが、転生が夢というのは杞憂に終わった。それは良しとする。
しかし、もう1つ切実な問題がある。俺の寝室は窓がなく、日が射し込まない。何が言いたいのかというと、時間の感覚が麻痺してくるのだ。
この世界自体は時計があるらしく、フェリスと食事をしたときも見かけたが、あいにく俺の寝室にはない。恐らく、今まで必要なかったからだろう。
「目が覚めたのは良いけど……今がまだ夜なのか、それとももう朝なのかもわからないな」
せめてそれさえわかれば良いのだが、それすらもわからない。故に、行動しづらいのが一番の問題ではある。
フェリスには昨日、8時頃起こしてくれと言っておいたから、少なくとも起きるにはまだ早い時間だろう。
「せっかく早起きしたみたいだし……部屋でも見てまわるか」
俺はまだ城の内装をほとんど把握していないので、ある意味丁度良かったのかもしれない。それに、別の部屋には時計もあるからという目的もある。
だが、フェリスとすれ違うのも面倒なので、時間次第では早く戻るとしよう。そう考えつつ、俺は部屋を出た。
***
廊下はひっそりと静まり返っている。窓から射し込む光は少なく、まだ薄暗い。見たところ、まだ4時か5時くらいだろう。
やはり、起きるには少し早かったか。だがたとえ早くても、部屋を見てまわることに時間を使えば良いだけの話だ。とは言っても、さすが魔王の城というだけあって、かなり広そうだ。
「どうせ全部は見終わらないだろうし……この階だけにしておこう」
今いる階が何階かはわからないが。だが、窓から外を見たら、まあまあ高い位置にあることは分かった。
いつも思うが、どうして位の高い人が、部屋も高い位置と決められているのだろうか。どちらかと言えば、高い位置の方がいざというときに逃げづらいだろうに。
「まあ、魔族なら飛んで逃げれば良いのか……俺は翼がないが」
そう、俺はまだしも、何故かフェリスすら翼がない。普通、魔族というものは翼があるのだと思っていたが、違うのか。それとも、単に収納しているだけなのか。ついでに言えば、角などの類もないが。とりあえず、そういうのは今度、フェリスに聞いておくとしよう。
「広い部屋に出たな。確か、ここは……」
長机の上に、燭台が置いてある――昨日、フェアと食事をした部屋だ。昨日とは違い1人だった為か、着くまでが長かったように思える。
時計を見たが、やはり4時頃だった。目的を1つ果たしたので、ひとまず部屋を見渡すことにした。
どうやらこの部屋は、4つの部屋に繋がっているようだ。昨日、フェリスと別れた後、フェリスは右手側の扉へ進んでいったので、恐らくその先に部屋があるのだろう。
「待っているのも退屈だし、行ってみても良いだろうか……いや、さすがにフェリスに悪いか……?」
それから1分程悩んだが、結局俺は好奇心に勝てなかった。先が見通せない程長く続く廊下を、俺は1人進む。
***
やはりこの廊下も、ひっそりと静まり返っている。この様子だと、フェリスはまだ起きていないのだろう。だが、フェリスを責めることなかれ。俺が早起きし過ぎたのが悪いのだ。それに、俺の方が早起きだったのなら、俺がフェリスを起こしてあげれば良いだけの話だ。
「しかし、部屋数が多いな……どこがフェリスの部屋なんだ?」
もしかしたら、通り過ぎてしまったのかもしれない――そんな不安が、俺の頭をよぎる。
だがこの不安は、すぐにかき消された。なぜなら、この体はどうも気配に敏感らしく、誰かがいればすぐに気づくことができるからだ。
今のところすぐ近くに気配は感じられないので、このまま歩き続けても良いだろう。
***
あれから歩き続け、もう5分程経っただろうか。
「フェリスはこんな遠い道を往復していたのか……やっぱり、理想的な側近だな」
などと感心していると、ようやく気配を感じられるようになった。目の前の扉の奥で、ごそごそと音がしている。きっとこの部屋に、フェリスはいるのだろう。そう思い、俺は扉を開けた――無遠慮に、開けてしまった。
「フェリス、起きているか――」
「あ、アスト様!? まだ……ね、寝ているはずでは……」
フェリスは――着替えていた。コルセットを着ようとしていたようだが、顔を真っ赤にして手を止めている。それにより、白い下着が露わになっている。そこには、吸い込まれそうな深い谷があった。
(そんなこと考えている場合か!? 落ち着け俺……ここは、先手必勝だ!)
「あの、アスト様――」
「フェリス……き、着替えづらそうだな。手伝うよ」
「……え? 今、何と……」
「コルセットは1人で着るの大変だろ? だから、俺が手伝うって言ったんだ」
「な……ほ、本気ですか!?」
まずい、言葉を間違えたか。心なしか、フェリスの澄んだ空のような瞳が、俺を睨んでいるように見える。羞恥とも怒りともつかぬ表情だ。こんなとき、どうすべきか――
「あ……フェリス、その……」
「……本気ですか?」
「……すまん。冗談だ」
「それなら、良かったです。では、また後程」
「あ、ああ……。また、後で」
俺は逃げるように部屋を出た。確かに、あまりにも軽率過ぎた。以後、気をつけるとしよう。
***
フェリスが着替え終わった後、俺たちは、食事場に向かうことにした。朝食がまだだったからだ。
「あ、あのさ」
「……何ですか?」
「怒ってる、よな?」
「……いいえ、怒っていませんよ」
口ではそう言っているが、明らかに怒っている。はっきり言えば、悪いのは俺だ。ちゃんと謝っておかなければならないだろう。
「フェリス……その、さっきはごめん」
「あ……い、いえ。その、私こそ……申し訳ありません」
「え? 何故フェリスが……いや、フェリスが謝ることはない」
一応、許してはもらえたが、今後はもっと気をつかうべきだろう。今のところ、この城ではフェリスと2人きりなのだから。
***
朝食を済ませ、今後について話し合おうと提案したところ、フェリスは快諾してくれた。具体的には、領地や兵力の状況、それに応じた活動方針についてだ。
「まずですね……兵力はほぼ北の砦に結集し、領地は半分程を失いました」
「失った?」
「はい……疑魔王ソネイロンの侵攻の影響です」
「ソネイロンか……確か、8階級だったか?」
「以前はそうでした。ですが、現在は7階級です」
一体、どういうことなのだろうか。俺が前世で記憶していたことと、色々異なる点があるが――
「なら……現在の8階級は俺なのか?」
「その通りです。恐らく、アスト様の魔王としての力は……かなり衰えているかと」
「だろうな……5階級から、随分と落とされたものだな」
「ご存知なのですか?」
「ん? ……ああ、一応な」
何となくだが、前世についてはまだ話さない方が良いだろうと思う。時がくれば、フェリスにも話すとしよう。
「アスト様……今後は、いかがしましょう?」
「そうだな……まずは、国力を高めよう。兵士を集める必要がある」
「わかりました。では、呼びかけを行いましょうか?」
「ああ、頼む。それから……今度で良いから、北の砦にも行こうか」
「そうですね。それが良いでしょう」
こうして、今後の方針が決まった。まずは兵士を集め、軍を編成する。領土奪還は、それからでも遅くはないだろう。
「そういえばフェリス、この領地に街とかはあるのか?」
「ええ、名はルフナです」
「よし、ならそこに行こう」
フェリスは、ただ短く頷いた。
***
城からルフナへは、そう遠くはなかった。フェリスと2人で馬を走らせ、10分程の距離だった。
市場があり、野菜は果物、肉類など、様々な物が揃っていた。やはり、食べ物は前世とそう変わらないようだ。俺はひとまず、胸を撫で下ろした。食事は生活の要となるから、かなり重要なのだ。
建物はほとんど石造りで、街道も石でできている。
全体的に重厚感があるが、大して特徴もない、そんな街だった。
しかし、何故だろう。少し違和感がある。この世界に来てからは違和感ばかりだが、できれば全て杞憂に終わってほしいものだ。まあ、気にしていても仕方ない。今は目的を達成するとしよう。
「フェリス、掲示板のような物はあるか?」
「ここからもう少し西に行った場所にありますが……直接呼びかけた方が良いのでは?」
「いや……俺はまだ魔王になったばかりだから、求心力もないだろう」
「なるほど。流石はアスト様です」
フェリスに褒められたのは嬉しいが、何だか情けない気もする。だが、そんなことはどうでも良い。早く素直に喜べるように、頑張れば良いだけだ。
くだらないことを考えながら、俺はフェリスと西へ向かった。
道中見かけたが、どうやらルフナは、武器屋や防具屋、道具屋などもあるようだ。
掲示板はギルドの外にあった。しかし、ついギルドに興奮して中に入ろうとしたら、フェリスに連れ戻された。確かに、目的を忘れてはいけないな。ギルドは後回しにして、俺は掲示板の前に行った。
最初は兵士が集まらなくても、仕方ないだろう。そう思いつつ、俺は『傭兵募集』と銘打った羊皮紙を掲示板に貼りつけた。兵士が集まれば、魔王としての力も取り戻せるだろう――そんな考えでいたが、それ程単純なことではないと知るのは、少し後のことになる。