5 無間奈落
「栄耀栄華は槿花一朝の夢」
「名誉も忠誠も」
「人の心の虚しさの前に滅びる」
「ただ残るものは「欲」のみであろうよ」
「汝らの「自れの住処を守らんとする欲」が」
「死者をいたずらにこの世界に繋ぎとめ」
「虚しい夢を繰り返させるにすぎぬ」
「我はその「欲」に応じたのみ」
「おろかな者ども」
「約定を解くも結ぶも、汝らの望みにまかす」
「我はとうに飽き果てたゆえ」
貴人は中空にかかる青い月を見上げ
静かに溜息をついた
「真に、人の「欲」の最たるは「恋」よな」
貴人は頭をめぐらし
扇で気死した恵心を指す
「そこな浮屠の輩の「欲」は」
「あやかしを調伏せし名僧として」
「名声と人望を得ることよ」
振り返り、神官を指す
「汝らの「欲」は、労せずして住処を守るため」
「近隣の国に恐怖を与え」
「常夜は魔物の守護する、踏み込めぬ国として」
「ほそぼそと生き延びるため」
「娘ひとりの命など、そのためには軽し」
微笑みながら白虎面の男を指し
「なるほど、男ならば」
「想う女を救わずにおられまい」
「たとえそのために国が滅びようと」
貴人は袖を翻す
「されば、わからぬのはそこな小童」
「人ならば「欲」をまぬがれるすべなきに」
「汝が望みは奈辺にありや」
灰狐はまっすぐに貴人を見つめ
軽く首をかしげた
「そうだな、たとえば」
「世に比類なき魔性のもの」
「蜃気楼の城の主、雨月殿の拝顔の栄」
「三百年はあまりに長い」
「この地に繋がれるのは、もうよいのではあるまいか」
「貴君と眷属を解き放ち」
「心静かに天地に還るのはいかがだろうか」
影なる百官はざわめき、嘲笑の色
殺気に似た気がみなぎる
貴人は扇を挙げて、それを制す
「小童、そは我らが無に帰するを意味する」
「我は、それもよし、と思えど」
「我が眷属の想いは、また異なるならん」
白衣の神官はあわてて膝行する
「その義はしばらく」
「その者は関わりなき行きずりの旅の者」
「約定に口はさむこと、お許しなきよう」
「では、汝は我らを繋ぎとめるに、何を以てなすや」
「年に一人の娘の命は、汝らの所有にあらず」
「命を差し出すことができるのは、ただ本人のみ」
「汝、その吝嗇なる薄き血を、我らに奉ずるか」
神官はたじろいで後ずさる
貴人は目に揶揄の色を浮かべる
「老いた男では、いかにも不味そうではあるが」
灰狐に視線をもどすと、瞳の色は真摯に変わる
「常夜の国の娘の命を救い」
「民の心を安んじ」
「この地を祓い清め」
「魔物を昇天させるというのは」
「大欲にほかならず」
「しかして、のう」
「こののち他国の蹂躙をいかに阻むぞ」
灰狐は神官と白丁をみかえる
「国は、その国に生きる者が守るべきもの」
「結界を解き、眷属をすべて解き放つには」
「この地に繋ぐ以上の力がなくてはならぬ」
「この場にいる命のすべて、かも知れず」
貴人は中庭をぐるりと見回す
白衣の神官と三人の白丁
贄の娘とその恋人
座り込んで声も出ぬ旅僧
無造作に立つ灰狐
「それでも我らに去れと?」
重くのしかかる青い闇
古い呪詛、憎悪、嘲笑の底に
隠された悲哀の色
「必要ならば、私の命を使え」
「たぶん、普通の人間よりも魔に近いから」
灰狐は静かに答える
「私の血なら、貴君にそれだけの力を与えるだろう」




