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月夜の黒い羊  作者: 小日向冬子
21/21

その21

 細い路地を何度も曲がり、青い瓦屋根をめざす。冷たい風にあおられた髪がパサパサと頬を叩く。わたしはうつむいて肩をすぼめ、コートの襟をぎゅっと合わせる。

 ふと風がやみ、顔を上げた瞬間、立ち並ぶ家々の西側の壁が金色に染まっていることに気づく。みとれながら歩むひと足ごとに、ふたりで過ごした時間が次々と脳裏によみがえってくる。病院の屋上にたなびく紫煙、カーステレオから流れるバラード、落ち葉を踏んで歩いた風車のある公園、ふわふわと揺れる髪に人懐っこい笑顔。見えない糸に引っ張られるように、わたしは歩みを進める。

 

 どうして――

 どうして彼は、あんなにも明るい瞳で、微笑むことができたのだろう。


   白いラベルに緑の横文字の瓶。それを見つめる瞳の、重く暗い温度。


 いつだってわたしは、彼が踏み込んでくれるのを待っているばかりだった。


   朝ご飯だったというスティックシュガー。

   食事を作ってあげると言った時の、少しはにかんだような、でも今にも泣き出しそうな顔。


 わたしに、何ができるのだろうか。

 わたしが彼に、何かを与えられるのだろうか。

 わからない。

 わかるのはただひとつ、膝を抱えてうずくまったままでいたら、きっと後悔するということだ。


 青い屋根が月のように、しんとした空に浮かぶ。それは闇に隠れたわたしの輪郭を、愛しく浮かび上がらせてくれるだろう。


 門の奥に人影が見える。体中が心臓になったみたいに、ドクンドクンと脈打っている。花壇を囲むレンガが、茶色く枯れた芝生が、青いシャツの襟が、どんどん近付いてくる。

 気がつくと、泣きそうな彼の笑顔が、ゆがんで見えなくなっていた。

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