クリスマスの恋人3
お気に入りの三列席通路側。
俺は目的の席に着いたと同時に、膝丈のライトグレーのコートを脱いだ。大ぶりの襟が高く折り曲がっていて首もとまで比較的温かいデザインでお気に入りのこのコートは、社会人3年目の去年の冬に奮発して買ったものだ。なんと、生地は聞いて驚けカシミヤ製である。値段はかなり張ったがそのデザインと生地のおかげで温かさと軽さはピカイチで、今や外回りに凍える真冬の必需品だ。
基本的に(俺的消耗品)仕事着にカネを掛けない主義の俺が唯一大枚をはたいたそのコートを、俺は丁寧に裏返して畳んだ。とはいえ2時間半の新幹線車内のお供にしては素直に邪魔なので、荷物棚に背の高さを生かした長いリーチで(少々雑に)放り込んだ。
ところでなんで三列席の通路側が好きかって?
よほど混んでる時期でなきゃ三列席真ん中の座席は埋まらない。結果たいていの場合、三列席通路側の座席は(ほんの気持ち程度)独立席気分を味わえるのだ。だから俺は決まっていつもこの席を指定しているというわけ(図体がデカいとなにかと苦労するのだ)。
年の瀬とはいえ平日真っ昼間の上り新幹線はご多分に漏れずそこそこ空いていて、俺は(目論見通り)隣と後ろが空席の快適空間にしっかり腰を下ろし、ゆっくり低い天井を見上げた。
その快適空間を良いことに、リクライニングを結構な角度で倒せて更に快適なことこの上なしだ(重ねて言うがいかんせん俺の身長ではこの座席スペースは狭くて困りものなのだ)。
軽く目を閉じて、このあとの流れに思いを馳せる。
むこう(東京)に着いたら兎にも角にもまず客先に一報。それさえしてしまえばあとは仕事とは完全にオサラバだ。………早く茜に会いたい。
茜に、会いたい。
『早く会いたいから』、そんな言葉をサラッと言ってくれるなんてまた反則じゃないか。
再会してからというもの会話のそこかしこに甘い言葉を降らせてくるくせに、自分はちゃっかり『哲平は真面目やから、ちゃんと順番を大切にするでしょう?』なんて守りを固める。
軽く生殺しの気分だ。
そんな牽制をされてしまっては、保守的な日本男児の俺としてはちゃんと告白しなければ手さえ握れなくなってしまうではないか。
いや。
アレは暗に、なし崩しにそういった関係にはなりたくないと言われたのか?(この年になると「気付いたら付き合ってた」なんてよくあることだしな)
それだけ、この8年ぶりの再会を大切にしたいと言うことか。
「………」
耳がツンと痛くなった。トンネルにでも入ったのか。せっかくまどろむようなまったり気分に浸っていたのに、おかげさまでぼやけてた思考がまた覚醒した気分だ。
仕事にはすこぶる弱気な俺だが、ココ(百戦錬磨の恋愛)は自信を持ってそう(自分の都合の良い風に)考えさせてもらうことにしよう。
じゃぁいつ告白するんだ。
イケてない仕事(もといイケてないのは俺自身のセンスだが)のせいで、今日のスタートは当初の予定より大幅に遅れてしまっている。
そもそも心身共に憔悴しきった今のこの俺に、あの破壊力抜群の茜(の笑顔)を前に手を出すなと言う方がどだい無理な話だ。この前みたいな超プラトニックなメシだけで終わらせる気なんて毛頭ない。
と、いうかだ。
今のまま行くと、会った途端に抱き寄せてしまいそうなのだ。ものすごい勢いで。
あの華奢な身体を、きしんでしまうほどにキツく抱き締めたい。
謝罪仕事で張り詰めていた緊張も、早く茜に会いたくて仕方なかった幼い自分も全部受け止めてほしい。
…情けない俺も幼稚な俺も、全部受け入れて離さないでほしい。
自分がそんなにたいそうな性的欲求不満だとは思っていない(重ねて言うが例え3年間彼女が居なくても、だ)が、精神的癒やしは心底欲しているらしい。
茜のあの笑顔と包容力は、正しくそれに値する。
(図体ばっかりデカなってたんかなぁ………)
なんだか可笑しくなって心の中でひとりごちた。
保守的で図体ばっかりデカい。
なんだかどこかの会社みたいじゃないか。
「………」
俺は思わず鼻で笑った。
それにしても、今までオンナに対してこんなことを思ったことがあっただろうか。
弱い自分を受け入れてほしい。だなんて。
むしろ俺が今まで一緒に居たオンナたちは、俺にすがりつくばかりだった。俺が彼女らに弱みを見せることなんてまずなかった。………そもそも誰かに見せる弱みなんて、昔の俺にあったんだろうか。
「………」
オトナになるっていうのは、弱くなることなのかも知れない。
経験値が増えるに従って、無鉄砲で居られなくなり、考え、悩み、時には萎縮し、動けなくなる。
そんなときひとは、人生の伴侶ってヤツを欲するのか。
(………話飛び過ぎやっつーの)
そこまで考えて、俺は心の中で自分に突っ込んだ。ブルブルブルッと頭を振る。
目を開けてもう一度天井を見上げた。
ともあれ社会に出てすっかり昔の「イケイケドンドン」でなくなった俺は今、昔には有り得なかった情けない自分をさらけ出せる相手を欲しているには違いない。
改めて、そう思った。
高校入学当時に知り合ってから足掛け10年以上。
在学中は隣に居るのが当たり前過ぎて恋愛対象として考えたことなんてなかったわけだが、その魅力と重要性に気付いて半年。………一度は一生失うところまでいった彼女。
再会してまだたった2週間しか経ってないわけだが、その2週間の高揚感といったらハンパじゃなかった。
まったく恋ってやつは、異性として意識するとしない、自分が思いを寄せる相手だと認識するとしないとでこんなに愛しさが変わるものだったろうか。そんな中二病真っ青な初々しい感じが、またなんと言ってもこそばかった。
キラキラしてる人間は、得てしてみんな凛みたいにくよくよ悩むことなく前だけを見て楽しくやってるんだろうとずっと羨ましく思っていた。けどちょくちょく茜の仕事の話を聴くようになった今思えば、(少なくとも茜に関しては)例えやりたい仕事に就けたとしてもそれなりの苦労は絶えないものなんだろう。
もしかしたら俺は心のどこかで、日々のヘタれた自分を後ろめたく思ってばかり居たのかも知れない。知らない間に劣等感の塊になっていたんだろうが、茜と再会してからを考えると、それも度が過ぎていたのかも知れないな(とはいえやっぱり今日の謝罪仕事は堪えたが)。
夢を叶えてもなお新しい夢を目指す茜に習うなら、目指すものが見付かれば、ヘタれた俺は何か変われるんだろうか。
仕事のセンスは場数なんだろうが、けどその目指すものさえ見付けられれば日々のヤル気も効率も、俺は自分を変えられるんじゃないだろうか。
俺もいつか、凛や茜みたいにキラキラ仕事と向き合えるようになれるかも知れない。
たった2週間を思い起こすだけで、茜は俺にこんなに新しい風を吹き込んでくれている。
やりたいことだけに邁進できた高校当時とは違う今、それでも、茜と一緒に居たい。
………やっぱり茜にそばに居てほしい。
この気持ちはきっと、8年前のキレイな思い出だけで作られた幻想なんかじゃないから。
だから。
「………」
俺はいつの間にか閉じていた目をまた開けた。
真っ先に照明の明るさが目に飛び込んできて、一瞬にして迷いが吹き飛んだ気がした。
今日会ったらまず最初にさっさと思いの丈を伝えてしまおう。
そうして仁義をきってから、思う存分彼女を抱き締めよう。
そう、思った。