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クリスマスの恋人2

『ごめん、茜。明日仕事入ってもた』


哲平からそう電話があったのは、約束の前日イブの夜でした。

この時の哲平の低い声音からは、彼の表情が全くイメージできませんでした。心底落ち込んだ風なのか、さほど頓着の無いいち結果報告的な風なのか。それすら感じ取れない、全く抑揚のない真っ直ぐな物言いでした。

その声を聴いた途端、クリスマスムード満点の街を一直線に帰宅して直後だったこともあって、最近ではずっと感じなくなっていた淋しさが自分の中に押し寄せてくるのが判りました。


「そっか、残念。大変やろけど頑張ってね。また落ち着いたら連絡ちょうだい」


努めて明るく言いましたが、正直に言うとかなり凹んでいました。

………だってとっても楽しみだったから。

夢にまで見た、なんて表現はなんだか安っぽいけど。

けど高校からずっと好きだったひとが、私だけのために、忙しい仕事を休んでわざわざ会いに来てくれるなんて。

そんなの楽しみに決まってる。

今まで誰と過ごしても、忘れたことがなかったひとなんだもん。

やっぱりずっと、好きだったひとなんだもん。

そんなの楽しみにしてたに、決まってる。




朝。

私はわずかな身じろぎもできない自分の身体の窮屈さで目を覚ましました。

起き上がってよくよく見てみると、昨日の夜帰宅したそのままの格好で眠ってしまっていました。コートすら脱がず、もちろんシャワーも浴びず、もちろん化粧も落とさず。携帯を握りしめたまま。

…………大好きな哲平の声が聴こえていた携帯を、握りしめたまま。

肌が乾燥して、なんだかピリピリしました。


「………とりあえずシャワー、かな」


10年ごしの思いが成就するはずだった記念すべきクリスマスの朝。

私はローボードに置いてある赤いリボンのかけられた薄い包みに目をやってから、盛大なため息を残してユニットバスに向かったのでした。




「あー…幸せー………」


ベッドに横になって、私はゆっくり目を閉じました。

ローボードの横に置いてある座卓ほどの高さの鏡台に向かい合って、最近では珍しいくらい時間をかけ、丁寧にフェイスパックをしたのです。今日の予定はなくなっちゃったけど、別にいいんだもん。昨日可哀想なことをしちゃった(化粧したまま寝ちゃった)肌を労るの。

貴重なフェイスパックを惜しげもなく使った自分への言い訳もほどほどに、私は今日1日をどう過ごすかに思いを巡らせていました。


よく考えたら、大型連休以外で有給使うのって初めて。

クリスマス当日に休むなんて、想像以上に恥ずかしかったな。(いつもイヤミを言われる)お局様にはやっぱりイヤミ言われたし。…明日の出社がちょっと気が重い。


「………だめだめだめ!」


せっかく贅沢にパックしてるんだから、もっと良いこと考えないと。

小さく(かぶり)を振って、もう一度イメージを膨らませます。


新しいブーツも欲しかったし、買い物行こうかな。

それとも久しぶりに、ゆっくりカフェにのんびりしに行こうかな。

この前行って美味しかったケーキ、また食べに行こうかな………。


「………」


ゆっくり目を開きました。

おもむろにパックを外して体を起こし、また鏡台に向かい合います。


「………」


出掛けるのはナシ。

鏡に映った自分にそう頷きました。昨晩駆け抜けたクリスマスムード満点の街の賑わいを思い出して、げんなりしてしまったのです。

わざわざ仕事を休んで、ひとりぼっちでクリスマスの街にくり出す理由なんてありません。


「………掃除しよ」


今日の私の予定が決まりました。




(よく考えたら、もう明後日には実家帰るんだもんね)


社会人になってからというもの、クリスマスよりも仕事納めと帰省の方が年の瀬の一大イベントになってしまった気がします。

平日であることが多いクリスマスは、毎年仕事に忙殺されてることの方が多いから。けどどんなに忙しくても、仕事納めと年末年始は必ず来るから。毎年お休みちゃんともらえるだけマシよね、きっと。

おかげさまで毎年、必ず地元には帰れてるし。

そんな今年は、明日がその仕事納め(業者さんの中には月曜の29日までお仕事ってところもあるみたいだけど)。だから明後日の土曜日には、地元大阪に帰るのです。


(わざわざ哲平に来てもらわなくても良かったかも)


そう。別に今日会えなくても、早ければ明後日には会えるんだから。


(燈子ちゃん元気かなー、久しぶりに会いたいな)


燈子ちゃんは、哲平の6歳年下の妹さんです。昔哲平と一緒に居た頃は確かまだ小学生でした。いつも試合の応援に来てくれて、すごく懐いてくれたとっても可愛らしい女の子でした。


(けどもうすっかりお姉さんになったんだろうなぁー)


小学生だった彼女が今やハタチの成人。私たちの辿った8年とはまた全く違った重みを感じて、とても興味深く思います。

私はローボードに置いてある照明の周りと鏡台の上の小物(主に基礎化粧品の類とアクセサリー類)周りの埃を払いながら、クスクス笑いました。


あとは洗濯物を干して、水回りを綺麗にして…。普段から気付いた時にちょくちょく片付けるようにしている私の部屋(特に水回り)は、基本的に年の瀬と言っても大掃除らしい大掃除はありません。普段のお掃除に少し手を加えるくらい。

玄関を入って短い廊下の両サイドにキッチン、洗濯機、ユニットバス、ドアを抜けて7畳のワンルームという至ってありふれた狭い造りの私の部屋は、そもそもそんなに汚れる要素もありません。日中は仕事でずっといないし。自炊も週末にまとめて作り置きしちゃうことがほとんどだから、キッチンもそんなに汚れないし。


「お昼ご飯はー…パスタでいっか」


のんびり(ぼんやり)進めていた作業も、ふと気づけば鏡台上の壁掛け時計は正午前を差していました。今年の帰省は日数が長いから、冷蔵庫は空にして帰らなくちゃ…なんて考えながら、私は廊下にある冷蔵庫との相談に向かったのでした。




「………よし」


コトッと小さな白い座卓に置いたお皿の上には、玉ねぎとベーコン、しめじの和風パスタ。残っていた市販の和風ドレッシングと塩胡椒だけで味付けしたお手軽パスタだけど、たいていの食材が合わせられるから冷蔵庫のお掃除には便利な一品です。

と、一緒に置いたのはお気に入りの雑誌。私の部屋にはテレビがないので、食事時には雑誌が手元に置かれるのはよくあることでした。

雑誌の表紙には大きく、「たまの休みはオシャレで決まり!」の文字。そのページを開いてみると、「働く自分にお姫様ご褒美を」と銘打って、都内の様々なヘアサロンの特集が組まれていました。曰わく、仕事が休みの日こそ、わざわざヘアアレンジをしに行ってから出掛けて気分転換を!とのこと。


「………なんだか私のための特集みたい」


仕事からの帰宅後そのまま眠ってしまった昨晩の自分と、今朝の疲れたフェイスパック姿の自分を順に思い浮かべて、思わずひとりごちました。確かにせっかく長い髪の毛も、平日は仕事の忙しさ、休日は仕事疲れを理由にいつも放ったらかしになりがちです。確かに、今日みたいな特別な日はオシャレをしに行っても良かったのかも………。


「………」


もとい、特別になるはずだった日。

私は今このたった一瞬で、自分でもびっくりするほど落ち込んでしまいました。


(別にいいじゃん、クリスマスくらい………)


心の中でちょっとした悪態をつきながら、件の特集ページは開いたまま、私は改めて食事に向き直りました。


「いただきます………!」


手を合わせて小声をもらしたその時、今度は座卓の隅に置いていた携帯が突然のバイブで床に落ちました。

慌てて拾い上げると、ディスプレイには「哲平」の文字。


「…!」


慌てて通話ボタンを押しながらまた、正面の壁掛け時計を見上げました。

時刻は午後12時半前。


「もしもし」

『まだ今日の約束は有効?』


開口一番がそれ?

もうすっかり諦めていたのに。

会いに来てくれるの?

今日?

今から?

………今日、クリスマスに?


本当は明後日じゃ嫌だったの。

本当は今日じゃなきゃ嫌だったの。

………やっぱりクリスマスの今日、会いたかったの。


「…もちろん」


突然膨れ上がった自分の喜び具合が面白くて、笑いまで込み上げました。

8年も経ってオトナになったけど、まるでコドモみたいにやっぱり淋しかったし、やっぱり会いたかったの。

クリスマスってイベントにこだわるなんて幼い発想?コドモかも知れないけどでも、やっぱり今日、会いたかったの。


『待ち合わせは昨日話したトコのままでええか?』


まだ自分にもこんな幼い一面があるって、


「東京まで迎えに行くよ、早く会いたいし。在来線の改札前で待ってる」


思ったら笑いしか浮かばないね。


『…そっか、ありがと』


早く会いたい。

心の底から込み上げた気持ちが考える前に出てしまった私のセリフに、哲平の声も喜んでいる、ように聞こえました。


勘違いかな?

けどいいの。

私は哲平に早く会いたい。


「………ヘアアレンジかぁ………」


電話を終えてから、また雑誌に目を落としました。

哲平が東京に着くのは3時は過ぎるだろうから、今からはまだまだ時間があります。


(…ちょっとオシャレしてこかな)


だってクリスマスだもん。


オトナらしいちょっと背伸びしたオシャレ、して行こう。





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