08
飛鳥舎は王宮の一角にあり、その大きな体格に見合う物だった。現在ここには二頭の飛鳥がいる。
神の使いといえども、飛鳥は鳥である。本来ならばその数え方は“羽”であるのだが、飛鳥に関しては“頭”であった。どうしてか? 見た目の所為で――で、ある。とにかく大きいのだ。それ故、誰がどう見ても“羽”よりも“頭”の方が数え方として的確であり、いつしか自然とそうなったのだと、エルネスティは子供の頃にリクハルドから教えてもらった。
「クスター今日の予定は?」
「変更ありません」
「……分かった」
あからさまにがっかりする主に、侍従長クスターは目を眇めると、ちらりと国王補佐の青年を見た。彼は肩を揺らし、必死に笑いを堪えている。
「サムリ、どうして断らなかったんだ」
本当ならば、今日は丸一日王様業は休みのはずだった。だから羽衣歌を誘って、飛鳥を見に行く約束をしたのだ。それなのに、それなのに、である。彼が朝食を羽衣歌と一緒に食べるために、身支度を始めようとした矢先、今年採用された秘書官の青年がサムリと共に大慌てでやってきて、老大公との茶会が今日だったことを告げたのだ。
招待状は一ヶ月ほど前に届き、数日後に出席するとの返事をした。
だが、それを予定表に書き入れるのを忘れるという大失態を、この新米秘書官は犯してしまった。
彼は真っ青になって震えており、サムリは自分も昔、同じような事をやったのを思い出して苦笑しつつ、エルネスティに「そういうわけだから」と羽衣歌と過ごす時間の取り消しをお願いし、大公家への茶会の出席を予定帳に書き入れた。
「当日になって断われるはずないでしょう。無理を言わないでください」
会議が入ったのならまだしも、こちら側の不手際で欠席などできない。
しかも相手は大公だ。先々代の国王の末弟であり、前宰相でもある。
権力争いからは離脱しているが、この宮中には彼の息がかかった者が多くいる。
それらの多くが重職についているのだから、やはり無下にはできない存在だ。
「サムリ」
溜息を一つついて、エルネスティはそれを頼んだ。本当は嫌だが、他に策がないのでしかたがない。
「お前が代わりに、ウイカを飛鳥舎に連れて行ってやってくれ。昨日、約束したんだ。朝食の後に一緒に見に行くと」
改めて飛鳥を召喚したのは、一ヶ月の謹慎処分となっていた召喚士首座が、再び出仕できるようになって直ぐだった。非公開で行われたそれにより、エルネスティの飛鳥は無事召喚された。
召喚陣の中央に現れた飛鳥の、その目の色に皆が驚いた。何故なら、太陽神が愛する王女と息子に贈ったとされる初代の飛鳥と同じであり、過去、それ以外は一度も召喚されたことのない“一の位”と呼ばれる金眼の飛鳥であったからだ。
皮肉にもこの事により、歴代一の召喚士首座であることを、ヴェリは自ら証明した。描いた召喚陣は、あの時と同じものであったのだ。
飛鳥はすぐに飛鳥舎に移されたのだが、幸運にも、その場に居合わせた者達は、飛鳥のあまりにも美しく優雅な姿に、皆、言葉を失い感嘆の息しかでず、飛鳥舎の責任者であるベルクなど、感激のあまり涙を流したほどだった。
羽衣歌にとってみれば、飛鳥はこちらに来る原因となったもの……おそらく、見たくないものであるだろうと、エルネスティはずっと黙っていた。だが、ここ最近の彼女の様子から、こちらの生活にかなり馴染んだように思えたので、おもいきって誘ってみたのだ。
「ウイカ様と飛鳥を……。そうですか。分かりました。そういうことでしたら、喜んでご案内いたします」
「ああ。頼んだ」
クスターが最後の仕上げにと、エルネスティの髪を首の後ろで一つに束ね、結び目を黒いリボンで隠して結わくと、上着をどうするか確認をする。要らないと首を振り、羽衣歌を迎えに部屋を出た。
酷く気が重い。折角羽衣歌を乗せて空中散歩と洒落こもうと思っていたのに、何が悲しくて口煩い老人の相手をしなくてはいけないのだ。
「どうせまた、色々言ってくるんだろう」
ふうっと溜息をついて、胃の辺りをひと撫でした。
茶会といっても、招かれているのはいつもエルネスティ一人だけであり、老大公の目的は、彼の政に関してアレコレと言うことなのだ。
国王の御意見番――と、大公は自称しており、くどくどと、エルネスティに助言という名の文句を言う。
おそらく今回は、羽衣歌のことを言われるだろう。予測はできている。彼女が悪者にされないよう、心してかからなくてはならない。
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朝食といってもヴァルータは一日二食であり、軽食やおやつのようなものを間に食べる。そのためか、朝食と夕食の種類と量が多い。今朝もテーブルいっぱいに料理が並ぶ。それは二人でも食べきれないほどで、羽衣歌は毎朝毎朝それを見てはそっと溜息をつくのだ。
特にエルネスティと一緒の時は、頭が痛くなりそうなほどであり、だから本心を言ってしまうと、羽衣歌は彼と一緒に食事をしたくなかった。
食べきれない料理ほど、無駄でもったいないものはない。それとなくルーリアに、食べられるだけの量で良いのだと言ってはいるのだが……一向に改善される様子はなかった。
「まずは謝らなくては」
「はい?」
うんざりするくらい大量の料理が並ぶテーブルに向かい合って座り、エルネスティは着席してすぐそう言った。一瞬、この事かと思ったのだが……見事に違っていた。
「この後、飛鳥を見に行く約束をしたけど、行けなくなってしまったんだ」
「は? あ、ああ、はい……」
なんだそのことか――と、羽衣歌は双眸を細めた。それをエルネスティがどう思ったのか分からないが、彼は心底申し訳なさそうに「すまない」と謝った。そして老大公の茶会に招待されていたのを忘れていたことと、それが今日であることを告げ、時間的にも彼女を飛鳥舎に連れて行くのが無理であると説明をした。
「あ、でも安心して。サムリに案内を頼んだからね」
「サムリさんに?」
人懐っこそうな補佐官の顔を思い出し、羽衣歌はあの人ならば大丈夫だと思った。
「ああ。乗せてあげることはできないけれど、折角だから見に行っておいで。飛鳥は驚くほど大きいが、とても美しい鳥だよ。特にその鳴き声は素晴らしいと言われていて、妙なる楽の音と言われるほどだ。でもね。飛鳥は滅多に鳴かないんだよ。飛鳥が鳴く時は、神の声を聞いた時だと言われていて、だからその鳴き声を聞いた者には慶事がある――と言い伝えられているんだ」
「慶事……」
自分からしてみれば、悪事の象徴だ。けれど、見てみたいのは事実であり、羽衣歌はこくりと頷いた。
食後のお茶を飲み終えたところで、タイミングよくサムリがやってきた。補佐官である彼もまた、今日は休みである。そのため、普段見るのとは違った服装――普段着――だった。もちろん貴族の子息らしく、生地はかなり上質である。
「頼んだぞサムリ」
「はい。お任せください。ではウイカ様、参りましょう」
「よろしくお願いします」
差し出された腕に、羽衣歌はそっと手を置く。それを見たエルネスティの眉が、一瞬ピクリと跳ねるものの、そんなことに気がつく羽衣歌ではない。もちろんサムリは気がついているのだが、あえてここは見なかったことにする。その方が賢明だ。
二人が部屋を出て行くと、エルネスティは大きく息を吐き、控えていた秘書官へと視線をやる。その冷たさに、秘書官の体がぶるりと震え、視線が落ち顔が僅かに下がる。
「二度目はない」
低く、淡々と、切り捨てるように呟かれたそれに、彼は弾かれたように顔を上げると、すぐに腰を折り曲げ、深く深く頭を垂れた。手指の先が、氷水に漬けたかのように冷たく、ガチガチと歯が口中でぶつかっている。
王の秘書官として採用されたことは、地方出身者である彼にとって夢のようであり、実家の両親や一族の自慢であり誉れであった。何故なら、新人が秘書官……しかも国王付きとなるというのは、かなり異例であるからだ。
国王付き秘書官は彼意外に三人いるが、三人が三人とも、大臣や宰相の秘書官として十年近く働いてからの移動だった。何もかもが初めてなのは彼だけであり、それだけ周囲から期待されている――ということなのだろう。
彼自身も、少々自惚れていた節は否めない。
だからこんな小さな失敗をしてしまった。
否、小さくはない。
王にとって誤召された少女は、特別な存在なのだ。義務感から彼女を手厚く保護しているのではない。
誰よりも、何よりも、彼女が大切だから――だ。
「さて、まだ時間があるな。執務室に行く。お前もこい」
「はい」
扉を開け、エルネスティが通るのを待つ。蜂蜜色の髪に、彼は今回召喚された飛鳥を思い出した。彼もまた、その優美な姿を見ることのできた幸運な一人だった。
長い廊下を歩きながら、目の前で揺れる髪を眺める。そういえば――と、秘書官はそれを思い出した。
飛鳥と王(もしくは王太子)とが同じ色を有する時、その治世は平和で豊かである――と、以前聞いたことがあったのだ。
もしこれが真実であるのなら、現王の治世は安泰だということだ。前王とは違い、きっと世継ぎにも恵まれるだろう。王妃を三度も娶るような事態には、きっとならないだろう。
あの少女が、泣くようなことにはならない――秘書官はホッと息をついた。これも長男気質というのだろうか……故郷に残してきた妹達と同じくらいの年であるため、実は羽衣歌の行く末が気になっていたのだ。
「陛下」
「何だ?」
「ウイカ様に、何かお贈りしてもよろしいでしょうか?」
「ん?」
ピタリ――と、エルネスティの足が止まり、ゆっくりと振り返った。お前は何を言っているのだと、とても冷ややかな目である。
「私の失敗で、陛下との時間を潰してしまいましたので……そのお詫びを、ウイカ様にしたいのです」
「ほう」
他意はありませんと、彼はきりっと表情を引き締めた。エルネスティは目を眇めると、じろりと補佐官を一瞥し、好きにしろと溜息混じりに言うと、再び歩き始めた。
後日、羽衣歌のもとへ、エルネスティの秘書官の一人から、手紙と一緒に王都で人気の菓子が届けられた。もちろん、この間の事への詫び状だ。
「別にいいのに……」
こんな風に気を遣ってもらい、かえって申し訳なく思う。飛鳥を一緒に見るだけなのだから、相手はエルネスティでもサムリでも、誰でもいいのだ。確かに乗れなかったのは残念だったが、機会がなくなってしまったわけではない。
「あれ? これってマドレーヌ……?」
開けた箱の中には、羽衣歌もよく知る焼き菓子が入っていた。ルーリアに名前を訊けばマディレイネという焼き菓子だと教えてくれた。
「マディレイネねぇ……。ふぅん。なんだか名前も似てるなぁ」
一口齧ってみる。やっぱり――と、羽衣歌は目を細める。見た目同様、味もマドレーヌのようだった。
「美味しい」
「左様でございますか」
「ルーリアさん、一緒に食べましょう?」
滅相もない――と、断わったルーリアだったが、羽衣歌に押し切られてしまった。自分の分のお茶も淹れると、失礼しますと断わってから羽衣歌の向かい側に座る。お茶とお菓子――楽しいお茶会の始まりだ。
「美味しいですね、ルーリアさん」
「はい。本当に」
人気なのも分かりますわ――と、ルーリアはほっこりと笑った。
王宮料理人の作る上品で美しい菓子は、宝石のようで見ているだけでも楽しく、そして、食べれば幸せな気分になる。夢を見てるような、そんな気持ちになるのだ。
それに比べ、このマドレーヌに似た焼き菓子は、心の奥底に閉じ込めたはずのものを思い出させ、ちょっぴり切ない気持ちにさせた。けれどそれ以上に、羽衣歌の心をほんわかと温かくしてくれた。嘘じゃない。本当だ。
「あ、そういえば……初めて好きな男の子にあげたお菓子って、確かマドレーヌだったような気がする」
「……」
今のは聞かなかったことにしよう――ルーリアは視線をそらすと、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干した。