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王の鳥  作者: 朔良こお
1/24

01 


「じゃあね羽衣歌(ういか)、また明日」

「うん。またね美咲」


 電車通学の美咲はブレザーのポケットからパスケースを出し、自動改札をするりと通り中へと入ると、振り返って右手を上げて手を振った。それに応え手を振り返しながら、羽衣歌はバス停の方へと体を反転させる。


「さて、と……バスまでの時間、まだちょっとあるな」


 時刻表でバスの時間を確かめると、到着まであと十分近くある。美咲と違い羽衣歌はバス通学で、いつもならこのままここに並んでバスが来るのを待っているのだが、今日はいつもより気温が高く喉がとても渇いていたので、目の前にあるコンビ二へ入ることにした。


 自動ドアが開き店内へ入るとすぐ右手へと折れ、飲み物がずらりと並ぶ場所へ行くと、ガラスのドアを引いて目当ての物を取り出した。本当は炭酸系が飲みたいのだが、ここはグッと我慢してミネラルウォーターだ。最近は味付きの物もあるので、一瞬レモン味にしようか迷ったが、やはりここは普通(・・)のにしておく。


「お、今帰り?」

「はい」


 朝はオバサマばかりのレジだが、夕方ともなると若い人が立っていることが多い。顔馴染みのアルバイト――近所の大学に通っている男子学生は、毎週木曜日は講義が早く終わるので、彼女が部活を終えてここに来る頃にはレジに入っている。少し毛先を長くしている彼の髪は、とても綺麗な茶色をしていて、染めているのかと訊いたら、元々の色だと答えが返ってきた。カラスのように真っ黒な自分の髪が嫌いな羽衣歌は、彼の髪色がとても羨ましく、できれば彼みたいな色に染めたい。けれど校則で禁止されているので、卒業するまで無理だった。


 代金を払ってシールを貼ってもらっただけのペットボトルを手にコンビ二を出ると、八人ほど並んでいる列の一番後ろに付く。キャップを開け中身を飲んで喉を潤しながら、今日はちょっと無理をしたかもしれない――と、僅かに痛む喉に指を当て顔を顰めた。羽衣歌は美咲と一緒に合唱部に所属しており、定期コンサートが近いためなのか、今日はいつも以上に講師の指導が厳しかった。講師は明日もくる。溜息を一つつき、学校指定のバックからのど飴を取り出し一粒口中へと放り込んだ。のど飴は合唱部員の必需品であり、最近のお気に入りは薄く平べったい形をしたミント味の、ちょっとだけ値段がお高いやつだ。


 ファン――と音がしてそちらへ顔を向ければ、緑色のラインが入ったバスがロータリーをぐるりと回って、こちらへと向かってくるのが見えた。それは彼女が乗るバスで、ここが始発ではないが、駅前という事もあり下車する客がかなりいる。なので運が良ければ、席を確保することができるのだ。


 今日はどうだろうか思いながら、羽衣歌は後ろの扉からぞくぞくと降りる客の多さに、これなら座れるかもしれないと目を細めた。

 前扉が開き、順番に乗車をする。思っていた通り、一人掛けの席に座ることができた。バックの中からピンク色のウォークマンを取り出すと、イヤホンを耳穴に突っ込んで再生ボタンを押す。すぐにお気に入りの歌手の歌が流れてきた。


 乗降口のドアが閉まり、バスがゆっくりと動き出す。ロータリーを抜けると大通りに出るのだが、羽衣歌の自宅近くのバス停までは、昼間やもう少し早い時間ならば二十五分ほどである。だが、夕方のこの時間は車通勤者の帰宅と重なり、酷く道路が混むためプラス十分といったところだ。


 ふと、窓の外へ目をやれば、合唱部の一年が数人お喋りをしながら駅に向かっている姿が見えた。皆、羽衣歌とはクラスが違うので、特に親しいわけではないのだが、廊下などで会えば手を振り合ったり話をしたりする。


 だがそれも、ここ最近なくなっていた。

 距離を置かれているというか……よそよそしいというか……羽衣歌を避けている節がある。

 なんとなくではあるが、そうされる理由が羽衣歌には分かっていた。十六人いる一年の中で、ソロパートがあるのは羽衣歌だけだからだ。


 美咲もそうだが、皆、小学校や中学校の時から合唱部に属しており、歌唱力に自信がある。それなのに、高校に入ってから始めた羽衣歌が、定期コンサートという晴れやかな舞台で、ソロという大きな役を得たのだ。面白くないのは当然だと思う。妬む気持ちは誰にでもあるもので、もちろん羽衣歌にだってある。今回選ばれたのが自分以外だったら、きっとその子を羨んで、そして妬んでいただろう。だから彼女達の態度を悲しく思うが、納得もしている。

 唯一の救いは、美咲だけは態度が変わらないという点だ。

 彼女の本心は分からないが、羽衣歌にしてみれば、ソロに選ばれる前も後も同じというのは、とても嬉しいことなのだ。


 同級生でこれなのだから、上級生に至っては「どうしてあの子が選ばれるのよ。ヘタクソなのに」と、あからさまに声に出して言う人も少なくない。彼女らに言われなくても、羽衣歌自身、自分が選ばれたのが不思議なくらいなのだ。

 けれど選ばれたからには、一生懸命歌わなくてはいけない。誰もが納得するくらい、上手に歌わなくてはいけない。だが、特別上手でなくても良い――と、羽衣歌は思っていたりする。大切なのはテクニックではなく、気持ちを込めて歌うことだと、そう思っているからだ。


 歌うのが好きだ。

 歌は幼い頃から、羽衣歌の身近にあった。

 彼女の母親は若い頃声楽を学んでおり、オペラ歌手になることを目指していた。けれど途中でそれを諦め、親の勧めるまま結婚をした。才能がないと分かっていたといのもあるが、夢を追うことに疲れてしまったのだ。けれど歌うことが嫌いになったわけではないので、家の中で歌っては子供達に聞かせていた。


 歌だけではない。

 子供達に彼女は、音楽の楽しさを教えた。

 その影響からか、羽衣歌の兄姉は音楽と関係のある道を選んだ。

 八歳上の兄は大きなコンクールで賞をとり、ピアニストとして華々しくデビューし、今はヨーロッパを中心に活動しているのだが、今年の年末は日本のテレビ局で放送される年越しコンサートにゲスト出演予定だ。

 七歳上の姉はミュージカル女優を目指し、大学生の時に日本で一番大きな劇団の入団テストに合格した。大学を卒業するまでは、学業と練習とで毎日ヘトヘトで体を壊すのでないかと心配したが、その甲斐あってか、来年公演の作品では主役に大抜擢された。ダブルキャストではあるが、主役は主役だ。ポスターにも大きく顔写真が載る。そして劇団創設以来最年少での主役起用でもあり、話題性は充分だった。


 そんな兄姉は母の自慢であり、誇りであり、希望であった。

 だから羽衣歌も母のために、兄姉のようになりたいと思っていた。

 そうならなくてはいけないと、思っていた。

 母のために――と………。


 


「前のトラック……なんか危なくないか?」


 ふと、音が途切れた瞬間、誰かの声がした。それに同意するように、車内がざわつき始める。羽衣歌の席からでは前の様子が見えない。だが、彼女の傍に立っているサラリーマンは、前方を見たまま固まっていた。おかしい――と、羽衣歌の中で警告音が鳴る。


「あ、あの……」


 おもいきって声をかけようと口を開いたところで、前方から叫び声のようなものがあがり、キイイイイイイっと急ブレーキのかかる大きな音がした。そして車体がぶわんと横に振られ、車中に悲鳴が響く。咄嗟に前の席に掴まったものの、立っていた人達は踏ん張れずに、ドミノ倒しのようにバタバタと倒れていった。否、飛んでいった――という表現の方が正しいかもしれない。

 

 ドン――と何かがぶつかるような音と、強い衝撃がした瞬間、反射的に目を瞑った羽衣歌でも分かるくらい(まばゆ)く、そして白い光が無数に弾け散った。そこで羽衣歌の意識は途切れ、次に気がついた時には、自分がどこにいるのか理解できなかった。


 一瞬、天国なのかと思った。

 だが、天国にしては薄暗い。目を凝らせば、遠巻きに自分を見ている人達がいた。しかも彼らは、誰がどう見ても欧米人のような容姿で、着ている服は今の時代の物ではない。昔々……例えるならば、小学校の音楽室に飾られていた音楽家達の肖像画――モーツァルトやヘンデル、ハイドンやベートーヴェン、ヴェーバーやバッハ――に描かれているような服だ。そしてどうやらここは野外舞台のような場所らしく、視線の高さから、羽衣歌は自分がその舞台の上にいるのだと気がついた。しかも彼女の足下には、青白く光る複雑な紋様が描かれていて、その中央に立っている状態であった。


 きょろきょろと辺りを見回し、目に止まったそれに息を飲む。以前テレビで見た“ヨーロッパ城物語”なるものに出てきた、青い屋根の白亜の城によくにた物が視線の先にあったからだ。ドクン――と、心臓が大きく脈打った。


「あ……」


 日本ではありえない風景。

 ありえない服の人々。

 静まり返っている周囲。


「ここ……」


 あまりにも静かで……静か過ぎて……恐い。ぶるぶると体が震え、その場にへなへなとしゃがんで座りこむ。


「ど、こ……なの?」


 震える声で呟いたそれに、いち早く反応したのは、紫紺色の髪をした青年だった。


「嘘、だ……どうして……どうして人が……どうして……」


 どうして?

 それはこちらの台詞だ。


 両手で顔を覆って、その彼は何度も何度も「どうして」と呟いた。そのうち人々がざわめき始め、そして誰かが怒声をあげる。どうやらそれは、目の前の青年に対してらしく……彼は真っ青な顔をして(かぶり)を振ると、羽衣歌の前までやってきて片膝を床へと付いた。

 

 青年はスカートの上で強く握っていた彼女の手をやんわりと掬うように持ち上げると、苦しげな顔で羽衣歌の黒い瞳を見つめた。


「申し訳……ありません……」


 何に対しての謝罪なのだろう……羽衣歌は少し首を傾ける。だが、青年はなおも謝罪の言葉を繰り返す。


「どうしてこんなことになったのか……本当に……本当に申し訳ありません。申し訳、ありません……」


 目を瞑り、彼は額を羽衣歌の手の甲に押し当てた。そして何度何度も、謝罪の言葉を口にする。


「あ、あの……私……」


 帰してくれれば、帰れればいいのだから、そんな風に謝る必要はない。


「ここ、どこですか? 私、家に帰らないと……お母さん、心配するから」


 だから早く帰してください――と言おうとしたが、それは他の人の声で邪魔をされた。




「そなたはもう二度と、己が世界へ帰ることはできない」




 ビクンと肩を跳ね上げ、声のした方に顔を向ける。

 振り向いた先にいたのは、蜂蜜みたいな金色の髪の青年で、今まで見たこともない美しい顔をしていた。

 だが、その表情は酷く険しく、オレンジ色がかった薄茶色の瞳は眇められている。美しいが、氷のようだ――と羽衣歌は思った。


 豪奢なイスから立ち上がると、彼はゆっくりと羽衣歌の方へと近づいた。その流れるような動作は、まるで映画のワンシーンを見ているようで、見惚れてしまうほど優雅であった。彼は羽衣歌の前で止まると、紫紺色の髪の青年を押しのけ、付いてきた騎士の様な姿の男二人に離れるよう指示をした。彼らに引きずられるように、紫紺色の髪の青年がその場から少し後ろへと離される。その様子を見ながら、彼はフッと息を吐き出し、そして呆けたような顔で自分を見上げている羽衣歌へと視線を戻した。


 ゆっくりと、薄く形の良い唇が開く。

 そしてもう一度、羽衣歌に残酷な現実を突きつける。

 元の世界には、もう二度と帰れない――と。


「か、えれ……ない?」

「ああ」


 この人は何を言っているの?――羽衣歌はこの美しい青年の言っている言葉を、理解できなかった。したくなかった。


「ここ、は……どこ、ですか?」

「ここはヴァルータ王国」

「……ヴァ、ルータ?」


 今まで一度も聞いたことのない国名だ。羽衣歌の額に、たらりと嫌な汗が流れる。


「そなたは誤って、この世界に召喚された」

「召喚? 召喚って? それって……」


 まさか――と、声にならない声。異世界召喚など、現実にあるはずなどない。そんなものは、マンガや小説の世界の出来事だ。


「嘘、ですよね?」


 自分でも笑ってしまうほど、酷く震えた声だった。


「嘘でしょう?」


 嘘だと、これは夢だと言って笑って欲しい――そう願いながら、羽衣歌は目の前の青年に問うたのだが……彼女の願いとは逆に、眉宇に刻まれた皺が深まり、ゆるりと左右に首が振られ蜂蜜色の髪が揺れた。


「嘘ではない。そこにいる召喚士首座が、飛鳥(ひちょう)をここに呼び出すはずだった。だが、実際出てきたのはそなただ。そなたはもう、元の世界に帰ることはできない」

「帰れないって……帰れないって……な、んで? どうして?」

「許せ……。召喚はできても、送環はできないのだ。歴代の召喚士首座達が皆、それに挑んできのだが、陣はいまだ完成していない。組むことすらできていないのだ。故にそなたはここで……このヴァルータで……生きていくしかない。衣食住は保障する。だから……」


 諦めよ――そう冷ややかな声で、淡々と現実が告げられた刹那、羽衣歌の絶叫が辺りに響き渡った。


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