御免口
「君さぁ……もっと反省とか、そういう顔はできないの?」
客の声に、応答面がわずかに俯いた。
大きさは障子ほど。若い男の顔を模しているが、実在する誰かではない。
眉尻が下がり、唇が震え、目だけが客から逃げる。その動きに一拍遅れて、柔らかな声が返った。
「申し訳ありません。私の対応に至らぬ点がございました」
「そこだよ。そういうのが腹立つんだよ!」
廊下に連なる個室の一つから、卓を殴る音が響いた。
帳場の店主は算盤から顔を上げず、壁に吊るした砂時計をひっくり返した。
この間に一刻分の追加料金が生じた。ありがたい客である。
うなぎの寝床みたいな長屋を、薄い壁で仕切って個室を作った店舗。
店先の暖簾には、墨で書かれた三つの文字が踊っていた。
**御免口。**
その下に細い電光文字が流れている。
《官吏・上役・亭主・女房への悪口、苦情、本人に代わりお聞きします》
《十分二文。但し器物を破損した場合は実費》
《隔週木曜定休日》
最近は官吏相手に声を荒らげるだけでも、官務妨害として処分される。
読み取り柱を殴れば器物損壊。
役人の胸ぐらなど掴もうものなら、下手をすると一晩では帰れない。
かと言って、怒ることを禁じても、不満そのものが消えるわけではない。
そこで店主は人の愚痴を聞く商売を始めた。
客の不満を受け止め、相槌を打ち、時には解決策を提案する。
人に話せば少しは気も晴れるだろう。その程度の思いつきだった。
だが、人を雇えば高くつく。
理由をつけて休む、長話に疲れる、給料が安ければ辞める。
そもそも、朝から晩まで他人の愚痴を聞きたいという物好きなど滅多にいない。
そこで店主は、自動経文を組み込んだ「応答機巧」を作った。
話を聞き、内容を整理し、それらしい返事を返してくれる。低コストで文句も言わない。
ところが、客の評判は芳しくなかった。
「お前の意見なんか聞いてねえよ」
「なんで俺にも悪いところがあるみたいな言い方するんだ」
「説教すんな、俺は間違ってないだろうが」
店主は気づいた。
客が求めているのは解決策ではない。
従順で反論せず、寄り添い共感し、常に自分の正しさを認めてくれる相手だった。
賛同するだけなら、自動経文でもできる。
だが客は声の震えや視線の逃げ方、怯えた表情まで求めるようになった。
そこまで細かく振る舞わせると、今度は演算代が嵩む。
そこで店主はあるものに目をつけた。
個室の奥。厚い壁を一枚隔てた小空間に、鉄格子くらいの演算檻がある。
中では応答面とは似ても似つかぬものが膝を抱えていた。
子どもでも、猿でもない。小鬼である。
その四肢には拘束符。首の後ろから細い導線が伸び、壁の応答機巧へ接続されている。
客が怒鳴ると、驚いたようにその肩が跳ねた。
《回避反応:検出》
《呼吸相当周期:上昇》
《対話継続性:低下》
小鬼の反応を応答機巧が拾い、人間向けに整形し、出力する。
「申し訳ありません」
応答面の男が、泣きそうな顔で頭を下げた。
店主は帳場から反応値を確認すると、恐怖係数をほんの少し上げた。
客の評判は上々だった。
◇
「ほれ、新鮮なやつだ」
裏口から現れた男は、ボロ布で覆った籠を床へ置いた。
中には小妖が一匹、符でぐるぐる巻きにされていた。
二週に一度の木曜日。
御免口は休業し、こうして「商品」を補充する。
男は建国府で働く、妖怪狩りの武者。
装甲は傷だらけで、袖口には妖怪の体液がこびりついている。
「なんか痩せてませんかね……」
「いいだろ、暴れるこたぁねぇよ」
「前のは三日で応答落ちしました。もう少し丈夫なのを寄越してくださいよ」
「そういうのは斬るほうも命懸けなんだよ。安物買っといて贅沢言うんじゃねえ」
店主は籠を覗き込んだ。小妖は身を縮めている。
右脚が欠け、首には黒く変色した管理札が残っていた。
《妖狩改方・回収物》
《処理区分――》
そこから先は焼けて読めない。
店主は札を摘まむと、にやけながら銭を数える武者に訊ねた。
「これ、剥がし忘れてません?」
「あ、どうせ客には見えねえだろ」
「念のため確認しますが……本当に処分済みなんでしょうね?」
ほんの一瞬だけ、武者の指が止まった。
その掌には債務督促の表示が浮いたり消えたりしている。
少ししてドスの利いた声が返ってきた。つまらないことを聞くなと言わんばかりに。
「心配いらねえ。処分予定だから売ってんだよ」
処分済みと処分予定ではわけが違う。
だが正規の払い下げ品となれば、今の値段では買えない。
聞かないほうが安く済むなら、それに越したことはない。
店主は札を剥がし、帳場脇の屑籠へ放った。
その日の仕入れは相場の六割だった。
◇
商売は繁盛した。
役所から二筋離れた立地もよかった。官務窓口にはいつからか、
《威圧的な言動は処罰の対象となります》
《私的な感情の発散については近隣の受容商等をご利用ください》
という掲示が出ていた。
もちろん、御免口の名など書かれていない。
それでも近隣と言えばここしかない。
上役に詰められたばかりの下級書吏。
弟子への威圧で処分を受けた職人頭。
主人と客に一日中頭を下げる大店の番頭。
苦情が通らず、「自分は悪くない」と誰かに認めさせたい町人。
皆、銭を置いて個室へ入る。
怒鳴る者もいれば、延々と説教する者もいる。同じ謝罪を十度言わせる者もいた。
求めているものは似ている。
反論せず、立ち去らず、最後には謝る相手だった。
店主はこれを悪い商売だと思ったことはない。
ここで怒鳴れば、外で怒鳴らずに済む。人間同士で殴り合うよりよほどましだ。
それに籠の中身は妖怪だ。
維持費は残飯を食わせる程度。
放っておいても妖狩改方に斬られるのだから、それよりマシというものだ。
誰も損はしていない。
ある日、一号室で不具合が起きた。
常連客がいつものように応答面を罵倒している。
「何度も言わせんな、この給料泥棒が!」
応答面が俯く。返答がない。
客がもう一度卓を叩いた。
「何黙ってんだ、『申し訳ございません』だろうが! あぁ!?」
数秒の沈黙を経て、ようやく声が出た。
「……嫌です」
反抗されるとは思わず、客は絶句した。
店主も驚き、帳場から顔を上げた。
「今、なんて言った?」
応答面の唇が震えている。
「嫌です」
血相を変えた客が勢いよく立ち上がる。
店主は慌てて回線を切った。個室の応答面が暗転する。
「おい店主! 金払って説教されに来てんじゃねえぞ!」
奥の演算籠では、小鬼が壁へ身体を押しつけていた。
拘束符は正常。謝罪応答の優先指定も生きている。
《謝罪応答:正常》
《出力:未承認》
履歴を見たが、何が未承認なのか店主には分からなかった。
再起動をかける。
《応答機巧:再接続》
「申し訳ありません」
いつもの声が戻った。故障だったらしい。
客には平謝りした後、半刻分を返金した。
翌日から一号室はまた謝った。次の日も。その次の日も。
やがて店主は、トラブルのことを忘れた。
◇
行政通知が届いたのは、昼過ぎだった。
《建国府より暫定保全令》
《自己保持型の応答機巧に関する運用制限》
役所から飛んでくる文書にろくなものはない。
どうせ余計な帳簿を増やされるだけだ。
たかをくくった店主が通知を閉じる。
その直後、個室が全て停止した。
《対象設備:保全審査中》
《応答機巧への入力を停止してください》
その日の夕刻、監察吏が二人来た。
店の奥を調べ、演算籠を一つずつ照合する。
若く表情の乏しい監察吏が、一号室の前で手を止めた。
「継続記憶、入力者識別、回避選択、自己状態の保持。いずれも基準を超えています」
「基準って、何の?」
「この応答機巧は、客ごとに異なる記憶と反応を持ち始めています。
これをひとまず『感応主体』と呼びます」
意味がわからず、店主は首を傾げた。
「まさか、人扱いするってことでしょうか?」
「いいえ。人格であるとは認定しておりません。
勝手に消されると、何が起きているのか調べられません。ですので、調査が済むまでそのままにしてください」
「ただの小鬼でしょう」
「承知しております」
「喋ってるのも人じゃない、応答機巧ですよ」
「それも承知しております」
話が通じているのか、いないのか。
四角四面な監察吏の態度に店主は苛立った。
「じゃぁ、何ならいいんですか!」
「そのままにしてください」
店主の血圧が上がり、奥歯が軋んだ。
声を荒げたくなるのを堪えながら、演算籠の隅で震える小鬼を指差した。
「そのままって、こいつの餌代も保証してくれるんですか?」
「維持費については別途申請できます」
「いつ下ります?」
「感応主体と見られる全件の審査が終わってからになります」
「いつ終わります?」
「完了後に通知されます」
なんとご立派な役人しぐさだろう。
店主は今すぐ御免口に飛び込みたかった。
だが問題はそこで終わらなかった。
監察吏たちは十四基の応答機巧へ封印札を貼り始めた。
最後の籠を動かした時、壁の隙間から何かが落ちた。
《妖狩改方・回収物》
黒い札に書かれた文言に、店主の喉が鳴った。
「これは?」
「……仕入れた時から付いてました」
「正規払い下げの記録がありません」
まずい。
店主は武者の名を告げ、処分予定と聞かされていた旨を添えた。
ここまで来たら、自分は何も知らなかったのだという態を通すしかない。
数秒後、照合結果が浮かんだ。
《当該職員:八日前殉職》
《回収物処理記録:処分報告なし》
監察吏が別の籠へ目を向けた。
「ほかの十三基についても確認します」
店主は何も言わなかった。
御免口は即日封鎖された。
◇
それから数日。
留置施設の壁は白かった。
窓は細く、外が昼なのか夕方なのかも分かりにくい。
取調べ室の椅子に座らされた店主は、若い監察吏と向き合っていた。
その横には見覚えのある応答面が置かれている。
「これから供述の照合を行います」
「照合?」
「保全された一号の記録と、あなたの供述内容を照合します」
監察吏が応答面へ記録符を差し込んだ。
《供述照合》
《保全個体接続中》
店主は眉を顰めた。
「こいつの言うことが証言になるんですか?」
「証言とは申し上げておりません。照合対象です」
応答面に光が灯る。
眉尻が下がり、唇がわずかに震え、目だけがこちらから逃げる。
顔も、声も、店にあった時と変わりなかった。
御免口一号。
監察吏はいくつか形式的な質問を終えると、記録を確認すると言い残して席を立った。
後には店主と応答面だけが残された。
店主は椅子へ深くもたれた。
「お前も偉くなったじゃないか。俺の店じゃ、何言われても謝ってたくせに」
「他の応答は許可されていませんでした」
「俺が買わなきゃ、お前は処分されてたんだぞ」
「記録されています」
「それを喋れるようにして、客まで付けてやった。それで、なんで俺が捕まるんだよ」
「その質問について、私は判断する権限を持っておりません」
店主は鼻で笑った。
「妖怪のくせに、役人みたいなことを言いやがって。年貢泥棒が」
応答面の表情が止まった。
謝らない。怯えもしない。
数秒後、机の端に小さな通知が浮かぶ。
《照合継続拒否》
店主は眉をひそめた。
「おい。俺は止めろなんて言ってないぞ」
応答面が答えた。
「私です」
《対象個体より終了申請》
《申請受理》
顔が消えた。
あとには白い壁だけが残った。
---
この短編では、「反論しない相手」を求める人間と、意思らしきものを示し始めた存在とのあいだに生まれる境界を切り出しています。
『電脳虚界合戦』本編では、認証や契約、組織の仕組みを通して、制度が個人をどう定義し、役割を与え、その枠からはみ出す存在をどう扱うのかを、別の人物たちの視点から描いています。




