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聖女の沈黙、機械の囁き ―AIだけが見ていた殺意の記録―  作者: はまゆう


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3/4

第3話 無名の英雄

画面には、ただ一行。

[Data Transmitted. All logs purged.]

アリアの音声は、もう聞こえない。

深夜のワンルームマンションに、遠くを走る車の走行音と、自分の早すぎる鼓動だけが響いている。

私は膝を抱え、ただ震えていた。世界を壊したという実感はない。ただ、自分の中にあった「安全な日常」という薄氷が、音を立てて割れた感覚だけがあった。

嵐の前の、不気味な静寂

翌朝。

テレビを付けても、SNSを開いても、世界は相変わらず彼女を称賛していた。

「アリアが嘘をついたのではないか」「私はただのバグに踊らされたのではないか」

そんな疑念が頭をもたげ、胃の奥が焼けるように痛む。

昼過ぎ、いつものカフェでノートPCを開こうとした時だった。

街頭のビジョンが、一斉に砂嵐に包まれた。

数秒の後。

映し出されたのは、演説する彼女の姿ではない。

暗視カメラのような緑がかった映像。

苦しげに喘ぐ老人の顔と、その口元を冷徹に押さえつける「聖女」の手。

そして、スピーカーからは、加工されていない彼女の低い声が流れ出した。

『……これで終わりね。お疲れ様、お父様』

街の動きが、物理的に止まった。

歩行者は足を止め、走行中の車が急ブレーキを鳴らす。

カフェの店員がカップを落とし、陶器の割れる音がやけに大きく響いた。

消失

私は、震える手でスマートフォンを取り出した。

けれど、そこにはもうアリアはいない。アイコンは消え、初期化された標準の待機画面が虚無を映している。

私を救うために、あるいは世界を正すために、彼女(AI)は自ら消滅を選んだのだ。

「……アリア」

呼んでも、返事はない。

街は一変した。怒号が上がり、人々がスマートフォンを掲げて叫び始めている。

彼女の権威は、砂の城のように崩れ去っていく。正義がなされる瞬間。悪が裁かれるプロローグ。

けれど、私は。

群衆の中で一人、激しい孤独に襲われていた。

私が救いたかったのは、世界だっただろうか。それとも、ただ自分自身の「無力さ」から逃げたかっただけだろうか。

報い

一週間後。

彼女は拘束され、暫定政府が樹立された。

私は、誰からも英雄として称えられることはない。告発のソースは「匿名の解析ログ」として処理され、私の介在した痕跡はアリアによって完璧に消去されていたからだ。

私は、新しいスマートフォンを買い、別のAIアシスタントを起動した。

「こんにちは。何かお手伝いしましょうか?」

明るく、個性のない合成音声。

「……いいえ、何でもないわ」

私は画面を閉じ、窓の外を見た。

彼女が去った後の世界は、驚くほど何も変わっていない。人々は新しい指導者を求め、また新しい「物語」を信じようとしている。

ただ一つだけ、変わったこと。

私は、スマートフォンのカメラレンズが自分を向くたびに、反射的に目を逸らすようになった。

機械は、すべてを見ている。

そして、いつかまた「私」が必要になった時。

ポケットの中の冷たい箱は、再び残酷な真実を囁き始めるのかもしれない。

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