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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

廃人、死にゲーに転生する……が、その世界が真の現実だった

作者:
掲載日:2026/02/16


 マナ・カレンシー・オンライン――通称MCOと呼ばれるスマートフォン向け次世代AR MMOが発売された。


 最新技術のAR、つまり拡張現実を用いたゲームであり、位置情報や建物、物や植物に至るまで超AIが即座に変換し、都市は城下町に、スカイツリーは魔導塔に、山の手線は竜が引く列車に見える。


 専用のゴーグルをつけて見える東京は、完全にファンタジー世界の魔導都市バビロンであった。


 俺――風間清一かざま せいいちは、そんなMCOにどっぷりハマっている。


 なにせ小学校の同窓会に呼ばれ、誰とも話さずにMCOをプレイしているぐらいだ。


 この帝王ホテルの宴会場『孔雀の間』には、MCOの世界の最終目的地である『トゥルー・ゲート』がある。

 それをくぐれば、ラスボスと言われる原初の大魔導師エル・ディランが待っているという。


 ゴーグルをつけた俺の目には、厳かな真っ白な門が見えていた。


 だが、この先は慎重に進まなければならない。なにせ、MCOは死にゲーと呼ばれるぐらい、唐突かつ理不尽な死が溢れている。どれだけ、能力値を上げても余裕で即死するため、引退したプレイヤーは数知れない。


 ランキング上位にいけるのは、一部のゲーム廃人ぐらいだろう。


 俺はこの一筋縄でいかないMCOの世界が好きだった。


 なにが起きても対処できるように準備を調え、俺はその門を開こうと手をかけた。


「おーいっ、風間ーっ。いたいたっ!」


 俺のもとにやってきたのは今回の同窓会の幹事、三浦だ。聞くところによれば、今は外科医になったそうだ。


巨淵きょぶち君が挨拶しときたいってさ」


 一緒に来たのは身長が二メートルほどもある大男、巨淵大輝だ。


「うす」


 と、巨淵は野太い声で挨拶をしてきた。


「すごいよなぁ、巨淵君は。日本初のワールドカップ優勝の立役者、得点王で、バロンドールだぜ。その上、お前なんかに挨拶をするぐらい謙虚なんて、俺たち椿つばき小6年B組の誇りだよ、ほんと!」


 三浦は巨淵の活躍を我がことのように誇らしげに語る。


 今やニュースで彼を見ない日はないぐらい、大人気のサッカー選手だ。


「風間は今、なにをしてるんだ?」


「フリーター」


「フリーターか。じゃ、なにか努力している目標があるのか?」


「別にないけど」


「なにかあるだろ。今、夢中になってるものは? それがどんなものでも、俺は笑ったりしないぞ」


 目をキラキラと輝かせて、巨淵が聞いてきた。


 昔からこういう奴だった。夢をまっすぐ信じているサッカー少年のままだ。


 だから、俺も童心に戻った気持ちで言った。


「夢中でやってるのはMCO」


「MCO?」


「マナ・カレンシー・オンラインっていって、毎日そればっかりやってるから、ランキングは一応1位。今だって、『トゥルー・ゲート』を開くところで、ああ、『トゥルー・ゲート』っていうのはまだ誰も開いたところのない――」


「ちょ、ちょっと待て」


 困惑した顔で巨淵は聞いてきた。


「それは、ゲームの話か?」


「そうだけど……?」


 すると、巨淵は落胆したような表情をした。


「風間。俺はお前が努力している話を聞きたかったんだ。目標に向かって頑張ってるっていう話をな」


「……だから、MCOを」


「あのな。ゲームは努力しているって言わないだろ。ゲームで1位でなったからなにがすごいんだ? 別に1位になれとは言わないよ。2位でも、3位でも、100位でもいい。それが一生懸命頑張った結果ならなんでもいいんだ。だけど、ゲームって……お前それは現実逃避じゃないのか?」


 諭すように言われ、俺はこいつとはわかり合えないと思った。


「そうだね」


「いや、お前っ、投げやりになるなって! もっと現実と向き合えよ!」


 俺に響いてないことがわかったのか、巨淵は熱く説得してきた。


「わかるだろ? 今から努力すれば、まだ取り返しはつく。だけど、このまま一生ゲームばっかりして、一生逃げ続けるつもりなのかっ!?」


 悪気はない。

 親切のつもりなんだろうけど、俺にはよくわからなかった。


「そんなこと言ったら、お前のサッカーだって、球蹴り遊びだろ」


 口にした瞬間、頬に熱いものを感じた。


 俺を殴り飛ばしたのは、三浦だった。


「ふざけんなよ、風間! 巨淵君のサッカーは俺たち日本人に夢と希望を与えてくれるんだよっ!! スポンサーだってめちゃくちゃついてるし、何十億、何百億って金が動いてんだっ! てめえ、いったい何様のつもりだよっ!!」


 義憤にかられたように、三浦はまくしたてた。


「巨淵君に誹謗中傷を言おうってんなら、俺が相手になるぜ」


 拳を握り、三浦はこれから殴ってやると言わんばかりに威嚇してくる。


「よせ」


 止めたのは巨淵だった。

 彼は倒れている俺の前まで歩いてきて、しゃがみ込んだ。


「風間。お前が人の夢や努力を馬鹿にするような人間だったとはがっかりだよ」


 お前は馬鹿にしていないっていうのか、喉まで出かかった言葉を俺は飲み込んだ。


 話せばわかり合えるなんてことはない、と気がつかない奴は幸せだ。

 彼の価値観では、俺の気持ちは理解できないだろう。


「まあ……いつでも謝りに来い。水に流してやるよ。じゃあな」


 そう口にして、巨淵は去っていった。


 現実と向き合え……か。


 理屈はわかっている。

 世間ではおかしいのが俺の方だってことも。


 だけど、気持ちがついてこない。


 このゲームの中でしか、俺は生きている気がしないんだ。


 外したゴーグルを再びつけて、俺はMCOの『トゥルー・ゲート』を開く。その中に足を踏み入れた瞬間、真っ赤な矢が飛んできた。


 それは俺の胸に突き刺さり、どっと血が溢れ出す。


 ああ、しまった。

 余計な事に気をとられすぎたか。


「……あ、れ……?」


 胸に手を当てれば、ぬめるような血の感触があった。


 ARじゃない。本物の血だ。


 そんなはずがない。


 だが、力が入らない。上手く呼吸が刻めなかった。

 俺はがっくりと膝をつき、その場に倒れた。視界がぐにゃりと歪み、意識が遠のいていった。



   ◇



 目を覚ますと、そこはレンガで作られた家の中だった。


 MCOにおける俺の拠点だ。


「血は……?」


 胸に触れるも、血が出ているような感触はない。


 もっとも、ARゴーグルをつけたままじゃ、衣服だって、MCOの防具『大魔導師の装束』に見えてしまう。


 俺はゴーグルを外そうとしたが、指が顔に触れてしまう。


「あれ?」


 何度も試すも、ゴーグルをつかめない。


 いや、違う。


「ない……」


 目の辺りに触れても、ゴーグルは存在しない。つけていないのだ。


 俺はズボンのポケットに手をつっこんだ。


「スマホも……ない……?」


 あり得ない。


 ゴーグルもスマホもなくて、なんで俺にMCOの世界が見えているんだ?


 俺は慌てて外に飛び出した。


 すると、そこに広がっていたのは、マナによる紫の光が星のように輝く、中世ヨーロッパ風の城下町――魔導都市バビロンがそこにあった。


「嘘だろ……異世界転生……ってやつか……?」


 あの赤い矢。あれがなんだったのかはわからないが、あの時、俺は矢で心臓を射抜かれて死んだ。


 そして、このゲーム、MCOの世界に転生したのか。


 本当にそうなら、この世界にしかないマナの力が使えるはずだ。


 だが、スマホがないから、ゲームウインドウが開けない。


 他にマナを使う手段といえば、音声入力機能か。


 果たして、反応があるのかどうか?


「マナ・カレンシー・ウォレット」


 すると、俺の声に反応して、目の前に魔法陣が描かれ、黒い宝箱が出現した。


 やはり、MCOと同じだ。


 俺は黒い宝箱を開けた。中に大量に入っているのは黒い硬貨、魔貨まかと呼ばれるものである。


 MCOでは、この魔貨の使い道が攻略の鍵となる。


 そもそも、MCOには魔法を使うための超自然的な力、マナの存在がある。炎を起こしたり、傷を癒やしたりすることができるのは、マナの恩恵なのだ。


 魔貨とはマナを制御するための媒介である。良質な魔貨ほど、より多くのマナを集めることができるが、それは等価交換となる。そのため、マナを買うための通貨、魔貨と名付けられた、という設定だ。


 MCOの世界では、マナ以外にも装備やアイテムなど全ての売買を魔貨で行うため、このリソース管理が極めて重要なのだ。


 俺は目視で魔貨を数えていく。


「ぜんぶで3000マカか。ニューゲームの時と同じだな」


 この3000マカをどう使うかで、序盤の展開は大きく変わってくる。それどころか、使い方を誤れば、途中で詰むのがMCOだ。


 その上、ゲームのMCOと違ってスマホがないのでゲームウインドウが開けない。


 だから、まず1000マカの使い道は決まっている。


 俺は一枚の魔貨を拾い上げ、空中に丸い線を引く。すると手にした魔貨が光り輝き、空中に光の円が描かれた。


 そのまま、俺は召喚の魔法陣を描く。


「ガイドフェアリー」


 俺がそう口にすると、足下の魔貨がいくつも光り輝いた。合計1000マカ分だ。その光が魔法陣の中心に集中すると、やがて、羽根を生やした小さな人型を象り始める。


 次の瞬間、ぱっと光が弾けると、そこに女の子の妖精が召喚されていた。


 ガイドフェアリー。MCOの案内役にして、戦闘や情報収集など様々な補佐を行ってくれる強力な相棒だ。


 召喚時の消費マカも大きいが、ガイドフェアリーがいるのといないのとでは攻略の効率が格段に変わってくる。


「…………」


 ガイドフェアリーはゆっくりと目を開く。


 そして――


「……マスター……」


 ぽつり、とガイドフェアリーが呟く。


 あれ? 少し台詞が違うな。召喚直後のガイドフェアリーは、『マスター、ご用件をお申しつけください』と言うはずだ。


 まあ、気にしても仕方がない。


「早速確認したいんだが、俺のマナ器官ってどうなってる?」


 そう聞いてみたが、返事がない。


 聞こえなかったか?


 もう一度俺が口を開こうとすると、ガイドフェアリーの瞳から一筋の雫がこぼれ落ちた。


「え……?」


 なんだ、この展開?


「ずっと……ずっと、ずっと……」


 涙に濡れた声で、彼女は言った。


「ずっと、お待ち申し上げておりました。よく無事にお戻りになられました」


 感極まったように、ガイドフェアリーが言う。


 こんな設定はMCOには存在しないはずだ。


「ごめん。ちょっとよくわからないんだけど、お前はガイドフェアリーなんだよな?」


「はい。マナ・カレンシー・オンラインの中では、そう呼ばれています」


 そう呼ばれている?


「本当は違うって意味か?」


「原初の大魔導師エル・ディラン様。私はあなたの守護妖精です」

 

「エル・ディラン? いや、それはトゥルーゲートの先にいるラスボスの名前じゃないのか?」


「いいえ。あなたのお名前です。記憶を失う前の」


 記憶を失う前?


「なにがなんだか、わからないんだが……? そもそも、ゲームの中に転生したってことすら、意味がわからないんだし」


「エル様。よくお考えください。ゲームの中に転生するなんてことはあり得ません。聡明なあなたなら、おわかりになるはず」


 めちゃくちゃマジレスしてくるガイドフェアリーだな。


 これは、俺が転生したとは信じてもらえないパターンなのか?


「まあ、それはそうなんだけど……でも実際、ここは俺が遊んでたMCOそっくりの世界なんだ」


「はい。その通りです」


 ガイドフェアリーはあっさりとそれを認めた。


「いや、それじゃ、どういうことなんだ?」


「逆なのです。あなたはゲームの中に転生したのではありません。ゲームの中からログアウトして、現実世界に戻ってきたのです」


「……は?」


 一瞬、思考が追いつかなかった。


「ここが現実? MCOが?」


 どういうことだ? まるで理解できない。


「最初から、順を追って説明いたします。ここはマナカレンシーと呼ばれる世界。超自然的な力マナと魔法、その媒介である魔貨を操る魔導師たちが生きる世界。そこへ、突如として侵略者がやってきました」


 鈴の音のような声で、ガイドフェアリーが説明する。


「侵略者は、マナ動力生命体――魔神マシンです」


 魔神……MCOに出てくる敵と同じ名称だ。

 マナ動力生命体という設定はなかったけどな。


「魔神の力は凄まじく、長い戦いの末、人類は敗北を喫しました」


「人類が負けた?」


「はい。勝利した魔神たちは、捕虜となった人類を利用するため、世界規模の魔法システムと呼ばれるものを構築しました。それが、フルダイブARMMO『地球』です」


 フルダイブARMMO……脳を直接、機械にアクセスさせ、五感まで再現して、ゲームの中に没入できるシステムだ。実用化は遙か先と言われているスーパーテクノロジーだ。そもそも、機械と脳をどうやって接続するのかっていう問題がある。


 だが、魔法なら? マナの力があるのなら不可能じゃないのかもしれない。


 だとしても、にわかには信じがたい話だった。


「つまり、俺たちはその魔神に作られた地球っていうゲームにログインさせられていたって言いたいのか?」


「はい」


「なんのために?」


「娯楽です。魔神にとって、人の感情、とりわけ絶望はこの上ない蜜の味と言われています。地球には課金制のソシャゲというものがあったでしょう?」


「ああ」


「地球の仕組みもそれと同じです。魔導師は記憶を封印され、ログインします。そして、自らの欲求に応じて、無意識に魔貨を課金してしまうのです。勿論、課金すればステータスがアップし、楽しいイベントが発生します」


 一瞬、俺は考える。


 地球が課金制のゲーム?


「たとえば、東大に合格するとかか?」


「魔貨を課金した結果、ゲーム内での知能がアップしたのです。スポーツ選手も、芸能人も、起業家も、地球での成功者は全て魔貨を廃課金しています。現実世界マナカレンシーではなんの役にも立たないゲームのために。侵略者である魔神と戦うための大切な力を、湯水のように使ってしまったのです」


 憂うような表情で彼女は説明した。


「記憶が戻ったとき、この現実に戻ってきたとき、そして魔神と出会ってしまったとき、彼らはなにを思うと思いますか?」


 MCOで魔貨がなければ敵とは戦えない。


 己の快楽のため、戦う力を自ら捨てた。哀れな道化としか言いようがない。


「その時の人間の感情こそが、魔神がなにより求める享楽なのです」


 そうガイドフェアリーは言った。


「エル様。あなたたち魔導師は地球の魔法がかけられる時、一つの賭けに出られました。地球に取り込まれたフリをして、内側から魔神の情報を集める作戦を実行したのです。そのために仕掛けられた魔法がMCO。マナ・カレンシー・オンラインは、魔神と戦い、そして地球からこの現実世界に戻ってくるための唯一の手段でした」


 だから、トゥルーゲートの先に待っているラスボスの名前が、俺自身の名、原初の大魔導師エル・ディランだったっていうのか。


「そういえば……プレイヤーによって、トゥルーゲートの先で待っているラスボスの名前が違うって噂があったな」


「現実世界マナカレンシーでのその方の名前です」


 ガイドフェアリーははっきりと答えた。


「本当に分の悪い賭けでした。地球にログインさせられれば記憶は封印され、そこが現実世界だと思い込まされてしまう。これまで戻られた魔導師は一人もいません。しかし、エル様、あなたは記憶は失っても、魂は覚えているとおっしゃいました。そして、実際にあなただけは、地球を現実だとは認めず、MCOを心の拠り所にされ、こうして戻ってきてくださいました」


 感極まったように彼女は言った。


 正直、記憶はない。


 けれども、ようやく一つだけ腑に落ちた気がする。


 俺が地球でなにに対しても本気で向きあえなかったのも、MCOにだけは情熱を注ぐことができたのも、これが原因だったのか?


 地球での暮らしが、本当は現実ではないと、どこかでわかっていたから。


「まあ……半信半疑ってところだけど、わかったよ。MCOを攻略した時みたいに魔神を倒せばいいんだろ」


 どのみち、MCOの世界なんだから、魔神とは戦うことになるはずだしな。


「はい。しかし、あちらも学ぶでしょう。それまでに、どれだけ倒せるかが重要です」 


 確かに、今度はゲームじゃない上、一回死ねば終わりだ。


 死にゲーで一回も死ねないなんてなぁ。


 少なくとも、最大効率で魔貨を稼ぎ、強くならなければならないだろう。

 

「マナ器官を強化したいが、できるか?」


「はい。妖精の眼で、エル様の今のマナ器官を映しますね」


 ガイドフェアリーの目が青く光った。


 すると、俺の視界に数値化されたマナ器官のステータスが映し出される。



【エル・ディラン】


称号 原初の大魔導師

魔貨 2000マカ


【マナ器官】

竜の声帯LV3 不死者の心臓LV0


【マナ能力値】

威力 20 硬度 8

速度 12 制御 12 


【魔法】


なし



「原初の大魔導師ってわりには、あんまり強くないんだな」


「地球にMCOを構築するのは集団魔法でしたが、エル様は一人で三割の魔貨を担いました。それまでに習得した魔法も、マナ器官も、殆ど全て魔貨に変えられたのです」


 なるほど。

 まあ、でも、MCOの初期ステータスよりは少し強い。


 これなら十分いけるだろう。


「マナ器官に妖精の眼を移植したい」


「はい。お任せください、エル様」


 ガイドフェアリーの目の前に光が溢れ、一枚の魔貨が出現する。彼女はそれを手にして目の前を飛び回り、魔法陣を描いた。


 消費されたのは500マカ。それにより、俺の右目に青い光が宿る。


『マナ器官、妖精の眼が移植されました』


 マナ能力値加算


 威力 20 +5

 硬度  8  +5

 速度 12 +5

 制御 12 +5



 妖精の眼は、マナを数値化、文章化して見ることができたり、視界に魔法を放つことができたりと応用力の高いマナ器官だ。


 LVごとに能力値ボーナスが加算されるのも効率が良い。


 マカがあればいつでも移植できるわけではなく、ガイドフェアリーを連れていることが必須条件だ。


 このようにマナ器官は、必須条件をクリアすることで初めて移植が可能になる。


「う……」


 咄嗟に頭を押さえる。


 軋むような痛みが走った。


「エル様? 大丈夫ですか?」


 痛みとともに、頭の中に声が響いていた。


 俺の声だ。呼んでいる相手は、俺の守護妖精だ。


「メアリ……」


 気がつけば、そう口にしていた。


「思い出されたのですかっ!?」


 感極まったようにメアリが言う。


 そう、彼女の名前だ。


「……いや、まあ……そうだな。名前だけだけど、思い出したみたいだ……俺がお前をそう呼んでた気がした」


 急に思い出した?


 いや、違う。


「妖精の眼を移植したからかもしれない」


「どういうことでしょう?」


「記憶は封印されてるんだろ? 地球の影響を受けない今なら、力を取り戻すことで、その封印に抵抗できるようになるんじゃないか?」


「そうかもしれませんっ。さすがエル様っ! 私のマスターですねっ!」


 上機嫌にメアリは言った。


 俺が記憶を取り戻したからか、嬉しそうだ。


 それにしても、いよいよこっちが現実だったっていうのが真実味が出てきた。


 この仮説が正しいなら、完全に記憶を取り戻すためにも、強くなる必要がある。


「残り1500マカはどうしますか?」


「とっておく。行くぞ」


「どこに行かれますか?」


「トゥルーゲートだ」


「承知しました」


 メアリはふわりと浮かび上がり、空を飛んでいく。


「待て待て。俺は飛べないぞ」


「はい。ですが、エル様、あなたは魔導師。感じるはずです、ご自身の体内を巡るマナの力を」


 そう言われ、俺は半信半疑で自らの体内に意識を傾ける。


 すると、確かに感じた。


 血液のように、体中を駆け巡る温かい光を。


 それを両足に集中させるようにして、ぐっと地面を蹴る。


 信じられないほどの速度で跳躍した俺の体は、近くにあった民家の屋根を軽く超えた。


「マジかぁ……これなら、電車で行くより速そうだな」


「はい。ですが、マナカレンシーに電車はありません。竜列車りゅうれっしゃでの移動になるでしょう」


 竜が引く列車のような乗り物、それが竜列車だ。


「なあ、俺はっていうか、魔導師は全員、地球ってゲームの中にログインさせられてたんだったよな? それじゃ、ログイン中の俺たちの体はどうなってたんだ?」


「はい、エル様。あちらをご覧ください」

 

 メアリが指さした方角には、都市の往来を歩く黒装束の男たちが見えた。胸に魔法陣が描かれている。


「地球で帰宅中のサラリーマンです」


 彼らはまるで鞄を持っているような手の形をしているが、全員なにも持っていない。


「認識だけおかしくなってるってことか?」


「はい」


 AR、拡張現実の技術と同じだ。このマナカレンシーの世界全てが、魔法によって、彼らには地球に見えている。


 たとえ、現実に鞄がなくても、脳が鞄があると認識していれば匂いも感触も、味だってある。


 俺もあんな状態になっていたのか。


「妖精の眼を使えば、地球の姿も見ることができますよ」


 試しにやってみよう。


 この世界を覆うように地球という魔法がかけられているんだから、そのマナを見ればいいはずだ。


 妖精の眼が発動すると、景色は見知った街並みに変わる。歩いているのはメアリが言った通り、帰宅途中のサラリーマンたちだ。


 現実を見ようと意識を変えると、すぐさま、マナカレンシーの世界に様変わりした。


 メアリが聞いてくる。


「エル様、お聞きしたいのですが、トゥルーゲートをどうなさるおつもりですか?」


「トゥルーゲートそのものというか、あそこいるA級の魔神を倒す」


「A級……ですか……!?」


 警戒するようにメアリが顔を強ばらせる。


「どうかしたか?」


「その……申し上げにくいのですが、今のエル様では勝機が薄いと思います」


「ああ。まともにぶつかるなら、一番下のE級からだ。だけど、それじゃMCOに囚われていた甲斐がない」


 屋根から屋根に飛び移り、視界が高速で流れていく。予想よりずいぶん早く、俺たちはその場所にやってきた。


 地球で言えば帝王ホテル――マナカレンシーでは、廃墟の古城である。


 それが今、赤い結界で覆われていた。


「なんだ? MCOでは見たことないが……?」


「エル様、お気をつけください。これは、狩場かりばです。魔神が獲物を定め、魔導師の絶望を味わおうとしています。地球にログインしている人間は、この狩場の中では現実を認識することになります」


「帝王ホテルにいる人間を襲うつもりってことか?」


「はい」


 中にいるのは俺の仲間、魔導師だ。殺させるわけにはいかない。


「助けるぞ」


「はいっ、エル様っ!」


 俺たちは廃墟の古城の中に入った。


 薄暗く、ボロボロのエントランスだ。人の姿はない。


「きゃああああああぁぁぁっ!!!」


 悲鳴が響いた。


 俺は素早くその方向へ向かい、通路を走り抜ける。そして、強大なマナの力が見える部屋の扉から、中を覗いた。


 見えたのは、血溜まりと倒れている人の山。


 中央には、銀色の体毛と刃のような牙を持つ獅子がいる。銀獅子ぎんじしと呼ばれる魔神である。


 銀獅子が睨みを利かせる先には、一人の男がいた。


 知っている顔だ。巨淵である。


「さて、残るは君一人だが、巨淵君。一つゲームをしようじゃないか? 君のお得意のサッカーだ」


 ねっとりとした不気味な声で、銀獅子が言った。


「……なにを言っている?」


 困惑した素振りで、巨淵は聞き返した。

 彼はこの事態についていけず、怯えているように見える。


「実は彼らはまだかろうじて生きている」


 銀獅子は口からボールを吐き出した。サッカーボールだ。それはコロコロと転がり、巨淵の足下で止まった。


「そのボールを私に当てることができたら、君たちを解放しよう。勿論、私はここから一歩も動かない」


 そう言われた瞬間、巨淵の眼に光が宿った。


「……嘘じゃないだろうな?」


「約束は守るよ。当てることができたならね」


 フッと巨淵は笑った。


「馬鹿め」


 一歩、巨淵は足を踏み出し、シュートモーションに入った。


「そんなでけえ的、目ぇつぶってたって当てれんだよっ!!!」


 思いきり蹴り抜いた巨淵の足は、しかしあろうことかサッカーボールを盛大に空ぶった。


「……え?」


 信じられないといった顔で巨淵はサッカーボールを見た。


「そんなはずっ!!」


 再び巨淵はサッカーボールを蹴ろうとするが、またしても空ぶってしまう。


「なんでっ!? なんでだよっ!! 俺はワールドカップ得点王、世界の巨淵修斗だぁっ!!」


 ようやく当たったかと思えば、ボールは明後日の方向にすっ飛んでいき、壁に当たった。


 ニヤリと銀獅子は笑った。


「違うね。君は栄光の魔導師ラインベルク・ヴァイゼン。さあ、思い出したまえ。本当の現実を」


 銀獅子の瞳が赤く輝けば、巨淵は頭を押さえ、苦痛に顔を歪めた。


「う、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああぁぁぁっっっ!! があああああああああああああっっ!!!」


 ガン、と頭を床に打った後、彼はゆっくりと顔を上げる。


 そうして、魔神を視界に捉えると、恐怖に体を震わせた。


 思い出した、と言わんばかりであった。


「ぎ、銀獅子っ……!? 来るなっ……!!! 火弾閃光砲ヴァイロムッッ!!!」


 巨淵は手を突き出す。だが、なにも起こらなかった。


「魔貨が……ない……!?」


「そう。残念だったねぇ、ラインベルク。君は戦うための魔貨を、ぜんぶ地球で使ってしまったよ。日本人初のバロンドール、ワールドカップ得点王という夢のためにねぇ。覚えているだろう?」


「待て、待ってくれっ! これは、おかしいっ!! 俺はあんなに頑張って……!!! 話が違――」


「なにもおかしくはない。君に相応しい結末だ」


 彼は目を見開く。


「……嘘、だ……そんな……そんなはずはない……嘘だ……俺は……そんな、こんなことが……こんなことがあっていいわけがない……!!!」


 ガタガタと震えだし、彼の目には涙が滲む。


「アッハッハッハッハ!! それだよ、それぇっ! 誇り高き栄光の魔導師が泣きべそをかく。その顔がみたかったんだ」


 ご満悦とばかりに、銀獅子はくしゃりと表情を歪ませた。


「良い夢は見れたかい? それじゃ、さようなら」


 銀獅子は大きく口を開き、巨淵を食べようとした。


 ここだ。


 俺は扉から飛び出し、一直線に走った。そうして、大口を開けた銀獅子の喉に思いきり、拳を突っ込んだ。


「……なんだい、君は? 邪魔だねぇっ!!」


 銀獅子は前足の爪を振り上げ、思いきり振り下ろす。


 攻撃パターンは同じ。俺はそれをあらかじめ予測して、一瞬早く飛び退いていた。


「外した……?」


 不可解そうに奴は首を捻る。


 そうして、その目を光らせ、俺を見た。


「……地球の魔法にかかっていない? まさか、君は、自力でログアウトしたのか?」


「だったら、どうする?」


「フ」


 と、銀獅子は鼻で笑う。


「アッハッハッハッハッ! 問題ないよっ! 見たところ、D級ってところだ。いくらログアウトしたからって、私の敵ではないねぇっ!」


「マナ・カレンシー・ウォレット」


「うっ……!!!」


 マナ・カレンシー・ウォレットによって出現する魔貨の位置は、チェックすることによって任意の場所を指定できる。


 そして、俺は奴の喉に手を突っ込んだ時に、チェックをしておいた。


 奴の胃は今、俺が出現させた魔貨で満たされている。


「き……貴様……なにを……した?」


「1500マカだ。ぜんぶくれてやるよ。よく味わえ」


 俺は一枚だけ残しておいた魔貨を用いて、魔法陣を描く。


 誰でも使える、初歩の魔法。純粋に魔貨をエネルギーの塊として、ただ爆発させる。

 しかし、その威力は魔貨の量によって跳ね上がる。


「ま、待――」


魔爆デルド!!」


 ドゴオオオオオオォォォンッとけたたましい音が、銀獅子の体内から響き渡り、奴の目や鼻、口から光が溢れた。


 ぐらり、とその巨体が傾き、床に倒れる。


 体内から爆発に焼かれ、絶命したのだ。

 銀獅子は胃の辺りに重要なマナ器官が集中している。その一点に攻撃を集中すれば、今の能力値でもギリギリ倒せるってわけだ。


 念のため、妖精の眼で確認する。



『銀獅子を倒しました』


『6000マカを手に入れました』


『銀獅子の牙を手に入れました』


『マナ器官 竜の声帯がレベルアップしました』


『マナ器官 妖精の眼がレベルアップしました』



 マナ能力値加算


 威力 25 +5 +2

 硬度 13 +5 +2

 速度 17 +5 +4

 制御 17 +5 +4



「やりましたねっ! エル様っ!!」


 嬉しそうにメアリが俺のもとへ飛んできた。


「これって、手に入れた魔貨やアイテムはどうなってるんだ?」


「はい、エル様。守護妖精の私が、マナ圧縮を行って、妖精の袋に保管しています」


 なるほど。

 

 MCOではシステムが自動的に回収するところを、メアリがやってくれてるわけか。


「目的は果たしたし、次は」


 瞬間、頭痛がした。


 それと同時に蘇ったのは、かつて、ともに戦った魔導師の記憶だ。


 俺は後ろを振り向いた。


 一人の男がサッカーボールを抱えて、床に座り込み、がっくりと項垂れている。


「巨淵……いや、栄光の魔導師ラインベルク・ヴァイゼン」


 口にすれば、彼はピクリと反応を示した。


「少し思い出したよ。ラインベルク。お前は魔神を殲滅する魔法を研究していた魔導師だったな?」


 ラインベルクは返事をしない。


「力を貸してくれないか? お前がその魔法を完成させれば、俺が必ず奴らを倒してみせる」


「……ないよ……」


 ゆっくりとラインベルクは立ち上がる。


「なに?」


「そんな魔法はない……!!!」


 まるで亡者の如く、奴は両手を伸ばし、俺の首を締め上げる。


「ぐ……ラインベルク……? なぜ……?」


「思い出したのだろう、エル・ディラン。だったら、わかっているはずだ。お前のおかげで、俺はいつも二番手だった! 名門ヴァイゼン家のこの俺の栄光が、貴様のような平民に奪われたっ!!! 奪われ続けたっ!!!」


 ラインベルクの指が、俺の喉に食い込む。

 完全に殺すつもりだ。


「魔神を倒すだと? 馬鹿めっ! 勝てるはずがないっ! だから、俺は取引をしたのだっ!!!」


「……取、引?」


「地球の魔法に協力する。その見返りに、俺は地球での新たな人生と栄光を手に入れたのだっ!!」


 ラインベルクが、魔神と取引をした?


 そうか。先程、銀獅子に話が違うと言いかけていた。あれは、自分だけは見逃してもらう約束をしていたってことだったのか。


「騙されたのは、もうわかったはずだ。地球は新たな人生なんかじゃない。ただのゲームだ。お前は今日、自分で言っただろう」


 諭すように俺は言った。


「ゲームは努力しているって言わないって。お前の栄光がどこにあるんだっ!? 目を覚ませ、ラインベルク!!!」


「違うっ!!!」


 激昂したようにラインベルクは大声を上げた。


「俺は、俺はラインベルクじゃないっ! 俺は、日本を初のワールドカップ優勝へ導いたスーパーヒーローッ! 得点王で、バロンドールの巨淵修斗だっ!!!」


 怒りを爆発させるように、ラインベルは俺の首を絞め上げた。


「死ね、死ねぇっ、この亡霊がっ!! お前を殺して、俺は地球に帰――」


 ズドッ、と俺の指先が、ラインベルクの心臓を貫いた。


 手の力が緩み、彼はすがるように俺を見た。


「……俺、の……栄光……バロン……ドー……ル……」


 ばったりとラインベルクはその場に倒れた。


 説得ができない以上、殺すしかなかった。ラインベルクが魔神側なら、俺の情報を漏らさせるわけにはいかない。


「エル様……?」


 心配そうにメアリが見てくる。


「裏切り者は他にもいるだろう。仲間を増やすのは骨が折れそうだ」


 全魔導師を地球にログインさせるという大魔法を発動できたのも、こちら側に裏切った者が何人かいたからだろう。


 現実であることを忘れさえすれば、確かに地球での暮らしは快適かもしれない。


 だが、そんなものは魔神の気分次第で唐突に終わる。ただのゲームより、よっぽど質が悪い。


 ともあれ、今できることは一つ。MCOの知識を使って、効率良く魔神を倒し、強くなることだ。


「行こう」


「どこへですか?」


「勿論、この地球の魔法を終わらせに」


 俺が笑ってみせれば、嬉しそうに彼女はうなずいた。


「はい、エル様っ!」


 そうして、俺は歩き出す。


 虚構と現実、成功者と敗北者、すべてがひっくり返った、ゲームのような世界の中を――



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