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残り火  作者: 相沢蒼依
第一章
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第一章 火種8

***


「お疲れ様でした!」


 バイト仲間に元気よく声かけて店を出ると、珍しく井上さんは車の中で待っていた。


「寒っ、雪が降りそう……」


 キンと冷え込む空気を肌で感じつつ、白い息を吐いて身震いしながら車の横を通り過ぎると、井上さんは俺の存在に気がついて車から出て来る。


「今日もお疲れ様、千秋」


(――いつもより鼻にかかった声をしてる)


「井上さん、風邪引いてるでしょ。身体のために帰った方がいいですよ。すっごく外、寒いんだし」

「いいや。一緒に歩く」


 予想通り彼の強引さが発動し、小さく震えながら隣を歩いてきた。ああ、もう面倒くさいな。


「昨日は大丈夫だったのに、いきなり風邪を引いたんですね。疲れが溜まっているんじゃないですか?」


 毎晩遅くまでここに出待ちして、朝だってきちんと起きて仕事に行ってるだろうに。


「へっくしゅんっ! 部屋の空気が乾燥していたらしい。疲れからじゃない」


 まったく強情な人だなぁ、呆れ果ててしまうよ。


「……ウチに寄っていいですよ。あたたかいお茶くらい出します。それを飲んでから帰ってくださいね」

「いいのかい?」


 鼻をグズグズさせながら、嬉しそうに聞いてきた。


「ただし、何もしないことが条件ですけど」

「もちろん! へっくしゅっ! 何もしない」

「風邪もうつさないでくださいね……」


 あまりにも不憫だったので、仕方なく家に招くことにしたのに玄関に入った途端に、いきなり後ろから抱きすくめられてしまった。


「っ!? ちょっ、何して……」

「……千秋、あったか、い」


 顔を引きつらせながら井上さんの額に手を当ててみると、すごく熱くなっているのを感じた。


「井上さん、熱があるじゃないですかっ!」

「ん……。千秋にお熱」


 俺の顔の横ではにかむように笑いながら、更にぎゅっと抱きしめてくる。


「そうじゃないでしょ! 絶対に風邪からくる熱ですって。もう!」


 毎晩毎晩、寒い中を車の外で待っていた。しかも疲れで身体が弱ってるせいで、風邪を引いたに違いない。俺が変な情をかけずにとっとと追い払っていたら、体調を崩さずに済んだかもしれない。もしかしたら、半分くらいは俺の責任でもある。


 背後霊のようにくっついてる大きな身体を引きずり、玄関からリビングに到着して、絡んでる腕をべりべりと引き剥がした。クローゼットの中にある衣装ケースから、急いでパジャマを取り出し、井上さんに投げつける。


「今、着てるそれを脱いで、これに着替えてください」


 てきぱき指示して小さなポータブルストーブを引っ張り出し、すかさず電源を入れた。そしてベッドに電気毛布を敷いて、同じく電源を入れてやる。ベッドから振り返ると、もたもたしてる井上さんが、やっとという感じでパジャマに着替えていた。


 何だか、ムダにデカい子どもに見えるかも――。


「ああ、ちょっと貸してください。やってあげます」


 パジャマのボタンにまごついていたので手早くかけてあげると、頭の上から嬉しそうな声がする。


「何か……千秋が天使に見える」


 熱で頭がおかしくなったんだろうか。井上さんの言葉に激しく顔を引きつらせて仰ぎ見ると、熱で潤んだ視線が真正面からぶつかった。


「はいはい。こっちに来て、さっさと寝てくださいね」


 まるで誘うようなそれに一瞬だけドキッとしてしまい、慌てて顔を背けて井上さんの大きな背中を押しながら、ベッドに誘導する。電気毛布の暖かさが利いた、布団の中に押し込んだというのに。


「……寒、い……」


 身体をブルブル震わせながら布団を肩口まで引っ張り、ぎゅっと握りしめる姿があって。


(――おかしいな、温度は一番高くしているハズなのに)


 首を傾げて布団の中に手を突っ込むと、やはり暖かい。むしろ井上さんの体温が高いので、もわぁとしたあたたかさが伝わってくる。


「はい、体温測ってください。今、風邪薬を持ってきますから」


(こんな具合の悪い状態で俺を待っていたなんて、本当に信じられない――)


 井上さんに体温計を握らせ、風邪薬を仕舞ってあるカラーボックスの中の引き出しに、急いで手を伸ばした。


「確か、総合感冒薬だったよな。大人は3錠っと」


 水の入ったコップと錠剤を持ってベッドに戻ると、タイミングよく体温計測済みの音が鳴った。


「起きてください。これ風邪薬です、飲んでください」


 肩を抱き起こして体温計と物々交換。液晶画面を見てみると、三十七度八分と表示されていた。思っていた以上に、体温が高くない。この体温でフラフラになって、倒れるなんておかしい!


 疑惑の眼差しで目の前にいる人を見ると錠剤を飲み終え、残っている水を全部飲むべきかどうか悩んでいるのか、コップをじっと眺めながら、ぼんやりしていた。


「汗をかいた方がいいので、なるべく水分は摂った方がいいですよ」


 その様子に呆れながら言葉をかけると、井上さんは俺の顔を見て静かに頷いた。そしてゆっくりと水を飲み干す。どこか艶めかしく動く喉仏に、視線が釘付けになった。


「ありがと、千秋。いろいろ済まないね」


 コップの水を飲み終え、固まる俺に向かって柔らかく微笑んだ井上さん。不意に視線が絡んだせいで、ドキッとする。


 空になったコップを無造作に奪うと、どぎまぎする俺をそのままにいそいそと布団の中に入っていった。


「……あの、井上さん」


 思ったより高くない体温について話すべく、恐るおそる声をかけてみる。


「穂高って呼んで……」


(何でこのタイミングで、それを要求してくるんだ?)


「じ、じゃあ穂高さん、実際あまり熱が高くないんですけど」

「ん……。平熱が限りなく、三十五度台に近いんだよ。だから三十七度まで上がると、死にそうなくらいにつらいんだ」


 それを聞いて何だか納得した。そのせいでいつも、手が冷たいんだな。


「ちょっと職場まで戻ります。車を停めてることもあるし、食料も調達もしたいから」

「それなら、俺の背広に入ってる財布を使うといい。世話になった礼には、ならないだろうけど」

「そんなの、気にしないでください……」


 首を横に振った俺を、首まで布団を被った穂高さんがじと目で見つめてきた。


「……使ってくれないのなら、俺が起きてこれから買い出しに行――」

「わかりましたっ! ありがたく使わせて戴きます!」


 本当のところ自腹を切れるほどお金に余裕がなかったので、助かってしまったのだが。穂高さんの強引さには、ほとほと呆れ果ててしまうしかなかった。

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