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残り火  作者: 相沢蒼依
第六章
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第八章 運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする6

***


 けだるいけど、すごく幸せ――。


 あの後、長い時間を一緒に過ごし、たくさん触れ合ってからシャワーを浴びた。着替えようとした俺を、穂高さんは名残惜しそうにもう一度ベッドへと引き寄せた。


「……あの時間が」

「もう少しだけ。ほんの少しでいいから」


 肩口に顔を埋め、甘えるように抱きしめてくる。その仕草がやけに可愛くて、離れがたい気持ちは俺も同じだった。


 抵抗すれば簡単に外れそうな、けれど絶妙に力を残した抱き方。俺も同じ強さで抱き返す。これ以上力を込めたら、本当に離れられなくなりそうで、少しだけ怖かった。


 ――ずっと、こうしていたい。でも……。


 穂高さんの後頭部をそっと撫で、意を決して身体を離す。


「行かなきゃ。そろそろ時間だから」


 そう言いながらも、掴んだ手を離せず、横になったまま固まってしまう。自分から距離を取ったくせに、情けない。


「千秋……」


 穂高さんは、迷う俺の手を両手で包み、静かに外した。切なげに揺れる瞳で見つめてから、ゆっくりと体を起こしてくれる。床に落ちていたシャツを拾い、そっと肩に掛けられた。


 何も言わず袖を通し、ボタンを留める。背中に触れる手が微かに震えているのが分かってしまって、胸が締めつけられた。


 愛しい人と過ごす時間は、どうしてこんなにも短く感じるんだろう。何度経験しても、慣れることはない。それでも――。


「夏休み、楽しみに待っていてね。穂高さん」


 次に会えると分かっているから、俺はここから出発できる。待っていてくれる人がいるという確信が、背中を押してくれる。


 ジーパンを履いて振り返り、背中に触れていた手を両手でぎゅっと握る。伝わる温もりを忘れないように、少し強く。


「千秋、待っているよ。首を長くして」

「フェリー乗り場までは来なくていい。ここで、一旦バイバイしよう」

「……でも」


 その寂しそうな表情を、他の誰にも見せたくなかった。俺だけが知っていればいい、大切な顔。


 少しの間でも繋がりを感じられるように、肩を引き寄せ、そっと同じ場所に歯を立てる。


「っ……千秋?」

「お揃い。ほんの少しの間だけど」


 微笑んだ穂高さんを見つめ、カバンを肩に掛ける。


「千秋……」

「漁協の皆さんに、よろしく伝えてください。すごくお世話になりました」

「ああ、わかった」


(――行かなきゃ。時間がない)


 視界の端で、穂高さんの手が動くのが見えた。触れられたら、きっと振りほどけない。自分から触れても、きっと同じだ。


 それをこらえるように拳を握りしめた、そのとき――。


「いってらっしゃい、千秋。ただいまって帰ってくるのを、ここで待ってる」


 背中を押され、玄関へと導かれる。手のひらの温かさがじんわりと伝わってきて、鼻の奥がつんとした。


 ――でも、泣かないと決めた。


 強くなって、穂高さんを支えると決めたから。ここでは泣かない。


 靴を履いて振り返り、精一杯笑うと、穂高さんも同じように微笑んでくれた。


 忘れない。この笑顔を――。


「……いってきます、穂高さん。修行、頑張ってくださいね!」


 返事を聞く前に扉を開け、外へ飛び出す。胸の奥で燻る残り火が、引き留めようとする言葉になりかけて、慌てて飲み込んだ。


 昨日より冷たいはずの風が、今日はやけに温かく感じる。


 後ろは振り返らない。涙を堪えて笑ってくれた、あの優しさに応えるために。背中を押してくれた、その強さに甘えすぎないために。


 前を向いて歩いていく。ここから始まる、俺たちのセカンドステージのために――。


 【了】

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