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残り火  作者: 相沢蒼依
第六章
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第八章 運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする5

***


 急なお泊り用にと、穂高さんが服を用意してくれたので(こういう、マメなトコも変わってないなぁ)早速それに着替えて、テーブルの前に正座して待つ。


 しばらくすると、魚の焼ける美味しそうな匂いが居間に漂ってきた。途端にお腹が鳴り出す始末――。


 手伝うことはないかと聞いてみても、お茶を飲んで待っていてくれと台所から追い出されてしまった。あまりにも手持ち無沙汰で、隣の部屋を覗いてみる。


 見慣れたベッドにサイドボード。けれど、あるはずのものが見当たらない。ベッドに腰掛けて探してみても、やっぱりなかった。


「おかしいな……」


 首を傾げて立ち上がろうとした瞬間、視界が影に覆われる。


「何がおかしいんだい?」


 気づけば、穂高さんが目の前に立っていた。


 返事をする間もなく、背中をそっと押され、ベッドに倒れる。久しぶりに感じるスプリングの反動に、身体だけでなく心までふわりと跳ねた。


 穂高さんは上から覗き込むようにして、軽く唇を重ねてくる。触れるだけの、短いキス。それなのに距離が近すぎて、自然と笑みがこぼれてしまう。


「あの、煙草……。灰皿もないなって」


 解放された唇でそう言うと、穂高さんは一瞬だけ目を伏せ、苦笑した。


「実は、煙草は止めたんだ」

「えっ!?」


 あんなに美味しそうに吸っていたのに。緊張したときも、考え込むときも、必ず指に挟んでいたはずなのに。


「煙草は君を思い出すからね」


 抱き寄せられ、耳元で囁かれる。


「口にするたびに、思い出して……寂しくなってしまう。苦しくなるくらい」


 首筋に触れる気配に、くすぐったさから身をよじった、その瞬間――。


 ぐるるるぅ~……。


「ぁあっ!」

「はは」


 穂高さんが、声を立てて笑った。


「空腹の千秋に、まずはきちんとご飯を食べさせないと。もう用意はできてる。さぁ、おいで」


 見事に雰囲気を壊したのは、俺のお腹だった。差し出された穂高さんの手を取って起き上がり、小さな食卓につく。


「あの……ごめんなさい」

「謝らなくていい。まずは、いただきますだろ」

「でも――」


 正座したまま様子を窺うと、くしゃりと頭を撫でられた。


「千秋の腹が鳴らなかったら、俺の腹が鳴ってたよ。料理しながら、少しつまみ食いしてたからね」


 そう言って味噌汁をすすり、魚の身を箸で摘んで差し出してくる。


「ほら。一番美味しいところだ。口を開けて」

「あ、はい」


 おずおずと口を開けて食べると、思わず声が漏れた。


「わっ……!」


 程よい塩加減と、噛んだ瞬間に広がる魚の脂の旨味。驚くほど美味しい。


「どうだい?」

「……美味しいです。びっくりしました」


 温かいうちにと自分の皿の魚にも箸を伸ばし、夢中で食べ進める。こんなに美味しい魚の味を知ってしまったら、地元に戻ったとき、もう普通の魚じゃ満足できないかもしれない。


「美味しそうだね、千秋」

「あ、じゃあ……」


 真似をして、魚の身を差し出してみる。


「俺はいい」


 拍子抜けしてそのまま自分の口に運ぶと、すぐに穂高さんが言った。


「そんな顔をするな。違うんだ」

「何が?」

「魚じゃなくて……美味しそうに食べる千秋が、だよ」


 さらりと言われて、喉が詰まる。


「食事が終わったら、ちゃんと向き合おう」

「……」

「時間がたっぷりあるわけじゃないからね」


 そう言いながら穂高さんはさっさと食事を終え、楽しそうにこちらを見る。


「さて。島を一周してみるかい? それとも、このままゆっくり過ごすか」


 久しぶりの、穂高さんの“選択肢”。迷わせるのがわかっていて、わざと振ってくるのがこの人だ。


「どうする、千秋?」


 頬杖をついて、ちらりと隣の部屋へ視線を流す。


「夏休みは、こっちで過ごそうと思ってます。島は、そのときに回ろうかなって」

「……なるほど」


 期待を隠さない視線に、胸が落ち着かなくなる。


 ご馳走様を言い、食器を運び終えてから、意を決して穂高さんの腕を掴んだ。


「……残った方で」


 掠れた声で告げると、穂高さんは一瞬だけ驚いた顔をしてから、柔らかく笑った。


「了解」


 横抱きにされるがその腕は乱暴さとは無縁で、確かめるように慎重だった。


「千秋」


 ベッドに下ろされ、耳元で静かに囁かれる。


「選んでくれて、ありがとう」


 その言葉を胸に刻みながら、俺は穂高さんに身を預けた。


 この人の危うさも優しさも――ちゃんと受け止める覚悟を、もう決めている。

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