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残り火  作者: 相沢蒼依
第六章
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第八章 運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする2

***


 本当はこの後、魚の選別などの仕事があった穂高さんなんだけど――。


『せっかく内地から、おとーとが来てるなら孝行しとけ!』


 という船長さんのありがたい命令のおかげで、今日の仕事は急きょオフになり、なぜかそのまま一緒に自宅へ向かうことになってしまった。


「……あの、穂高さん。突然ここに来ちゃってすみません。しかも誤解が誤解を生んで、弟になってしまって」


 別れを告げた相手が、本当に幸せに暮らしているのか。それを勝手に確かめに来ただけだなんて、どう説明していいのかわからない。しかも、困ったことはそれだけじゃなかった。


『千秋……現生……』


 そう呟いたきり、穂高さんはずっと何も話さない。


 感情を読み取れないまま歩く時間は、想像以上に居たたまれなかった。喜怒哀楽のどれも浮かべず、真顔を保った横顔を、下からそっと窺うしかできなかった。


(……呆れてる、よね)


 やっていることは、正直ストーカーと同じだ。別れた相手が突然島まで押しかけてきたら、誰だって引く。


「千秋……」

「や、本当にごめんなさい! 遠くから仕事してる姿を見て、それで帰ろうと思ってたんです。でもオバさんたちに声かけられて、すごい大騒ぎに――つっ!?」


 言い終わる前に、たくましい二の腕が攫うように腰に回された。


 次の瞬間、大きな体にぎゅうっと抱き込まれる。伝わってくる体温と一緒に、懐かしい香りがふわりと鼻をくすぐった。


 ――一瞬で、時間が戻ったみたいだった。付き合っていたあの頃と同じぬくもり。同じ腕。同じ鼓動。


(……いいのかな)


 この腕に、また抱き返しても。俺に、そんな権利があるんだろうか。


 揺れる想いと押さえきれない感情が、穂高さんの体温から一気に流れ込んできて――。


「穂高さん……」


 気づけば、俺も腕を回していた。


「千秋……千秋ぃ……」


 震える手で、その存在を確かめるように背中に触れる。確かに、ここにいる。


「穂高さん……」


 胸が締めつけられるように痛む。だけどその痛みは、どうしようもなく心地よかった。


「千秋、ずっと逢いたかった」


 低くて優しい声。それだけで、体の奥に熱が灯る。


 別れたあの日、あなたの涙で消えてしまったはずの炎は、本当の理由を知った瞬間からずっと心の奥で燻っていた。


 すべてを捨てて何も言わずに島へ渡り、ひとりで漁師の修行を始めた穂高さん。そんなあなたに、俺はもう必要ないんじゃないかって、何度も思った。


 それでも――気持ちだけは変わらなかった。


「穂高さん……俺も、ずっと逢いたかった」


 目の前には、赤い車が停まった一軒家。ここが穂高さんの家だとわかっているのに、どうしても腕は解けない。


「千秋、背、伸びたね」

「穂高さんも……体、大きくなった。力仕事してるから?」


 言葉にしなくても、全部伝わってくる。


「こんなに近いと……止まらなくなるかも」

「……何が?」

「――キス」


 そう囁いて、そっと唇が重なる。次の瞬間、荒れた唇が強く押しつけられ、割って入ってきた舌が迷いなく絡んできた。


「んっ……」


 潮風が、ふわりと二人を包む。熱くなりすぎた体を、わざと冷ましてくれるみたいに。


 ――とはいえ。


「あの……さすがに、ここはダメだと思います」


(実際、抱き合うのが、ギリギリだ……)


 そう思って顔を離したのに、追いかけるように唇が迫ってくる。


「穂高さん、ダメって言ってるのに!」

「言っただろ。止まらなくなるって」

「兄弟設定で、これは絶対おかしいですから!」


(――どうしよう。久しぶりすぎて、穂高さんのワガママを止める方法を忘れた……)


「兄にお帰りなさいのキスを、もう一回くらい……」

「もう一回してるでしょ!」

「全然足りない」


 真剣な顔で言うから、なおさら困る。


「あの……イチャイチャより話がしたいです。俺、今日の夕方のフェリーで帰るし」


 その瞬間、穂高さんの表情が一気に固まった。次いで腕を掴まれ、そのまま自宅へ引きずられる。


「ちょ、穂高さん!?」


 無言のまま発動する、彼ならではの強引さ。ついていくのが正直かなり大変だった。


「……穂高さん、初歩的なことに戻ってもいいですか」

「何?」

「俺たちって……別れたんじゃなかったっけ?」


 玄関の鍵を開けようとしていた手が止まる。そして――カシャン、と鍵が床に落ちた。


「…………」


 数秒の沈黙の後。


「……すっかり忘れてた」


 青ざめたその顔が、やけに印象に残ったのだった。

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