第一章 火種4
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あの後、井上さんに自宅近くまで送ってもらい車から降りた。
「じゃあね、千秋。また明日」
井上さんは瞳を細めて微笑みながら言う。そして勢いよく赤い車が去って行く様子を、ぼんやりと眺めた。峠での情事が夢の中の出来事のように感じてしまうくらい、あれがなかったことにされているみたいで、やけにあっさりとした別れだった。
「また明日ということは……店に来るってこと、だよな」
俺をモノにするとハッキリと宣言したんだから、間違いなく毎日店に通ってくるだろう。それってまんま、ストーカーじゃないか。すっごく気持ち悪い。
男に交際を迫られて困ってるんです! ……なぁんて警察に駆け込んだら、いい笑いネタにされそう。頭、大丈夫ですか? と違う心配もされてしまうかもしれない。
イヤな寒気がする自分の身体を抱きしめながら、やっとのことでアパートに辿り着き、家の中に入って真っ直ぐに洗面所に直行し、急いで口をゆすぐ。
あの人のDNAが口の中に残ってるみたいで、何度も口の中を洗い続けた。貪るという感じで俺にあんなキスして迫ってくるなんてホント、頭がおかしいとしか言いようがない。
そんなイヤな気分を払拭すべく、さっさとシャワーを浴びた。
寝る前に冷蔵庫にある麦茶を飲んでから、ふかふかの布団に身体を潜り込ませる。日頃の疲れと井上さんに翻弄された疲れ切ったメンタルのせいで、難なく眠りにつくことができ来たのに――。
『好きだよ。……千秋』
聞き覚えのある低くて艶っぽい声。反論してやろうと顔を上げたその瞬間、足元の感覚がふっと消えた。細長い井上さんの指が俺の顎を掬う。
「俺は、井上さんのモノにはならない!」
睨みながら語気を強めて言い放ち、触られている手を外して立ち去ろうとした途端に、身体が突然動かなくなる。
「何だ、こりゃ!?」
いきなり目の前に現れた柱に紐のようなもので固定され、グルグル巻きにされてしまった。あがいてみても、全然ビクともしない。
『可愛いね、千秋。そうやってガマンしている姿、堪らないよ』
「ガマンなんてしていません、外してください!」
『イヤがる素振りを見せながら、気を惹くなんて悪いコだ。ココをこんなにさせて……』
意味深に口元を歪ませながら車の中と同様に、自分の下半身をグイグイ押し付けてくる井上さん。残念な事に今回は裸なので、感覚がダイレクトに伝わってしまった。
「やめてっ、くださ……い、ぃ、やだっ……くっ!」
『逃がさない。俺のモノにする』
身体をビクつかせる俺を見下ろして低い声で言い放つと、貪るようにキスしてくる。出し入れされる舌と下半身と手を使って、どんどん俺の身体を追い詰めていく。理性を一文字残らず削ぎ落とす行為に、みずから腰を動かしてしまった。
「あぁっ……んあっ、もぅ……」
『コッチへおいで、千秋。もっと可愛がってあげるよ』
(コッチってどっちだよ。何なんだ、いったい……)
「……ひっ、い、イクっ……」
目をぎゅっとつぶった次の瞬間、身体が一気に解放された。その感覚にパッと目が覚める。
「夢……だったのか、焦った……」
額に滲んだ汗を拭い、傍にある時計を見るとまだ午前四時過ぎ。ゆっくり寝ていたかったのに……あの人の声が――井上さんの声が耳について離れない。俺の心に忍び込むような低い声色。妙な味のキス。
「夢とはいえ、あの人にイかされるなんて屈辱だ」
あえて言うなら、夢の中の出来事でよかったのかもしれない。現実で行われてしまったら、正直笑えないことだから。
諸事情で濡れてしまった下半身に顔を引きつらせながら、ゆっくりと立ち上がり、朝っぱらからシャワーを浴びることとなってしまった。




