第三章 偽りだらけの恋愛7
千秋の辛そうな表情をこれ以上見ていられなくなり、頬に添えていた手でそっと顔の角度を変えた。いつもとは違う距離で、くちびるが触れ合う。
深く重なった感覚に、思わず息が乱れる。理性が揺さぶられ、言葉よりも先に感情が溢れてしまった。
「……ん、……はぁ……」
縋るように腕を回してくる千秋の体温が、妙に現実味を帯びて伝わってくる。
「……っ」
背中に触れた瞬間、なぜか胸がざわつき、思わず腕を外した。
信じられないものを見るように見上げられて、彼が不安に思っている理由が、その時の俺にはわからなかった。だから――。
「千秋だけだよ……君だけが好きなんだ」
耳元で、何度も自分に言い聞かせるように告げる。全部は伝わらなくてもいい。少しでも千秋の不安が和らぐなら、それでよかった。
「……俺も……俺も穂高さんが好き。好きだから……」
涙をこぼしながら告げた千秋は、衝動的にくちびるを重ねてきた。
その想いだけで胸が満たされ、互いに確かめ合うように身を寄せてしまう。言葉も息も絡まり、ただ必死に相手を求めた。
「愛してる、千秋……」
感情のままに抱き合い、境界が曖昧になるほど強く繋がろうとしてしまう。
「……あ……」
しばらくして、千秋の身体からふっと力が抜けた。
「千秋……?」
慌てて抱き起こすと、ぐったりとしたまま焦点の合わない目でこちらを見る。
「……うん?」
「急に具合が悪くなったみたいで……心配したんだ」
しばらくして落ち着いたものの、千秋は何も言わず、背を向けてベッドに横になってしまった。
その背中が遠く感じられて、思わず後ろから抱き寄せ、顔を覗き込む。
「千秋……何を考えてる? 怖い顔してる」
「……らしくない顔をさせてるの、誰だと思ってるんですか」
言葉に詰まり、何も返せなかった。
奥歯を噛みしめた千秋は、俺の腕を外して布団に潜り込み、再び背を向ける。
「ごめん……。早く落ち着いて、ちゃんと君のところに戻るから」
こんなにも近くにいるのに、心は遠い。
何とか繋ぎ止めたくて、肩にそっと手を置き、距離を詰めてみる。びくりと身体が震えた。
「……ね、千秋」
返事はない。それでも名前を呼び続けると、渋々と顔だけこちらに向けてくれた。
「俺は君が好きだ。……君だけを大切にしたい」
視線を逸らされ、答えは返ってこない。
――それでもいい、と思えなかった。
視線を落とした先に、自分がつけた痕が目に入る。重ねるたびに残してきたそれは、ずいぶん薄くなっていた。
まるで俺の想いが薄まったように見えて、胸がきりりと痛む。
衝動的に肩口へ顔を寄せ、強く痕を残してしまった。
「ううっ……痛っ!」
はっとして顔を上げると、赤くなったその痕に後悔が押し寄せた。
「……ごめん」
それでも、言葉が止まらなかった。
「……千秋も、俺に痕をつけてくれないか」
「え?」
「今は……君に選ばれていたい」
しばらく黙り込んでいた千秋は、震える声で問い返す。
「……本当に、いいの?」
小さく頷くと彼はそっと近づき、首元に顔を埋めた。短い痛みと確かめるような温度。
「……これで……穂高さんは、俺のだ」
「ん……嬉しいよ」
互いに抱き合い、静かに呼吸を合わせる。
それだけで十分だったはずなのに、それでも俺たちは確かめ合うことをやめられなかった。
重なった体温と離れがたい想いが、また距離を縮めてしまう。
「……離れてる間も……忘れないでほしい」
その願いに、応えてあげたいと思った。
「……わかった」
今度は無理をさせないよう、互いを気遣いながら静かに身を寄せ合う。
心も身体も、少しずつ溶け合っていくような時間だった。
この幸せが、ずっと続くと思っていた。想いを告げて愛し合えば、どんなことでも乗り越えられると疑いもしなかった。
けれど運命は非情で、俺たちの間に想像もしなかった現実を突きつけることになる。それは取り返しのつかないほどの悲しみを静かに、そして確実に運んでくる出来事だった。




