第一章 火種23
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「……うん?」
身体の違和感に、ふと目が覚めた。なぜか右腕がじんと痺れている。
昨夜は穂高さんに抱きついて眠ったはずなのに、目を開けるとなぜか俺の腕の中に彼がいて、満ち足りた表情で穏やかな寝息を立てていた。
(……どうして、こうなったんだろう?)
起こさないように、そっと腕を抜く。時計を見ると、午前五時半を少し過ぎたところだった。今から歩いて帰っても、大学の準備には十分すぎる時間がある。昨夜、穂高さんは「送る」と言ってくれたけれど、これ以上迷惑をかけたくなかった。
静かに起き上がり、床に散らばった服を手探りで集める。ベッドの端に腰掛け、音を立てないよう身支度を始めた、その時だった。
腰に、ぎゅっと回される見慣れた両腕。
「あ……」
小さく声を漏らすと、抱きつく力が少し強まる。腰に頬を擦りつけられ、見上げられた目は眠気を帯びながらも鋭かった。
「何してるんだ、千秋」
静かな声なのに、逃がさない響きが耳に落ちた。
「まるで、こっそり帰ろうとしてるように見えるんだけど」
言葉に詰まる俺と、わずかに眉を寄せた穂高さん。
「……目が覚めたので、自分で帰ろうかと思いました。穂高さんに迷惑かけたくないし」
「迷惑?」
小さく鼻で笑われる。
「送るって言っただろ。遠慮する必要ない。恋人同士なんだから」
そのまま、いとも簡単に布団の中へ引き戻された。抵抗するほどの力ではないのに、逆らう気が削がれていく。
「……そんなに急ぐ理由、あるのかい?」
「いえ、そういうわけでは……」
一瞬、考えるような間があってから、くすっと笑う。
「じゃあ、少しだけ大人しくしてて。それとも俺を置いて帰る?」
冗談めいた口調なのに、選択肢は一つしかない気がした。
(――しかもここで帰ったら、きっと穂高さんの機嫌を損ねる)
それに昨夜のことを思い出すと、無理に離れようとするのが怖くもある。
「……わかりました。帰りません」
そう答えると、穂高さんはほっとしたように息を吐き、俺を抱き寄せた。
「素直で助かるよ」
抱き枕のように身体を預けられ、胸元に額を押しつけられる。
「一緒に暮らせば、こんなこと気にしなくて済むのにな」
眠たげに呟いて、そのまま穂高さんは再び眠りに落ちた。規則正しい寝息を聞きながら、俺は天井を見つめる。
(――今の……冗談、だよね)
胸の奥に、言葉にできない小さな引っかかりを残したまま、俺は身動きの取れない状態で朝を待つことになった。
この一言が後々問題になるなんて、このときの俺はまだ気づいていなかった。




