第一章 火種21
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穂高さんとの付き合いは、概ね順調だった。順調というより、俺が一方的に振り回されているだけという表現の方が正しいかもしれない。
似合うはずのない背伸びをしても無駄だとわかっていながら、それでも身なりに気を遣い、笑顔を忘れないようにしてしまう。彼に飽きられないように。嫌われないように――。
昔、年上の女性と付き合って、二股の末にあっさり捨てられた経験がある。だからこそ今度は同じ轍を踏まないようにと、無意識に神経を尖らせていた。
――けれど、どうにもならないこともある。穂高さんは、とにかく嫉妬深い。
「すみません、アキさん。これ、どうしたらいいですか?」
バイト先に入った後輩、畑中竜馬くん。同じ大学の同期で、要領は悪いけれど素直な性格だ。
「ああ、それはね――」
後輩に頼られると、つい真面目に応じてしまう。
事務所から売り場へ出たら、店内は静まり返っていた。外は強風で、客足もまばら。時計を見れば、もうすぐ上がりの時間になっていた。
(――そろそろ来るな)
そう思った瞬間、扉のチャイムが鳴った。
「いらっしゃいませっ!」
入ってきた穂高さんと目が合い、胸が跳ねる。
「今日は風が強い。車で送るよ」
「ありがとうございます」
いつもの煙草を渡し、釣り銭を手渡す。彼の指先が冷たくて、思わず包むように触れてしまった。
「千秋、あったかいな」
穂高さんは微笑んだが、その直後――
「アキさん、後ろにゴミ付いてますよ」
竜馬くんが何気なく髪に触れた瞬間、空気が変わったのがわかった。穂高さんの視線が鋭くなる。
俺は慌てて事務所へ戻り、急いで着替えを済ませた。外に出る前から、胸の奥がざわついて仕方がない。コンビニから飛び出し、穂高さんの車の助手席に座ると乾いた声が落ちてきた。
「千秋……また不用意に触られてたね」
「竜馬くんは、そんなつもりじゃ」
「わかってる。だから余計に腹が立つ」
穂高さんの手が、さっき触れられた後頭部をなぞる。それは払うようで、確かめるような仕草だった。
「千秋は無防備すぎる」
見るからに苛立った様子を醸しながら煙草に火を点け、短く吐き出す。
「……嫌いだ」
「え?」
思わず声が裏返る。
「俺の言うこと、ちゃんと聞かないところが」
窓の外に視線を向けたまま、低く続ける。
「ほ、穂高さん……嫌いになんてなってほしくないです」
「……なら、誠意を見せて」
不意に距離が詰まり、囁くような声が耳元に落ちた。
「それが伝わったら、千秋を許してあげる」
拒む言葉を探す前に、衝動的に腕を伸ばしてしまう。自分から触れて、確かめるように唇を重ねた。煙草の苦みと穂高さんの体温。
前は嫌だったはずなのに、今はそれが安心に変わっている。
「全然……足りない」
くちびるを離した途端に囁かれ、視線が至近距離でかち合う。
「千秋が悪いんだ。俺をこんな気持ちにさせるから」
耳元で低く笑われ、背筋が粟立った。
「今日はこのまま、家に帰らせないから」
断る理由を探す前に、エンジン音がそれを遮る。不満と不安を抱えながらも、ハンドルを握る横顔から目を逸らせない。
――こうして俺はまた、彼の手のひらの中に戻っていく。




