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残り火  作者: 相沢蒼依
第一章
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第一章 火種2

***


「今日も一日、お疲れ様。いつも偉いね」


 わざとらしく疲れた表情を作り、重い足取りで店から出てきた俺を、赤い車の前で爽やかに出迎えてくれた例のリーマン。


「あの俺すっごく疲れているので、ここで失礼させてもらいます!」


 さっさとやり過ごすべく、しっかりとお辞儀をしてその場を立ち去ろうとしたら、いきなり腕をぎゅっと掴まれてしまった。


「あのぅ……」


 いつもはレジに阻まれている身体が、すぐ傍にあった。身長170センチの俺に対し、180センチは超えているであろう体格。その差が、無言の圧力となって覆いかぶさる。


「約束、したでしょ」


 断っていない=承諾という理屈を、迷いなく口にする。その当然さが、いちばん怖かった。


「してないですって! ちょっ、うわっ!」


 リーマンは掴んでいる俺の腕を引っ張って、無理やり助手席に押し込む。頭の中はパニック――これ、どう考えても拉致だ。


 いきなりの出来事に焦る俺を、リーマンは窓の外からしばし眺め、ニッと笑みを浮かべる。鍵がしっかりかかっていたけど何とかして開けようと必死になっているところに、運転席に乗り込んできた。


 赤い車がコンパクトカーなので、隣に乗られるだけで触れ合いそうな距離感に、眉根を寄せるしかない。


「降ろしてください。約束なんてしてないですよ!」

「紺野くん、君は断ってなかったよ。なのでさっきのことはOKしてくれたものだと、俺は判断したんだけどね」


(――言葉が、まるで届いていない)


 拒否する態度を示すべく、無言で下からじっと睨み倒してやる。


「……この時間まで待っていた俺に、随分と冷たく当たってくれるんだね。しかもこれからひとりで寂しく、昇進祝いをしろって言うのかい?」


 柔らかい口調で話しながら印象的に見える瞳にじわりと寂しさを滲ませて、俺の視線を真正面から受けた。


「そ、それは……」


『アンタの勝手だろ!』と怒鳴ってやりたかったけど、それを言わせてくれない雰囲気を、ひしひしと漂わせるなんて本当に卑怯だ。

 

 悔しさのあまり、両拳をぎゅっと握りしめる。


「俺は井上穂高。すぐ傍にある峠の夜景を一緒に見たら、約束どおりちゃんと帰してあげる」


(終われば解放される――これ以上、ここで押し問答しても時間の無駄だし、この人に文句を言っても無理そうだ)


「わりました、井上さん。ご一緒しますけど、さっきも言ったように俺、結構疲れているので、早くお願いしますね」


 渋々快諾してシートベルトを装着したら、目を見開いてからふわりと微笑み、表情を一気に明るくした。


 井上さんもシートベルトをつけてハンドルを握りしめると、何かを思いついたのか一瞬だけ動きを止めて、わざわざ俺の顔を覗き込んでくる。


 この人の動き、いちいち妙に目を惹く。なぜだかわからないけど、目で追ってしまう自分がいた。


「紺野くんの名前、何?」

「……紺野千秋です」

「千秋、くんか。いい響きだね」


 名前を呼ばれただけなのに、胸の奥がひくりと鳴った。


 井上さんは嬉しそうな顔で再びハンドルを握りしめると、勢いよくアクセルを踏み込んだ。周りの景色が、あっという間に流れていく。


 ぼんやりと車窓の外に目を奪われていたら、運転席側の窓を少し開けて背広から煙草を取り出した。


「煙草吸っても、大丈夫?」

「どうぞ……」


(――俺に聞く前に、吸う気が満々じゃないか。既に、煙草をしっかりと咥えているし!)


 井上さんはポケットからシルバーのジッポを取り出し、キンといい音をさせて蓋を開け、ゆっくりと煙草に火をつけた。動きのひとつひとつが、洗練された大人の男って感じに見える――だからこそ、近づいてはいけない気がした。


 紫煙を吐き出して前を見据える姿を、無意識にじっと見つめてしまった。


「千秋くんは煙草、吸わないのかい?」


 目の前にある信号が赤になった途端、にこやかな笑みを浮かべて話しかけられ、ハッと我に返った。井上さんの視線を慌てて外したけど、見惚れていたのがバレてしまっただろうか。


「貧乏学生なので、そんな余裕はないっていうか」

「俺もそうだった。煙草を吸い始めたのは、社会人になってから」

「そう、ですか……」


 もう一度視線を隣に移したら、まだ長い煙草を灰皿に押しつける姿が目に留まる。


「煙、キツかっただろ。大丈夫かい?」

「あ……大丈夫です。すみません、気を遣わせてしまって」


 そんな気遣いに目をぱちくりさせたら、井上さんは首を少し傾げて前を見据える。


「俺って千秋くんから見て、変な人に見えるかい?」


 唐突な質問に、正直言葉が出ない。変というか何というか。自分の手には、かなり余りまくる人っていうのが、質問の答えだけど、それをハッキリと言っちゃ失礼だろう。


「変だとは思いませんが、俺の周りにはいないタイプの大人だと思いまして……」


 結構強引で見た目がカッコイイ上に、気の利いた優しいところもある。女のコなら喜んで、飛びつかれる男というべきか。


「だから、さっきから見ていたのか。納得」

「え――!?」

「変だから、物珍しく見られていたのかと思ったんだ。……興味をもたれるのは、イヤなことじゃないけどね」


 言いながらまた煙草を取り出して、すっと口に咥える。


「火は点けない、ポーズだけにしておく。口寂しさを紛らわすだけ」


 艶っぽく笑ったと思ったら、ウインカーを出して右折した。その勢いに、身体がぐらりと動いてしまう。


「わっ!?」

「おっと……済まないね」


 済まないと言ったクセにどこか楽しげな表情を浮かべて、左腕で俺の身体を元に戻す様子に、イラッとした次の瞬間、鼻を掠める上品な香りに意味なくどぎまぎしてしまった。


「千秋くん、表情がくるくる変わっておもしろい」

「それって俺が、ガキだって言いたいんでしょうか?」


 どことなく、からかいを含んだ言葉にムッとする。


「そうじゃないよ。お店では見られない顔だなと思っただけ。何だか、新鮮に俺の目に映ったんだ」


 苛立つ俺を横目で見つつどこか笑いを堪える姿は、小バカにされているようにしか思えなかった。


「……そんなふうにしてる、不機嫌な顔もいい。泣かせてみたいね」

「泣きません、絶対に!」


 ふたりでまったくかみ合わない会話をいていると、見晴らしのいい景色が眺めることのできる、峠の中腹に到着した。井上さんは脇にある駐車場に車を停める。


「頂上よりもここの方が、景色を一望できるんだ。どうぞ」


 さっさと運転席から降りて、助手席のドアを開けてくれた。中にいる自分では開けられないから、こうして外に出してもらうのは当然なんだけど。


 そんなことを考え、ちょっとだけふて腐れながら、目の前に広がる景色に、渋々視線を飛ばしてみた。


 山から見下ろす夜景は街灯がキラキラ瞬いていて、思わず目を奪われる。こんな状況で見る景色じゃないはずなのに、それでも綺麗だと思ってしまう自分が少し怖かった。


 夜景に食らいつく俺の横にそっと並んで、口に咥えていた煙草に火を点け、美味しそうに吸い込んだ井上さん。


「……吸ってみる?」

「へっ!?」


 唐突な質問を流し目で見ながら言い放ち、焦る俺をじぃっと見下ろしてきた。


「ん……。ほら」


 細長い指に挟まれた煙草を、半ば強引に手渡される。恐るおそるといった感じでそれを手にして、井上さんと煙草を交互に見ながらオドオドした。


「軽く、すーって吸い込んでごらん」


 慌てふためく俺に、印象的な闇色の瞳を細めて教えてくる。


「は、はぃ」


 言われたとおり、ストローでジュースを吸うような感覚で吸ってみた。軽く吸い込んでみたら、むせることなく口から吐き出される煙が、目の前にふわりと広がっていった。


(――何だか、いけないことをしている気分だ)


 はにかみながら井上さんを見上げると俺が持っていた煙草を摘み取り、自分の口に咥える。


「美味いモンでもないだろ」


 その口ぶりとは裏腹に、実に美味しそうに吸っていた。


「はあ、そうですね」

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