第一章 火種19
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穂高さんは自宅に到着するなり、恭しく頭を下げてきた。
「いらっしゃいませ。当店をご利用いただき、誠にありがとうございます」
あまりに突然の豹変に固まった。どう反応すればいいのか、全然わからない。
「どうぞ、こちらの方へ」
玄関を開け、背中を軽く押されてリビングへと誘導される。
「失礼いたします。お召し物をお預かりします」
背後から伸びてきた手が、ブルゾンのファスナーにかかりそうになった。
「い、いえ、自分で脱ぎますので……」
慌ててブルゾンを脱いでみずから差し出すと、穂高さんはそれを丁寧に受け取り、ハンガーにかける。その仕草一つひとつが、やけに様になっていた。
ただ上着を脱いだだけなのに。それだけなのに、彼から漂う空気が妙に艶を帯びていて、勝手に頬が熱を持つ。
「お待たせいたしました。リラクゼーションルームは、あちらになります」
示された先は、どう見ても寝室だった。穂高さんの顔と寝室を見比べ、思考が追いつかない。
「あ、あの……」
戸惑う間もなく腕を取られ、逃げ場を塞ぐように寝室へと連れて行かれ、ベッドに腰を下ろさせられる。
「緊張なさらずに。うつ伏せになってください」
「……変なことはしないでくださいね。痛いのも、絶対ダメです」
「かしこまりました。お客様に誠心誠意尽くすことを、当店のモットーとしておりますので」
にこやかに頭を下げられ、その笑顔にこれ以上の反論は飲み込むしかなかった。渋々、ベッドにうつ伏せになる。
「ふっ……」
小さな笑い声が耳に聞こえたので、気になって顔だけ振り返ると、口元を押さえた穂高さんが楽しそうにこちらを見ていた。
「変なこと……」
「失礼。では、始めさせていただきます」
そう言って、穂高さんは俺の腰に跨った。
「ほ、穂高さん……っ」
両肩を掴まれ、丁寧に揉みほぐされる。力加減は絶妙で、思わず息が抜ける。ただ、そのたびに伝わってくる体温が、否応なく意識を刺激してきて――。
しかもベッドが小さく軋む音が、やけに生々しく耳に残る。
「あの……もう、大丈夫ですので……」
そう口にしながらも身体は正直で、逃げるように身じろぎしてしまう。
「まだ始めたばかりだよ。遠慮しなくていい」
「でも……その……落ち着かなくて……」
「困らせるつもりはなかったんだ。ただ……」
言葉を切り、穂高さんの手が肩から背中へと移動する。
「君に触れていると、どうしても意識してしまう」
背筋をなぞる指先はいやらしさよりも確かさがあって、きちんとした指圧だった。
「……ありがとうございます」
肩へ戻り、また丁寧に押される。じんわりと力が抜けていき、身体が軽くなる。昨日までの疲れも重なり、意識が少しずつ緩んでいった。まどろみかけた頃、手が腰へと移る。
「千秋の腰……細いな」
低く呟かれた声に、はっとする。次の瞬間、Tシャツの裾から素肌に触れられ――。
「ひっ……!」
直接触れられたことで、身体がびくりと跳ねた。
「ちょ、待って、それは……!」
「……すまない」
言葉とは裏腹に指先は離れず、ゆっくりと撫でるように動く。思わず起き上がり、穂高さんを睨みつける。
「全然、普通のマッサージじゃないです!」
「君がそんな顔で見るからだ」
俺の抗議に逃げ道を塞ぐ声が被さった。
「その顔を見せられると……抑えが利かなくなる」
強引に肩を掴まれて、再びベッドに押し倒される。抵抗しようとしても動きを封じられて、穂高さんの視線が絡む。
「ん……っ」
唇を塞がれ、息を奪われる。一瞬の隙もなく、触れられるたびに思考が追いつかなくなっていく。捲り上げられたTシャツの下、穂高さんの両手が確かめるように肌をなぞる。身体が揺れるたび、ベッドが低く軋んだ。
触れ合っているだけなのに、内側から熱が溢れてくる。
「……や、だめ……」
声が震えて、言葉にならない。
「可愛いよ、千秋」
首元に触れる吐息が、さらに熱を煽る。
「無理に引き出すつもりはない。ただ……君が感じていることを否定したくないだけだ」
「……もう……」
涙が滲むのを感じながらも、身体は正直で。
「千秋のことを考えて何もしないようにしたいのに、どうにも離れられない」
その一言が胸の奥に落ちた。耳元に触れられ、感覚が一気に流れ込む。
「……っ」
自分でも驚くほど甘い声が漏れる。
「嫌だって言いながら……ちゃんと、求めてる」
気づけば、身に着けていたものが外されていて、今さらのように恥ずかしさが込み上げる。心は追いついていないのに、身体だけが熱を欲しがってしまう。
穂高さんは大きく動くことなく、ただ寄り添って触れ続ける。それだけで、限界はあっという間に訪れた。
「あ……ん、んっ」
重なった体温に逃げ場を失い、身体が震える。
その後も急がされることなく、確かめるように触れられ続け――最後に抱き寄せられ、熱を分かち合う感覚に包まれたとき。
穂高さんが言っていた「サービス」という言葉が、冗談ではなかったのだと遅れて理解した。




