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残り火  作者: 相沢蒼依
第一章
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第一章 火種16

***


「おはよ、千秋」


 重いまぶたを開けた瞬間、視界を塞ぐように穂高さんの顔があった。


「おはよぅ、ございます……」


 掠れた声が喉から落ちていく。それだけで昨夜の感触が一気に蘇り、胸の奥がざわついた。


 逃げ場のない距離と覆いかぶさる体重。規則的な強弱に合わせて、ベッドに押し付けられているという事実だけが、はっきりと意識に残る。


「千秋……少し、力抜いて」


 囁きは穏やかなのに、逃がす気はない声だった。


「……っ」


 力の抜き方なんて全然わからない。感じてしまえば、身体は勝手に応えてしまう。


「そんなに緊張しなくていい。俺にゆだねて」


 その言葉が、どこか命令のように響く。


 ライトに照らされた影が、天井に揺れている。重なっては離れ、また重なる――時計の針みたいだ、とぼんやり思った。


(――このままずっと、重なったままでいられたら)


 そんな考えが浮かんだ自分に、胸がきゅっと縮む。


 顔を上げると、穂高さんがじっとこちらを見ていた。


「俺だけを見て。千秋」


 視線を逸らす余地もなく唇を塞がれる。深く逃がさないキス。何度か身体を震わせたあと、穂高さんは重みを預けるように倒れ込んできた。


「千秋……ありがとう」


 その言い方がなぜか胸に残った。抱えられた腕の中で、何とか息を整える。


「少し休んだら、一緒に風呂に入ろう」

「……はい」


 返事をした記憶はある。一緒に湯に浸かったことも。でもその先は曖昧で輪郭がない。


「湯の中の千秋、綺麗だった」


 思い出話みたいな口調で言われ、返す言葉に困る。


「……すみません。いろいろご迷惑をおかけしてしまって……」

「迷惑?」


 くすっと小さく笑われ、腕を引き寄せられる。


「軽かったよ。羽みたいだった」


 本当に、そんなに軽かっただろうか。


 ぎゅっと抱き寄せられ、逃げ場がなくなる。


「朝、目を開けたら千秋がいる。それだけで、欲が出る」


 冗談めかした口調なのに、目は笑っていなかった。


「おはよ、千秋」


 重いまぶたを開けると、目の前に穂高さんの顔があった。


「朝、起きたら目の前に千秋がいる幸せに、ずっと浸っていたかったのに」

「はい……?」

「食欲と性欲、両方をいっぺんに満たしたいって思う俺は、ワガママなんだろうね」


 その言葉に思わず吹き出してしまう。


「おかしそうに、笑ってほしくないんだが。俺としては真剣に悩んでいるんだよ。……煙草吸っても、いい?」


 子どもじみた穂高さんが何だか可愛くて微笑んでいたら、目元の下を少しだけ赤らめて訊ねてきた。


「どうぞ、遠慮せず」

「ん……。ありがと」


 傍に置いてあったのか、いつもの煙草を引き寄せつつ灰皿も一緒にセットして、安っぽいライターで火を点ける。ゆらりと吐き出される紫煙を、起き上がって目で追っていると、手に持っているライターを押し付けるように手渡された。


「これ、覚えてる?」


 どこか嬉しそうな表情の穂高さんと、ライターを交互に見比べる。それは一カートン買ったお客様にオマケとして渡していた、煙草の銘柄入りのライターだった。


「ごめんなさい、覚えてないです」


 変に誤魔化したくなかったので正直に答えると、そっかと一言呟いて煙草を咥えた。


「……俺が千秋に、恋をした瞬間だったんだ」


 覚えていないと答えたのに、どこか照れたような笑みを浮かべて、視線じっとを俺に向ける。


「似たような銘柄がたくさんあるだろ、だから店ではいつも現品を見せて、これくださいって言っていた」

「はい」


 店員が間違えないように、そういうことをしてくれるお客様は、実は結構いたりした。Wチェックできるので助かったりする。


「その日も煙草を見せながら、一カートンくださいって言ったら、千秋が嬉しそうな顔して煙草と一緒にライターを二個、カウンターに置いたんだ。本当はそのままライターを付けているんですが、他のお客様もいないのでどっちがいいか選んでくださいって言って、緑と白のライターを手渡してくれてね」


(――確かにそういうことをしていた。お客様がいない時だけ限定だけど)


「何だか、特別扱いされた気がしたんだ。勝手な話なんだろうけど。そんな些細なことでも、すごく嬉しかったんだよ、俺としては。当時仕事が大変でね、そんな小さな気遣いに癒された。君が好きになったんだよ、千秋」


 煙草を灰皿に押し付けて、誘うような流し目をして見つめる。それだけでドキッとしてしまい、手元に視線を移すと、顎をすっと持ち上げられてしまった。


「どうしてそんな、恥らう顔をするんだい? もしかして誘ってる?」

「やっ、そんなつもりはぜんっぜん……」


 そんな目で見ないでほしい。誘ってるのは穂高さんだっていうのに。


 掬い上げられた顔は、しっかり穂高さんに向けられていたけど、どうにも堪らなくて、視線をあちこちに彷徨わせるしかない。


「君がいるだけで、刺激的な朝になるね。まったく――」


 低い声で呟いたと思ったら、重ねられるくちびる。じわぁっと煙草の味が、口の中に広がる。だけど、それも束の間だった。


『ぐるる~~~』


 その音にパッチリ目を開けると、くちびるを離した穂高さんが恨めしげな表情を浮かべ一言。


「……煙で腹が満たせたらいいのに」


 笑いながら告げられた冗談のはずなのに、なぜか俺は笑えなかった。この人は、欲しいものを我慢しない。その事実だけが、胸に静かに残った。

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