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残り火  作者: 相沢蒼依
第一章
14/51

第一章 火種14

*** 


 ――断ろう、今度こそしっかりと。


 その意気込みを胸に、店から外に出る。


 赤い車の前で煙草を吸っていた穂高さんは、俺に気づくと慌てて火を消した。まるで、最初から“待っていた”みたいに。


「お疲れ様、行こうか」

「あの、もう遅いですし、か――」

「今夜も冷えるな、ほら」


 たたみかけるように話しかけてきたと思ったら、勝手に右手を握りしめてくる。いつもよりも冷たい手の温度に、言葉が出なくなってしまった。そしてそのまま穂高さんのコートのポケットの中に、手を入れられてしまう。


「千秋の手があったかいから、ホッカイロ代わりになるね」


 嬉しそうに微笑まれてますます言葉が詰まってしまい、そのまま引きずられるように歩くしかなかった。


 吐き出される白い息を見ていたけど、意識は自分の握られている右手にある状態。冷たい穂高さんの手を温めている今の姿は、まるで恋人同士みたいに見えるだろうな。


 そんなことを思いつつ、これからのことも考えてみた。


 店で逢った時から断る話にもっていこうとしたら、いい感じに俺の言葉を見事にさらう穂高さん。どうやったら、それをうまく突破できるだろうか。


 視線を前方から隣に移したら、こっちを窺う眼差しとぶつかってしまった――何処か、憂いを帯びた眼差し。


 そんな瞳をさせてる原因は、きっと俺なんだろうな。人の心が掴めると豪語した、彼だからこそなんだろうけど。


「明日は大学もバイトも休みなので、ちゃんと風邪を――」

「奇遇だね。俺も明日は仕事が休みなんだよ」


 間髪入れずに、低い声が落ちてくる。


「千秋、ウチに……泊まりに来ないか?」


 さっきよりも低い声色で告げられた言葉に、息を飲む。その瞬間、ポケットの中に入ってる手をぎゅっと強く握りしめられた。穂高さんの指先が、手の甲に食い込むくらいに。


「えっ……?」


 握られた手から伝わってくる体温が、やけに熱く感じる。ポケットの中がサウナみたいだ。


「君に選ばせてあげる。一緒に来るか、このまま帰るのか」


(いきなり、そんなことを言われても……答えは決まってるのに、どうして選ばせるなんて言うんだろう)


 立ちつくした俺に、そっと顔を寄せてきた。キスされると思って肩を竦めながら俯くと、額にちゅっと音のするキスをされてしまう。外で体温が下がっていたせいか、穂高さんのくちびるが熱くて――その熱が額から全身に伝わってしまい、ぶわっと体温を上げた。


「帰りますっ!」そう言いたかったのに一気に熱が上がったせいで、喉が引っ付いたみたいに渇いてしまった。


「ぁ、……あ」


 言葉がうまく出ない。断らなきゃいけないのに――。


 目の端に映る俺たちの影がひとつに重なっていて、変な妄想に拍車をかける。きっとついて行ったら、この影のようにひとつになってしまうだろう。


 自分たちの様子にごくりと息を飲んだら、月明かりがふっと闇を差した。空を見上げたら月に雲がかかり、その姿を多い被せようとしている。それよりも影を濃くした穂高さんの顔が、すぐ目の前にあった。妖艶な笑みを浮かべて、誘うように見つめられる。


 ポケットの中に入れていた手を緩く解き、俺の人差し指に人差し指を絡めて、なぞるように親指で弄んだ。上下に行き来させるそれに、勝手に息が上がってしまう。


「はっ……あ、ぁ」

「どうする千秋、行くか行かないか……」


 なぞっていた親指が俺の人差し指の先端に爪を立て、痛いくらいにぎゅっと食い込んでいく。


「いっ!?」

「ああ、済まないね。つい力が入ってしまった」


 ポケットから大事そうに俺の手を取り出して、いきなり人差し指を口に含んだ。


「っ……」


 柔らかい穂高さんの舌が包み込むように俺の人差し指を、ゆっくりと舐める。それだけなのにゾクゾクしたモノが身体を走りぬけ、腰から下がやけにジンジンしてしまった。


「よかった、血は出ていないみたいだね。どうした? そんな顔して」

「やっ、何でもない、です……」

「それで君の答えは? 聞かせてくれないか」


 迫ってくる穂高さんから右手を奪取して、慌てて後ろに一歩下がる。でもまた距離を詰めてきて、背後にある塀に追い詰められてしまった。


 逃げ道を塞ぐように、両脇に腕がつき立てられる。目の前にいる穂高さんの顔が、ぐっと近づいてきた。


「行くか行かないか……千秋の答えを聞かせてくれ。時間はたっぷりとある、迷っているのなら――」


 闇色をした瞳を細めて俺を見下ろし、くちびるが触れそうな位置でそっと告げられる。


「迷いが断ち切れるコト、この場でしちゃうかもしれないけどね」

「そ、んなの……」


 ズルいって言うとしたくちびるを、唐突に奪われた。煙草の味がするキスに、頭がぐらぐらしそうだ。


 何とかしなきゃいけないと考えてもがいてみたら、後頭部をぎゅっと掴まれて、もっと深いキスにしようと、角度を変えて責めてくる。


「んっ……くぅ、っ……」


 穂高さんの身体を押し返すべく、両手を使って抵抗しても腰をしっかり抱きこまれてしまい、ビクともしなかった。


(こんなやり方、絶対に卑怯だ。酷すぎる――)


「んぅっ、はっ……あぁ、はあ……」


 感じるところばかり狙って弄んで、俺を散々翻弄するなんて。


「千秋、好きだよ。その顔、堪らないね」


 甘い囁きが耳元で聞こえたと思ったら、首筋にくちびるをはわせ、ゆっくりと舌でなぞっていった。時おり、ちゅっと吸い上げて肌に印を付けられる感触。そのたびに息が上がってしまう。


「やっ……やめ、てください。……こんなところで、や――」

「じゃあ、ウチに来る?」


 息も絶え絶えの状態で口にしたら、余裕のある声で訊ねてきた。


「わ、わかりました……行きます……」


 身体の熱をどうにかしたい一身で告げると、


「……よかった」


 俺としては全然よくないのにすごく嬉しそうに呟いて、いきなり膝裏に腕を差し込む。グラリと後ろに傾いた上半身を空いた片腕が包み込み、軽々と持ち上げられてしまった。


「うわあっ!?」

「じれったいから、このまま車まで運ぶ。暴れないでくれ」


 嬉しさを滲ませた視線が俺を捉える。どこか煙草を吸ってるときのような顔から、視線が外せない。


 恥ずかしさとかいろんな感情が複雑に入り組んで、どうしていいかわからなくて無言で穂高さんの身体にしがみついた。抱きしめられている腕が、妙に居心地がいい。


 陰っていた月が顔を出し、俺たちの姿を月明かりに照ら出す。穂高さんの笑顔が妙に眩しく映ってしまい、顔を背けてその場をやり過ごす。


 頬がムダに熱い。きっと真っ赤になっているかも……。しかも月明かりがそれを照らしていると思ったら、余計恥ずかしさが助長された。


 その後、微妙な表情の俺を助手席のシートに乗せて、一路穂高さんの家に向かう。車内では会話が一切なく、困った顔して俯く俺。ちょっとだけそわそわした感じの穂高さんが、ハンドルを握っていた。


「……煙草、吸ってもいいかい?」


 走り出して二本目の信号で赤に引っかかったとき、恐るおそるといった口調で訊ねてくる。その声に顔を上げて穂高さんを見ると、弱ったと顔に書いてあった。


「どうぞ、遠慮せず」


 静かに告げてやると「ん……」と返事をし、煙草を咥えて火を点けた。車内に煙が充満しないように、きちんと窓を開けてくれるのも忘れない。


「済まないね。自宅までガマンしようと思ったんだが、気持ちが高ぶりすぎて、どうしていいかわからなくて」


 美味しそうに煙草を吸い、ふーっと煙を吐き出しながら、照れた様子を噛みしめるように口にする。


 どうしていいかわからないのは、俺も同じだ。あの場でされた行為に散々翻弄された上に、思いっきり流されて、ついて来てしまったのだから。


 穂高さんに対して、憧れみたいなものはある。自分が持っていない大人の雰囲気や仕草は、真似をしたくてもできないものを持っている。しかしながら好きという感情を持っていないのに、どうにかなってしまっていいのだろうか……。


「千秋、どうしたんだい?」

「あ、その……」


 ウキウキした様子を壊してしまう俺の態度に、心配そうな顔で訊ねられた。俯く俺の右手にそっと手を伸ばし、ぎゅっと握りしめてくる。いつもよりあたたかい穂高さんの手に、否応なしに胸がドキドキした。


「……千秋は俺のこと、好き?」


 そのことに関して自問自答している最中の問いかけに、うっと言葉に詰まる。しかもこの問いは、正解を外したら許されない質問だ。好きでもないのにコトが始まってしまったら、穂高さんに対して失礼になってしまう。


「お、俺は穂高さんのこと、最初の頃は苦手だったんですけど。その……いきなり、いろいろされたこともあったので。だけど今はお世話になったり、こうして話をして良さがわかったこともあって。憧れているという感情を持ってます」


 たどたどしくだったけど、自分の気持ちを素直に言うことができた。


 最後まで遮ることなく話を聞いた穂高さんを横目で見たら、とても嬉しそうに口角を上げて、ふっと笑みを浮かべている。


「俺もね、千秋に憧れているよ。君が持っているそのキレイな心は、自分にはないものだからね。いいなと思ったら自然と目で君を追っていて、気がついたら好きになっていた。人を好きになるのは、憧れと好意が重なるときだって、誰かが言っていたな」


 ウインカーを左に出し、スムーズに曲がると、右手に大きなマンションが見えてきた。そのまま地下駐車場へ、吸い込まれるように入っていく。


 助手席に左腕を添えたと思ったらキレイな弧を描いて、車をバックさせ停車させた。エンジンを切ると、横にいる俺をじっと見つめてくる。


「俺はまだ、好意という感情はありません。だから――」


 穂高さんの好意は嬉しいけど、それを受け止めるにはいろいろと問題がありすぎて正直難しい。だって同性だし、カッコイイ穂高さんと自分は何だか釣り合わない感じがする。


「好意がない、と言いきっているが、どうしてそんな態度をするのだろうか?」

「そんな態度?」

「ん……。顔が赤くなっていたり、目が合ったら思わせぶりに視線を逸らしたり。それって、好きな相手にする態度じゃないのかい?」


 穂高さんは余裕の笑みを浮かべて、痛いところを突いてきた。


 確かに言われてみたらそんな感じがあるけれど、でも何だか違う意味でドキドキしていることがある。この人の妖艶な笑みや声が、心に染み渡ってしまいそうで怖いんだ。


「やっ、えっと……思わせぶりな態度をとって、すみませんでした。俺としては深い意味があるワケじゃなくって、あの――」

「ほら、またそうやって視線を彷徨わせてる。じゃあ質問を変えようか。俺のことは好き? それとも嫌い?」


 小首を傾げて楽しげに訊ねてくる。質問の内容が変えられても、困り果てるしかない自分。


「好きか、嫌いか……。と言われても嫌いじゃないと言うしか」

「その選択肢はないよ。千秋、ちゃんと答えてくれないか。好きか嫌い、か」


 ――嫌いと言えたら、どんなに楽だろう。


「ぁ、……ぅ、っ……」

「悪い、困らせてしまって。好きなコにイジワルするの、昔からのクセなんだ。君の気持ちは、既にわかってるのにな」

「違っ、俺は穂高さんのことなんて、好きとかじゃなくって――」

「じゃあ俺の目を見て、嫌いって言ってごらん」


 食い入るように見つめて、右手で俺の髪の毛を優しく撫でてきた。穂高さんの指先が地肌をなぞるたびに、鼓動が高鳴ってしまう。


「……この手を止めてごらん」


 シートベルトで固定された身体だけど、自分の手を自由に動かすことができた。だから、止めることは可能なんだ。止めたいのに――。


「穂高さんっ……」

「千秋、好きだよ」


 愛おしそうに告げられたら、余計に言えなくなるじゃないか。


「……俺っ、穂高さんが――穂高さんのことがっ、好き……です」


 そう言った瞬間、何かが確実に戻れなくなった。しかも俯きながらやっと告げた言葉に、穂高さんがどんな顔をしているのかわからない。だけどシートごと俺をぎゅっと抱きしめて、耳元で優しい声で告げる。


『ありがとう、千秋』


 優しい声が、まるで契約を成立させる言葉みたいに響く。胸の奥に残った違和感を、俺はそのときまだ名前にできなかった。

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