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残り火  作者: 相沢蒼依
第一章
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第一章 火種12

***


 ――やられた。


 穂高さんと接触して二日後の朝、酷い頭痛で目を覚ました。鼻詰まりのせいだろうと軽く考えていたが、立ち上がった瞬間に視界がぐらりと揺れる。


 嫌な予感を抱えたまま体温計を口に含み、表示された数字を見て喉の奥が冷えた。38度――気分が悪くなるというより、現実を突きつけられた感じがして力が抜ける。


(――まずい)


 今夜のバイトをどうにかしなければならない。居間の真ん中で突っ立っている暇はなく、慌ててスマホを手に取った。


「悪い、ゆっきー。今夜代わりにシフト入れる?」

「いいよ、予定も入ってないし。それよりも酷い鼻声だね、風邪引いちゃったの?」


(やっぱり電話でわかってしまうくらい、相当酷いのか……)


「朝起きたら具合が悪くって。熱も高いし病院に行ってくるよ。出費が痛いわ」

「千秋は、身体が細いからね。俺の肉をわけてあげたいよ」

「あはは、幸せ太りしてるクセに。恋人と急なデートがあったりしたら、声かけてよ。バイト代わってあげるから」


 癖の強い黒髪を揺らしながら苦笑いしている友人に、ナイスな提案をしてあげる。


「デートか……。事件続きで、本人と全然逢っていないんだけどね」

「えっ!?」


(――事件続きって、いったいどういうこと?)


「やっ、こっちのこと。大丈夫だよ、向こうがコンビニに顔を出してくれているから」


 ゆっきーの言葉に、とある人の姿が脳裏を過ぎった。


「そっか。うまくやっているんだ、いいね……」

「千秋も恋人作ればいいのに。誰かいい人いないの?」


 脳裏を過ぎった姿が、頭の中に鮮明に思い浮かんだけれど。


「いないよ、そんな人。ぜんっぜん!」


 頭に浮かんだのは、消そうとしても消えない顔だった。 艶っぽく笑って、距離を詰めてくる穂高さん。


(……ない、ない)


 自分に言い聞かせるように首を振り、友人にバイトをお任せしてそのまま病院へ行き、薬をもらって布団に倒れ込んだ。


 日頃の疲れと薬のおかげで、安らかに眠ることができたのに――。


 ピンポンピンポン……目覚ましのアラームのように、インターフォンが室内に鳴り響いていた。時計を見ると午後十時半過ぎ。俺ってば、ずっと眠りこけていたんだな。


 眠い目を擦りながらゆっくりと起き上がり、ふらつきながら玄関に辿り着く。その間も、ピンポンは鳴りっぱなしだった。


(――こんな遅くに誰だよ、煩いな……)


「はい……」

「俺だ、開けてくれ千秋っ!」


 表現するなら切羽詰った状態で、トイレを空けてくれと言っている人みたい。


「すみません、今は具合が悪くてお逢いできません。お引取りください」

「だったら尚更、開けてくれないか。俺のせいで、風邪を引いたんだろ?」

「本当に勘弁してください。具合が悪いんです」

「……わかった。じゃあ千秋が治るまで、ここで待機させてもらう。反省の意味も込めて」


 そんなもの込められても俺の風邪は絶対に治らないし、アパートの住人の目だってある。


 しかも穂高さんだって風邪の治りかけなのに、外の寒さでぶり返したらどうするんだよ。この人の強引さを考えたら、自分が折れるしかないじゃないか。


 心の中で舌打ちしながら渋々鍵を開けると、勢いよく扉が開いた。


「千秋っ、ああ……かわいそうに!」


 両手に大きなビニール袋を提げて、勝手に玄関の中へと入ってきた穂高さん。


(――いったい、何が入っているんだ?)


 不思議に思って首を傾げた瞬間、穂高さんは手に持っていたビニール袋を落とし、俺の身体をぎゅっと抱きしめる。


「ごめんね、千秋。今、楽にしてあげるから――」


 つらそうに眉根を寄せたまま顔が近づいてきて、ひんやりしたくちびるが重ねられた。


「んんっ……くっ」


(鼻が詰まって、ただでさえ苦しいというのに、いきなり何を考えてるんだ!?)


  逃げようにも容赦なく絡め取られる舌が、穂高さんに強く吸われていく。その度に身体が熱くなってきて、ぼーっとしてきた。


 あまりの苦しさに立っていられなくなって膝がガクッと折れかけると、支えるように穂高さんの方へ身体を引き寄せる。


「大丈夫かい? 結構、熱が高いようだね」

「風邪引いてるんですから、当然ですっていうか、何してくれるんですか、病人に」

「千秋の風邪を貰おうとしたんだが。俺にうつせば、治るかもしれないだろう?」


 熱で目眩がしそうになってる頭をゆっくりと上げて、まじまじと穂高さんの顔を見たら、やけに真剣な表情をしているではないか。


「何で、そんな魔法みたいなことを思いついたんですか? 誰かにうつして治っていたら、医者はいらなくなるでしょ……」

「だって実際に、俺の風邪を千秋が貰ってくれたから、こうして治ったんじゃないのかい? 献身的な看病をしてくれた、おかげでもあるけどね」


 ふわりと笑ったと思ったら支えている俺の身体を持ち上げて、易々と肩に担いだ。


「うわっっぁ!?」

「暴れないでくれ、落としてしまう」


 いつも見慣れている景色が高さが違うだけで、まったく違った景色に見える。


 あっという間にベッドに運ばれて、抱えられたときの手荒な感じじゃなく、優しく布団の上に置いた。そして毛布を丁寧に被せて足早に玄関に戻り、ビニール袋を手に颯爽と戻ってくる。


「まずは、これを剥がさなきゃいけないね」


 なぜか髪を梳くように撫でてから、額に貼ってある冷却シートをゆっくりと剥がし、ビニール袋の中から同じ商品を取り出す。


 バリバリと音を立てて開け、新しいものを貼り直してくれた。世話を焼く手つきは慣れていて、拒否を挟む隙がない。


「ありがとう、ございます……」


 ひんやりした冷却シートがとても気持ちいい。


「俺も千秋の世話になったからね。こんなことでは全部返せないが――」


 言いながらガサガサとビニール袋を漁って、何かを取り出した。


 何だろうと思い手元を眺めていると、12本1ケースで売られている栄養ドリンクだった。その内の1本を取り出し蓋を開けて、わざわざストローを差し込んでから飲んでと手渡してくる。


(蓋も開けちゃっているし、断るワケにはいかない……だけど正直、苦手なんだよな栄養ドリンクの味)


 よいしょっと起き上がり仕方なく、ちびちび飲んでいると蓋を開ける金属音が再びした。


 穂高さんも飲むのかなとストローを咥えたまま見つめたのだが、いっこうに飲む気配はない。まさか……。


「穂高さん、もしかして手に持ってるソレ……俺に飲ませようと待機してます?」

「ん……。早く元気になってほしいからね」

「だからと言って、残り全部を飲ませようとしていたり……」


 ウゲッと思って顔を引きつらせてみせたら、不思議そうな表情を浮かべて、ゆるりと首を傾げた。


「ああ、飲むんだよ千秋。頑張れ」


 頑張れじゃねぇよっ、瓶に書いてる用法・用量をちゃんと読んでくれ! 危うくストローを、鼻の穴に突っ込みそうになったじゃないか。


「穂高さん、その瓶に書いてある注意事項をきちんと読んでください」


 呆れ果てながらじと目で告げると、穂高さんはきょとんとして瓶を目の前に掲げつつ、大きな声で読みあげる。


「なになに……十五歳以上は一日一本(50mL)を服用してください。そんな……それじゃあ千秋が、元気にならないじゃないか」

「大丈夫ですよ、ちゃんと1本飲み干しましたから。開けちゃったそれは、穂高さんが責任を持って飲んでくださいね」


 ホントは穂高さんが家に来た時点で、俺のHPがめきめきっと減少したと思われる。玄関でキスされた時点で、半分くらいは吸い取られたんじゃないだろうか。


 飲み干した瓶を穂高さんに手渡して、ため息をつきながら横になると、誤って開けてしまった瓶を目の前で一気飲みした。


「……俺が元気になって、病気の千秋を襲ったらどうしよう」


(―おい、何の心配してんだ)


「襲わないでください、絶対にっ!」

「わかってる、冗談だよ」


 全然冗談に聞こえないから、注意したというのに、この人は――。


「さてと。冷蔵庫に買物した商品、中に入れていいかい?」

「どうぞ……」

「いつもより早く煙草を吸いきってしまって、コンビニに行ったんだ。千秋がいなかったから、ビックリしたよ。休むときはわざわざ教えてくれたのに、今までこんなことがなかったからね」


 俺に逢う口実に煙草を買っている穂高さんが、煙草の本数を微調整していると聞いていたので、ちゃっかり休みの日を教えてはいたのだけれど。


「人懐っこそうな店員さんだったから、声をかけてみたんだ。そしたら風邪を引いた君に代わって、バイトに出ているんですって教えてくれてね。それを聞いてビックリして、煙草も買わずにそのまま店を飛び出してしまったよ」


 苦笑いしながら手際よく冷蔵庫に買ってきたものを、どんどん詰め込んでくれる。


「何をそんなに、大量に買ったんですか?」

「ん? さっきの栄養剤にスポーツドリンク五本、レトルトのお粥や、惣菜関係を少しだけ。遅くまでやっているスーパーは便利だね」


(……レトルトのお粥のパック、かなりの数があるように見えたのは、幻想ということにしておこう。アレを全部食べろと言いそうだ……)


 明日の朝の様子を考えて渋い顔をしていたら、ベッドの脇に戻ってきた穂高さんが、心配そうにそっと俺の頬を触る。


「どうしたんだ、具合が悪いのかい?」

「いえ。……大丈夫です」


 ――ホントこの人の手は、いつも冷たいな。体温の高い今、やけにそれが気持ちいい。


 目をつぶって冷たさを感じていると、すぐに外されてしまった。


 内心がっかりしたとき、冷蔵庫を開ける音が聞こえる。目を開けて、何を取り出したんだろうと見つめていると、穂高さんの手には2リットルのスポーツドリンクが握りしめられていた。


 そして先程と同じように、ベッドの脇に座る。


 もしかして……とは思いたくない。水分を摂らせるべく、ペットボトルを一気飲みしろと言わないだろうな。


 俺の心配を他所に、ひんやりした手を再び頬に当ててきた。片手にはペットボトルを握ったままの状態で。


「なに、しているんですか?」

「ああ、これかい? こうやっていると、ずっと手が冷たいままを維持できるから。さっき触ったとき、千秋が気持ち良さそうな顔していたのがわかったからね」


(……そういうことを知ってるクセに大事なことが分っていないってこの人の頭、どうなっているんだろ)


「あのもう、大丈夫ですから……」

「千秋が眠るまで傍にいる、安心して」


 逆に安心できないって! 何をされるかわかったもんじゃないっ。


「本当に大丈夫です。穂高さんの手が冷たくなりすぎて、痛くなっちゃうかもしれませんし」

「冷たさには慣れてる、問題ない」


 誰でもいい、穂高さんに遠慮という言葉を教えてあげてほしい。この人の強引さには、ほとほと参ってしまう。


「穂高さんも風邪が治ったばかりですし、無理しないで――」

「また風邪を引いたら、千秋に看病してもらうからいい」


 ……ああ言えば、こう言う。


「千秋の傍にいさせて欲しい。お願いだ」

「わかりました、勝手にしてください」


 断るのも面倒くさくなってしまい、ふてくされたまま目をつぶった。すると頬に当てていた手を外して、優しく頭を撫でてくれる。何度も何度も――。


「早くよくなるといいね。ゆっくりとおやすみ」


 それがやけに気持ちよく感じてしまい、気がついたらぐっすりと寝てしまった。夢も見ずに、深く眠りにつくことができたのだけど。


 翌日、スマホのアラーム音でぼんやりと目が覚めた。しかし身体の自由がきかない状態に、顔を歪ませるしかない。何とか頭だけを起こして辺りを見てみると、半身が何かに押しつぶされた状態だった。


「……んぅ?」


 重いまぶたをしっかりと開けて現状を把握しようとしたら、目の端に何かが映った。それは穂高さんの頭が仰向けに寝ている俺の肩に、ちゃっかりと乗せられている姿があって。


 しかも堂々と布団の上で、うつ伏せになって寝ている。俺を抱きしめるように――。


「穂高さん起きてください、朝ですよ」


 身体の半分が押しつぶされたせいで左腕を封じられ、右腕はしっかりと握りしめられている状態だから、大きな声を出して起こすしかない。


「ん……。あぁ、おはよう千秋。具合はどうだい?」


 寝ぼけ眼で、俺の顔を覗き込む。額に手を当てて、勝手に熱を測られてしまった。


「もう大丈夫です。それよりも会社、遅刻しちゃいますよ」


 解放された右手で時計を掴み、うりうりと見せつけてやると「あ、ホントだ」と呑気な声を出す。


「朝ご飯、作ってあげたいけど――」

「そんなの自分でできます。安心して会社に行ってください」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」


 慌てた様子で立ち上がり、ワイシャツの襟を立てて、ネクタイを手早く結んでいく。そして格好よく上着を羽織り、颯爽と出て行こうとした姿にハッとして同じように立ち上がると、ふらつきながら穂高さんの腕に手を伸ばした。


「あっ、あの……」

「鼻声、よくなったね。よかった」


 口には既に煙草が咥えられ、いつでも火を点けて吸える状態にセットされている素早さに、内心驚いた。


「穂高さん寝癖……できてる」


 そのまま飛び起きたせいだろう。髪が乱れたままだったので、手櫛でそっと撫でつけて直してやる。


「看病してくれて、ありがとうございました……」


 おはようの挨拶も言えず、そのままお礼も言えないなんて情けないので、このタイミングでやっと告げることができた。


「もとはといえば俺の風邪のせいなんだから、気にしなくていい。俺の方こそ、強引に居座ってしまって悪かったね。一晩、君といられて嬉しかったよ」


 口に咥えていた煙草を指で摘み取り、顔を寄せたと思ったら、頬にそっとくちびるを押し付ける。ひんやりした穂高さんの温度を、肌で感じてしまった。


「ちょっ――」

「またね、千秋」


 俺の顔を見て嬉しそうに微笑むと、逃げるように出て行く。


 くちびるによって触れられた頬を、意味なくゴシゴシと擦ってしまった。胸が妙にドキドキしたまま、呆然とするしかない。


「あの人の体温が低く感じるのは、俺が高いせいなのかな」


 隙を見せた自分も悪いけど、ああいう不意打ちは困る。どうしていいかわからないし、言葉も出てこなくて、ただ立ち尽くしてしまうから――。

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