夢の中のハッカー
誠一は銀行員だった。彼は最近、奇妙な夢に悩まされていた。その夢の中で、彼は何者かに指示され、銀行のシステムに侵入していた。ハッカーの攻撃を防ぐために張り巡らされたセキュリティをいとも簡単に誠一は突破し、銀行の多額の資金を着服していた。こんなことをしていてはダメだと思った瞬間、誠一は目覚めた。全身ぐっしょりと汗をかいていた。夢で良かった。これが現実であったなら確実に犯罪になってしまうと彼は思った。そんな夢をみてしまうせいか、職場で罪悪感に襲われることが度々あった。職場では、お互いに信頼し合って日々の業務を進めている。夢の中で誠一のしていることは、その信頼を完全に裏切ることだった。
「夢の中のことだ」
そう言って彼は罪悪感から逃れようとした。だがある日、自分の口座の残高を見て、彼は仰天した。そこには彼が夢の中で盗んだ途方もない額の現金が振り込まれていた。
夢と現実がどこかでつながっている。誠一は思った。夢の中で自分は無意識のうちに銀行のシステムに侵入している。そして夢の中で彼が行った行為はどういう訳か現実の世界に反映されていた。そして毎晩、その行為は繰り返された。口座の残高はどんどん増えて行った。夢の中で、誠一は巧妙なハッカーだった。堅牢なセキュリティシステムをいとも簡単に突破してしまう凄腕のハッカーだった。
<こんなことを続けるのはダメだ>
誠一の理性が夢の中でハッキングを続ける自分を戒めていた。だが夢の中の誠一は理性の声に耳を傾けることなく、ニヤリと笑ったかと思うとハッキングを続けるのだった。どうしてそんなことをするんだ? 誠一がそう思った時、夢の中の自分に囁きかける声が聞こえた。
<お金が欲しい。お金さえあれば、彼女を奪われることはなかったのに>
それは邪悪な犯罪者の声というよりは若者の悲痛な叫びだった。
「お前は誰だ?」
夢の中で誠一は叫んだ。
「私はお前だ」
その時、誠一はその言葉の主に同期することができた。それは自分が蓋をしてしまった記憶だった。二度と振り返りたくない過去だった。
誠一にはとても好きだった女性がいた。それなりにいい関係が築けていると彼は思っていた。だが彼女はある日突然、お金持ちの青年と共に去って行った。その時の絶望感がずっと誠一の心の中に残っていた。
<あの時、お金持ちだったら、彼女は私について来てくれたかもしれない>
そんな怨念のような気持ちが夢の中の自分を暴走させていた。
<もう終わったことじゃないか? そんなことをしても何も変わらない。君は知らないのか? もうすぐ君は幸せになるということを?>
誠一は夢の中の自分に必死になって語り掛けた。やがて朝が訪れた。鳥のさえずりが聞こえて来た。スマートフォンから口座にアクセスすると不正に入金されたお金はすっかり消えていた。誠一はほっとした。でも夢の中の自分に言い放った言葉を実現しなければ、また同じことが起きるかもしれなかった。
「幸せになるぞ!」
窓を開け、大声で誠一は叫んだ。びっくりした鳥たちが彼方へ飛び去って行った。眩しい朝の光が誠一の顔を照らしていた。