4 街へ
いつの間にか眠っていたようで、目覚めると外は明るくなっていた。
身体を起こして伸びをする。
部屋を出てリビングへ向かうと、ソファに狼が座っていて驚いた。そういえばバルドさんは、眠ると狼になるんだった。
体に大きなタオルを巻いている姿は、まるで服を着ているみたいで可愛らしい。
「バルドさん、おはようございます」
私が近付くと、尻尾がゆらゆらと揺れてキュンとした。
大きくてかっこいい狼なのに、仕草の一つ一つが可愛らしくてたまらない。
私は隣に座って、そっと頭を撫でた。
少し硬い毛も大好き。
バルドさんの顔が近付いた。温かい吐息が唇にかかり、そっと触れるようなキスをされる。その瞬間『ボン!』と大きな音を立てて、バルドさんは煙に包まれた。
煙が晴れるとバルドさんは上半身は裸で、下半身はタオルで隠れていた。人になる時のために配慮してくれたんだ。
私はバルドさんから視線を外す。
「あの、着替えてきてください」
「こんな格好ですまない」
足音が遠ざかり、階段を登る音でホッと息を吐いた。
自分の唇に指先で触れる。私とは違って、狼の薄い唇は少し硬い。
キスをするのは狼だけれど、バルドさんとしているんだよね。
熱が出そうなほど顔が熱い。頬を両手で包むと、階段を降りる音が聞こえた。
バルドさんは丈の短いお父さんの服を着ている。やっぱりちゃんとした服を買わなきゃ。
人でも狼でも着れそうなゆったりとした寝巻きも買おう。
朝食を食べて身支度を整え、リュックに孤児院へ納品する薬を入れた。
バルドさんが持ってくれたから、背負いやすいように紐の長さを調節する。
外に出ると、抜けるような青空が広がっていた。日差しがキラキラと瞬いて眩しい。
並んで街まで向かう。
「まずは服と靴を買いましょう。足は痛くありませんか?」
街と家を繋ぐ道は、舗装されているわけではない。小さな石や枝が転がっている。足に布を巻いただけでは、怪我をしないか不安だ。
「クレアがたくさん布を巻いてくれたから痛くないよ」
「それなら良かったです」
私はホッと胸を撫で下ろした。
「クレアは街によく行くの?」
「週に一回くらいですね。食料品を買わなきゃいけないので」
「だからこんなに大きなリュックを持っていくんだね」
今は薬を入ているだけだからスカスカだけど、一週間分の食べ物を入れるためには、大きなリュックが必要になる。
「重たいので、食料品は帰る直前に買いに行きましょう」
「長い距離を重たいものを持って歩くのは大変だっただろう」
「大丈夫ですよ。子供の頃は学校に通うために毎日街と家を往復していました」
教科書とお弁当と水筒をリュックに詰めると、それだけで子供の頃は重く感じられた。通っているうちにそれもすぐに慣れた。
バルドさんと話していると、街までの三十分が短く感じられた。
森を抜けると街の入り口が見え、『シャームア』と大きく書かれている板が目立つ。
入り口にいる警備隊のおじさんに「おはようございます」と頭を下げる。
「クレアちゃんおはよう」
おじさんは私に笑顔を向けるけれど、隣にいるバルドさんと視線が合うと目を大きく見張った。
「クレアちゃんにいい人ができたのか? めでたいね。でも『クレアちゃんと結婚をする』と言っていたうちの息子は失恋か」
いい人と言われて顔が熱くなり、私が否定するより先にバルドさんが口を開く。
「息子さんに牽制をしないと」
低い声で呟かれ、おじさんは吹き出してから大笑いした。
バルドさんは不思議そうに首を傾ける。
「おじさんの息子はまだ五歳です」
「クレアちゃん愛されてるね」
バルドさんはおじさんにからかわれたと気付き、ほんのり頬を染めて照れ笑いを浮かべた。
私は心の奥がむずむずとして、胸を押さえる。
ハンサムで優しいバルドさんは少し緊張するけれど、親しみやすさを感じた。
おじさんに会釈をして別れ、商店が立ち並ぶ大通りを歩く。パンの焼ける香りや、肉を焼く香ばしい匂いに食欲をそそられる。
後ろ髪引かれる思いで先に進み、服屋さんに入った。
「いらっしゃいませ」
ドアベルを鳴らしながら入ると、店員さんがこちらに向かって頭を下げた。
「バルドさん、お洋服を選んでください」
「クレアに一緒に選んでもらいたい」
バルドさんは腰を屈めて、私と目線を合わせる。眩しい笑顔に気付けば首を縦に振っていた。
「クレアはどっちの色がいいと思う?」
バルドさんは黒と白の色違いの服を交互に自分の体に当てる。
どちらも似合うから迷ってしまう。「うーん」と唸りながら考え抜いた結果、白を選ぶとバルドさんは黒を棚に戻した。
二人で話し合いながら服を三着と寝巻きと靴を一足買った。
バルドさんがそのうちの一着を着ると、外に出る。
バルドさんは女性たちの視線を一気に集めた。
サイズの合っていない服を着ていた時は、背を丸めていた。
今は背筋を伸ばして、堂々とした佇まいは気品に溢れている。
隣を歩くのが私でいいのだろうか?
そんな後ろ向きな考えが浮かぶが、バルドさんが私を見る目がとっても優しくて、頭を振ってネガティブ思考を追いやる。
自分を卑下するのは、好意を伝えてくれたバルドさんにも失礼だ。
「バルドさん、この近くに薬屋があるので寄ってもいいですか? おばさんにクッキーのお礼を直接言いたくて」
「もちろん。俺も美味しかったと伝えたい」
薬屋は三分ほど大通りを進むと見えた。
年季の入った建物は、扉を開くと蝶番がギィとか軋むような音を立てる。
「クレアちゃん、いらっしゃい。いつも薬をありがとう」
カウンターの中からおばさんが優しく笑う。
店内に入って、カウンターの前で頭を下げた。
「こんにちは。クッキー美味しかったです。ありがとうございました」
「一緒にいただきました。とっても美味しかったです」
私の後ろでバルドさんが微笑むと、おばさんは顔を輝かせる。
「クレアちゃん、素敵な彼ができたのね。良かったわね」
「違います。まだそんなんじゃありません」
熱くなった顔で両手を振って否定する。
「『まだ』違うみたいです」
「『まだ』違うのね」
バルドさんとおばさんが『まだ』を強調して、含みのある笑顔を向けた。
なんと言っていいかわからず、うろたえ視線を彷徨わせる。
言葉がうまく出てこない。
おばさんが口元に手を添えて、くすくすと笑う。
「いじわるしちゃったわね。クレアちゃんってば可愛いんだもの」
「わかります!」
バルドさんがおばさんの言葉にしみじみと頷いた。
おばさんは「愛されているわね」と警備隊のおじさんと同じことを言う。
「また次の納品の時に作るわね。二人で食べるなら、少し多めに旦那に持って行ってもらうわ」
「ありがとうございます」
お礼を述べ、手を振って薬屋を出た。