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2 森にいた理由

 私は目をパチクリとして、口を開けたまま呆然としていた。

 驚きすぎて気付かなかったが、男性は服を着ていない。

 私はとっさに布団の中に潜り込んで体を小さく丸める。


 どういうこと? 狼が男性になった?

 混乱していると、布団越しに背中をトントンと叩かれて大袈裟なほど体が跳ねる。


「出てきてほしい。話をさせてくれないだろうか?」


 私を気遣うような優しい声音に、布団で視界を覆ったまま起き上がる。


「体を隠してください」


 布団が取られてすぐに目を閉じる。


「これでいいかな?」


 おそるおそる片目を開けると、男性は布団で体を覆っていた。

 私はホッと息をついて小さく頷く。


「……あの、狼ですか?」

「俺はバルド。狼ではなく、獣人だ。助けてくれてありがとう」


 バルドさんは深々と頭を下げる。

 獣人? 人間以外の種族がいることは知っているけれど、住んでいる国が違うから初めて会った。


 バルドさんは狼の時のように、まっすぐ私を見つめる。

 狼の時は可愛いと思ったのに、今は心臓が痛いほど激しく鳴った。男性にこんなにも熱の籠った瞳で見つめられた経験がなくて、視線を落としてしまう。


「君の名前と年齢を教えてくれないか? 成人はしている?」


 おずおずと顔を上げると、バルドさんがとびっきり優しく微笑む。また胸が跳ねた。


「えっと、私はクレアです。歳は十八歳なので成人はしています」

「良かった」


 バルドさんがホッと胸を撫で下ろす。


「なぜですか?」


 バルドさんは和やかに目を細めた。両手で私の右手を掬って、宝物のように大切に包む。

 手の甲を親指ですりすりと撫でられて、そこからじわじわと熱が全身に回るようだ。まるで熱病に冒されたかのように、頬がカーッと熱くなる。


「俺たち獣人は、生涯一人の人だけを愛する。ここに来てからずっとクレアを見ていたけれど、俺を助けようと一生懸命なところや、仕事に対して真摯な姿に惹かれた。二十三歳の俺が未成年を口説けはしない。だからクレアが成人していて良かった」


 バルドさんの穏やかな声や、愛おしそうに細められる瞳に頭が沸騰しそうなほど熱を帯びる。


「えっ、あの、……えっと、あぅ……」


 告白なんてされたこともなく、頭が真っ白になって言葉が出てこない。言葉を探そうとするほどに、どんどん言葉が遠のいていく。

 バルドさんは「ふふっ」と声を出して笑った。


「クレアは可愛いな。いきなりこんなことを言われて困るよな。返事はいらないよ。ただ俺がクレアを好きなことを知っていて欲しい」


 手が離される。緊張で強張っていた体から力が抜けた。


「あの、どうして怪我をしていたんですか?」


 バルドさんは困ったように眉を下げた。


「俺たちの住む獣人の国は、この森を抜けた先にある」

「森を抜けた先? 魔物がいるんですよ、危ないです!」

「俺も逃げるので必死だったから、そこを通るしかなかった」


 逃げる? 

 眉を顰めると、バルドさんが話を続けた。


「俺は獣人の国の第二王子。兄か俺のどちらを次の王にするかで周りが揉めていた。俺は兄と仲が良かったし、俺より兄が適任だと思って王になる気なんてなかった」


 聞かされた内容に頭が追いつかない。

 王子様? 王様を決める?


「兄を推している者に襲われて、必死に逃げていた。兄が助けに来てくれて、その者たちは捕まったのだが、また同じことが起こる可能性もある。俺は王位継承権を破棄して、国を出ることにしたんだ」

「そ……うなんですか」


 話された内容を頭の中で反芻させる。


「この森は明るくて綺麗な水も流れているから住みやすいかと思ったんだが、途中で魔物に襲われて戦ったけれど敵わなかった。必死に逃げて意識を失い、目覚めるとここにいた」


 想像を絶する理由を、私はなんとか理解する。


「バルドさんが結界の中まで逃げてこられて良かったです」

「結界? そんなものあったか?」


 バルドさんが首を傾ける。


「結界と私が呼んでいるだけです。魔物が嫌いな匂いを放つ花が咲いているんです。それのおかげで、魔物が寄りつきません」

「そうか、だからクレアはこの森で暮らせるんだね。クレアは一人暮らしか?」

「はい、子供の頃に両親を事故で亡くし、ここで祖母に育てられました。祖母も病気で去年亡くなり、祖母の手伝いをしていたので薬師として生活しています」

「クレアのおばあさまは、丁寧な仕事をしていたんだな。クレアの仕事をずっと見てきてそう思った」

「そうなんです! 自慢のおばあちゃんです!」


 拳を握って力説すると、バルドさんが私の頭を撫でる。

 狼の時は私が撫でていたのに。大きくて温かな手が心地良いと思うのに、恥ずかしくて逃げ出したくもなる。


「クレア」


 甘い声で名前を呼ばれ、時が止まったように体が動かない。

 バルドさんの指が髪を一房掴んで唇が近付く。


「おーい、クレア? いないのか?」


 唇が触れる寸前で、薬屋のおじさんの声がしてハッと立ち上がる。


「残念だ」


 バルドさんは口の端を広げて肩をすくめた。


「あの、すみませんがここで待っていてください。おじさんに薬を渡してきます」


 逃げるように部屋を飛び出し、階段を駆け降りる。

 玄関の扉を勢いよく開くと、おじさんが目を丸くしていた。


「すまない、寝ていたのか」


 自分の格好に目を向ける。パジャマだし髪は梳かしていないしで、寝起きの格好で羞恥に顔を染める。


「ごめんなさい、こんな格好で。すぐに薬を持ってきます」

「気にしなくていいし、慌てなくていい」


 引き返して薬を保管している部屋から必要なぶんを持ってきておじさんに渡す。


「よろしくお願いします」

「はい、ありがとう。前回クレアが喜んでいたって言ったら、また妻が作ったんだけど食べてくれるかい?」

「ありがとうございます。すっごく美味しかったです」


 ピンクの袋を渡されて、美味しいクッキーに瞳を輝かせる。


「じゃあまた十日後」

「はい、お待ちしています」


 おじさんが見えなくなるまで手を振って見送った。

 手を下ろして、大きく息を吐く。


 今からバルドさんのいる部屋に戻らないと。

 でもあんな甘い空気になんて慣れていなくて、どんな顔をして戻れば良いのかわからない。

 狼に戻ってくれたら、こんなに緊張しないで済むのに。


  重たい足で階段を登り、自分の部屋の扉を開く。バルドさんは私が部屋を出る前と同じで、ベッドの上で布団にくるまって座っていた。

 私と目が合うと、バルドさんはパッと顔を輝かせる。


「仕事はいいのか?」

「はい、薬は渡してきたので。あの、バルドさんは狼に戻らないんですか?」

「眠れば狼になる。あっちの姿の方がクレアの好みか?」


 バルドさんはベッド脇のサイドチェストの上にある鏡を凝視して眉間を狭めた。


「好みというより、ずっと一緒にいたので慣れていて」


 今のバルドさんはかっこ良すぎて心臓に悪い。

 恋愛経験がないから、バルドさんの一挙手一投足にワタワタとしてしまうばかりで落ち着けない。


「それならこっちの姿でいれば、そのうち慣れるんじゃないか?」


 バルドさんは手をポンと叩いて笑うけれど、慣れる気がしない。

 そしてふと疑問に思う。眠ったら狼になるけど、どうやったら人になるんだろう。

 首を傾けていると「どうした?」と心配そうな声がかかる。


「バルドさんは眠ると狼になるんですよね? ではどうやったら人になるんですか?」


 今まで一緒にいて、人になったのは今日が初めてだ。


「俺たち獣人は一人の人を愛し続けると言っただろ? その相手とキスをすると人になれる」


 キスをすると? つまり今の姿に慣れてってことは、毎日バルドさんとキスをするってこと? 狼の姿だとしても、直後に人になるってことで。


 手に力が入ってしまい、クッキーの割れる音に慌てて力を抜く。せっかくおばさんが作ってくれたんだから、綺麗な形で美味しく食べたい。


「そういえば、バルドさんはクッキーがお好きなんですか? 私が食べていたのを見ていましたよね。獣人だってわかっていたら、分けられたのにすみません」

「クッキーというより、クレアのことを見ていた。美味しそうに食べる子だな、と好感が持てた」


 バルドさんは優しい声と表情でストレートに褒めてくれて、やっぱりどう考えても慣れる気がしない。


「食べないのか? またクレアのクッキーを食べる顔が見たい」


 見られながら、自分だけ食べるなんてできない。


「今度はバルドさんも一緒に食べましょう。美味しいハーブティーと一緒に食べたいので、森でハーブを採ってきます!」

「俺も一緒に行きたい」

「おばあちゃんの部屋にお父さんの服があったと思うので持ってきます。待っていてください」


 おばあちゃんの部屋に入り、クローゼットを漁る。

 お父さんとお母さんの服が綺麗に並んで保管されていた。

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