10 異変
二ヶ月が経ち、本格的な夏になった。
連日異常な暑さを記録しており、街でも倒れる人が多いとバルドさんが言っていた。
薬草畑で水を撒きながら、上に目を向ける。
太陽はギラギラと照りつけ、強い陽光がジリジリと肌を焼く。
バルドさんに買ってもらった麦わら帽子は、毎日活躍している。
「暑いなー」
自分の吐く息も、熱を持っているような気がする。
最近は鳥の囀りも聞こえてこない。
毎年夏になると虫も飛んでいるのに、今年はあまり見かけていない。
鳥も虫も暑さにやられているのかな?
薬草を摘んで綺麗に水洗いをして日陰に干していると、薬屋のおじさんが歩いてくるのが見えた。
おじさんは真っ赤な顔で汗を垂れ流し、息も上がっていた。
私は水にレモンの蜂蜜漬けを浮かべ、濡らしたタオルと一緒に差し出す。
「ありがとう」
おじさんは一気に飲み干し、タオルで顔を拭った。
もう一杯飲み物を用意して差し出すと、それもすぐに飲み干す。
「はー、生き返った。おかしいくらい暑いね」
「そうですね。お体に気をつけてくださいね」
「ああ、ありがとう」
おじさんに納品する薬を渡す。おじさんの空になった水筒に水を満タンにして、レモンの蜂蜜漬けも密閉容器に入れて渡した。
家の中で少し涼むと、おじさんは「また来るよ」と手を振って来た道を戻っていく。
暑さのせいでそう感じるのかもしれないけれど、空気も澱んでいるような気がする。
一番気温の高い昼間は外で作業をしたくなくて、家の中でゴリゴリと薬草を擦り潰して薬を作った。
次の日はバルドさんがお休みで、バルドさんとずっと一緒に過ごせる。
私より早く起きていたバルドさんは、パジャマを着た狼の姿でソファに座っていた。
ズボンの中で振られる尻尾は、毎日見ていても可愛くて癒される。
「バルドさん、おはようございます」
隣に腰掛けると、バルドさんは顔を前に突き出して私にキスをした。
人になると「クレアおはよう」と目を細めてささめく。
バルドさんの甘い声が私の鼓膜を震わせ、胸の奥にじんわりと熱が広がった。この甘い空気に、私はまだ少し照れてしまう。
「今日はどこかに出かける?」
「森の奥にあるハーブの群生地に行きたいです。乾燥させていた分がもうすぐなくなりそうで」
「わかった。朝食を食べたら行こうか。今日も昼間はすごく暑くなりそうだ」
窓から外を眺めると、太陽がジリジリと照り、早朝でも外に出たら暑そうだ。
朝食を食べ、麦わら帽子を被って薬草に水を撒く。
それが終わると、バルドさんと手を繋いで森の奥に向かって歩き始めた。
少し進むと違和感に首を傾ける。
木々は瑞々しい明るい緑色をしていたのに、くすんでいるように見える。
隣を歩くバルドさんを見上げると、眉間に深く皺を刻み、難しい顔をしていた。
「どうかしましたか?」
「変な臭いがしないか?」
鼻をスンスン鳴らしても、私にはわからなかった。
でも奥に進むにつれて、不快な生臭さに手で鼻を覆う。
「クレアも臭いに気付いた?」
「はい、なんの臭いなんでしょう」
動物がこときれて、この暑さで腐敗が進んだのかと考える。
臭いを我慢してハーブの群生地に着くと、ハーブの色が黒ずんでいた。
「おかしいです。この臭いが原因なんでしょうか?」
「臭いの元を探そう」
バルドさんが繋いだ手に力を込める。
それだけで少し安心できた。
バルドさんが一緒だから怖くない。
私も同じ力で握り返した。
道から逸れて東へ進むとクーニアの花がしおれていた。
「どうして? クーニアの花が弱るなんて初めて」
小さな頃から森に住んでいるが、いつも綺麗に咲き誇っており、甘い匂いで満たしていた。
バルドさんが辺りを警戒するように見渡す。
「魔物は近くにいなさそうだが、花が枯れると魔物が家の方まで来るかもしれないんだよな?」
「はい。花の匂いがなくなれば、家の方にもさらに先の街まで向かう可能性もあります。早急に原因を調べましょう」
濃い臭いの方へ向かって行くと池があった。
淀んだ水面はボコボコと不気味な泡立つ音を鳴らし、瘴気がゆらゆらと立ち上って視界が歪むようだ。
鼻が曲がりそうな生臭い腐敗臭に、ここが臭いの元だと確信する。
この池は、底が見えるほど水が透き通っていたはずだ。
どうしてこんなにも変わり果ててしまったのか。原因を突き止めなければ。
「バルドさん、一度家に帰りましょう。水を採取する道具を取りに行って、その水を街で調べてもらいます」
「わかった。すぐに戻ろう」
足早に家へ帰り、大きく深呼吸をする。
家にまで臭いが来ていないのは救いだ。
少し休憩をすると、スポイトと瓶を持って池へ戻る。
息を止めて池に近付こうとすると、バルドさんに止められる。
「俺がとってくるから、クレアは待っていて」
「ありがとうございます。バルドさん、絶対に直接池の水に触れないでくださいね」
バルドさんは大きく頷くと、息を止めて池に近付く。
スポイトで何度か水をとり、瓶に入れていく。キツく蓋を閉めると戻ってきた。
バルドさんは止めていた息を吐き出して、思いっきり吸い込むと臭いでむせる。
「大丈夫ですか? 早くここを離れましょう」
家に戻って瓶を見るけれど、濁った水を見ていると不安が心を支配する。
街へ行き、役場で水を調べてもらうことをお願いすると、快く引き受けてくれた。
「園芸屋さんに寄ってもいいですか? 効くかは分かりませんが、栄養剤を買いたいです」
クーニアの花がしおれた原因は瘴気だと思う。瘴気を取り除くことができればいいのだけれど、それは水を調べた結果を待つしかない。
園芸屋さんで栄養剤を買い、森に戻ると家の近くに咲いているクーニアの花から栄養剤を撒いて行く。
「臭いが届かない場所に咲いている花は無事だけど、奥に進むにつれて被害が出ているね」
「はい、少しでも良くなればいいんですけど」
私の不安を取り除くように、バルドさんは「大丈夫だよ」と笑顔を向ける。
その一言と温かい笑顔で、凝り固まった心がほぐれるのを感じた。
私は口角を上げて頷く。
「そうですね。帰ってゆっくりしましょう。いっぱい動いて疲れちゃいましたね」
手を繋いで家に戻り、お揃いのグラスで水を飲んだ。ソファに座って手を握ったまま話していると、リラックスできて心が落ち着けた。




